人間の安全保障
人間中心の安全保障
5月22日に閉幕したNPT再検討会議は、今回も最終文書を採択できずに終わった。三度続けて合意に至らなかったという事実は、国際社会が核兵器の脅威を前にしながらも、深い分断と不信の中にあることを象徴的に示している。
問題なのは、日本政府が米国の核抑止に依存する立場から抜け出せず、核兵器国に対して踏み込んだ要求を行えなかった点である。核兵器の先制不使用、核戦力の透明性向上、核兵器の役割低減といった重要な論点で、被爆国としての強い主張を避けたことは、国際社会からの信頼を損ねる結果となったのではないか。また、核兵器禁止条約(TPNW)との関係においても、日本政府は依然として慎重姿勢を崩さず、被爆国としての道義的責任を十分に示せなかった。NPTとTPNWの相互補完性を積極的に訴える姿勢が弱く、被爆者団体や市民社会の声を十分に外交の場に反映できなかった点も、重大な課題である。
本来、私たちが立ち返るべき視点は「人間の安全保障」である。国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子氏は、「人間の安全保障とは、人々を恐怖と欠乏から守ることである」と述べた。核兵器の脅威は、まさに人々を恐怖に陥れ、生活を破壊し、未来への希望を奪うものである。国家の安全保障の論理だけでは、人間の尊厳は守れない。核軍縮は国家間の力学ではなく、「人間を中心に据えた安全保障」の課題として捉え直す必要がある。
同時に、私たちは、国内の課題にも向き合わねばならない。格差の拡大、適正な価格転嫁の遅れ、社会インフラを支える産業の疲弊。これらは働く人々の生活を脅かす「構造的な不安」であり、広い意味での人間の安全保障の問題である。社会の土台が崩れれば、平和を語る基盤すら失われる。
人間の尊厳を守る
さて、現政権は4月21日、「防衛装備移転三原則」の運用指針を見直し、日本は殺傷能力のある武器を売る(輸出)国となった。平和国家のみならず私たちの社会の価値観そのものにかかわる問題でもある。また国会では、国民的論議が不十分なまま、安全保障の名の下に監視・情報・軍事にかかわる法案が次々と成立していく。まさしく、国家権力が肥大化し、国民の自由や権利が脅かされる懸念が増大しているのである。
一方、巨大与党を前にまとまりを欠く野党。野党の弱体化は「与党の強さ」ではなく、「民主主義の弱さ」を意味する。権力(行政)を監視する仕組みが機能しなくなる。やはり、平和・民主主義を守るためには、政権に対峙し得る大きな塊、健全野党が必要であることは論をまたない。また、国会が役割を果たせないのであれば、市民、有識者(専門家)、メディア、当然、「権利・生活・平和」を守る労働組合も民主主義の防波堤として重要な役割を果たさなければならない。
民主主義の防波堤
世界の平和と働く人々の生活の安定は、いずれも「人間の尊厳」を守るという一点でつながっている。国際社会の分断が深まる今こそ、私たちは連帯の力を信じ、声を上げ続ける必要がある。平和と核兵器のない世界をめざす歩み、そして、社会の底上げをめざす取り組みを、ともに前へ進めていかなければならない。
6月の「沖縄ピースすて〜じ」から情報労連「創り・育てる」平和四行動がスタートする。私たちが平和に対し主体的に問い、論議し、声を上げることがこれまで以上に求められている。7月の定期全国大会であらためて平和運動、「暮らしやすい社会」の実現に向けた政治活動の推進など、「2025〜2026年度中期運動方針」を補強する方針を提起する。
![情報労連[情報産業労働組合連合会]](/common/images/logo_ictj.png)

