特集2026.08-09

変わりゆく世界の中で平和を訴える意味
暮らしを守るために必要なこと
9条改正のその先にある社会とは?
憲法が権利の制限に「抗う」手がかりに

2026/08/13
憲法9条を改正して自衛隊を憲法に明記した場合、その先にどのようなことが起きるのか。国民の権利を制限する法律をつくりやすくなり、企業や労働者への強制力も強まることが想定される。それぞれの立場から想像力を働かせることが重要だ。
日本国憲法は何を守っているのか(写真:ururu/PIXTA)
青井 未帆 学習院大学教授

自衛隊の明記で変わること

憲法9条を改正して自衛隊を明記したからといって、その日から徴兵制が始まるわけではありません。なぜなら、それをできるようにするための法律がないためです。徴兵制のように国民の権利を制限するためには、そのための具体的な法律が必要です。憲法9条改正の効果の一つは、こうした点に表れます。つまり、自衛隊を憲法に明記することで国民の権利を制限する法律をつくりやすくするということです。私たちは憲法改正だけではなく、その先に何が起きるのかについて想像力を働かせる必要があります。

自衛隊を憲法に明記するだけなら実態は変わらないと思う人もいるかもしれません。ただそれは違います。自衛隊を憲法に明記するということは、自衛隊を憲法上、何らかの形で「特別扱い」することを意味します。自衛隊はこれまで防衛省と表裏一体の行政組織の一つとして扱われてきましたが、自衛隊を憲法に明記すれば、憲法上の独自機関として防衛省から独立することも可能です。それがどのような形になるのか現状でははっきりしていませんが、今と同じままではいられないのは確かです。

問題は、それがどのような形になるのか示されないまま、政権与党が憲法改正を進めようとしていることです。自衛隊を憲法に位置付けて「特別扱い」すれば、そのために国民に特別な協力が求められるようになり、国民の権利を制約する法律がつくられやすくなります。にもかかわらず、そうした説明はまったくといっていいほどされていません。何が語られていて、何が語られていないのか。私たちはそのことをしっかり見極める必要があります。

民間企業への圧力強化

自衛隊を憲法に明記することの一番の効果は、それをてこにして、さまざまな義務を国民に課しやすくなることです。国家が武力を行使しようとする際、為政者は国民の抵抗はなるべく少ない方がよいと考えます。マンパワーを確保するための徴兵制や戦費の調達もそうですが、自衛隊が憲法に明記されることで民間企業や民間人に対する強制力もより強く働くようになると考えられます。

憲法9条が改正されたら、どのような強制力が働くようになるのか。働く人や生活者の立場から想像力を働かせてほしいと思います。特に情報通信のように安全保障のために重要な役割を果たす産業であればなおさらです。自衛隊はただでさえ人員不足に悩まされており、最近でも公務員を予備自衛官にしやすくする法案が成立したばかりです。情報通信や物流といったインフラ分野では特に国からの強制力が強まる可能性があります。現状でもセキュリティークリアランス制度のように国への協力が求められる場面が増えています。労働組合にはそうした面でもチェック機能を発揮してほしいと思います。

9条は機能していないのか?

憲法9条は実質的に機能していないと指摘する人もいます。しかし、機能しているからこそそれを解消しようとする動きがあるのではないでしょうか。

実際、憲法9条は機能しています。最近では、アメリカからホルムズ海峡へ自衛隊を派遣するよう要請された際、憲法9条を理由に断った事例が象徴的です。かつての有事法制の際も国は国民の権利を制限し、国への協力を義務付けたいと考えていました。しかし、憲法9条があることで思いどおりにはできませんでした。憲法9条が自衛隊の活動を「目の上のたんこぶ」のように限定する機能を果たしているからこそ、それを変えようとする動きがあるのだと思います。

自衛隊が憲法上の「特別扱い」を受けるようになれば、社会の雰囲気も変わり、今よりも同調圧力も高まるのではないかと思います。それにより国からの要請も「なめらか」に受け入れられるようになるかもしれません。

特に軍事や安全保障は合理性が追求される領域です。そこでは合理性に基づく、「なめらかさ」が求められます。改憲派は、憲法9条を改正して国の施策をよりスムーズに進めたいという思いがあるのだと思います。

「なめらか」な社会に潜むリスク

しかし、ここで立ち止まって考えたいのは、合理性が追求されるほど、一人ひとりの存在は、計算可能な「数」に置き換わり、個人としての尊厳が剝ぎ取られていくということです。

日本国憲法が人権を保障する意味は、ここにあるのではないかと思います。つまり、一人ひとりの尊厳を大切にするということです。現代社会が一人ひとりの人間を交換可能な「数」に置き換えていく中で、日本国憲法は、人権を保障することで一人ひとりの価値を大切にします。ここに憲法を守ることの価値があるのではないでしょうか。それは人間を交換可能な「数」として捉える見方とは正反対のものです。

だからこそ、私は最近、「摩擦」や「抗うこと」それ自体が、大切なのではないのかと考えています。つまり、軍事や経済をはじめ、現代社会のあらゆる分野で合理性が求められる中で、個人が個人として存在するために「摩擦」や「抗うこと」が重要になっているのではないかということです。

例えば、「みんながそう言っているから仕方ないじゃないか」「こうすると物事がなめらかに進むんだ」。そうした考えを押し付けられたときに、「いや、それは私の人権にかかわる問題なんだ」と言うことができる。そうした議論を可能にするのが、憲法が人権を保障する意味なのではないでしょうか。

こうした考え方を煎じ詰めていえば、人権とは「抗う権利」なのではないかと思います。多数の意見や合理性が優先される際にそれに意義を申し立てることのできる権利。その権利が保障されず、社会から摩擦がなくなり、なめらかになるほど、摩擦を起こす人たちは社会から排除されていきます。それは人間一人ひとりを大切にしない社会ではないでしょうか。憲法が人権を保障する意味は、摩擦をつくり、抗うための手がかりをつくること。そうしたことにあるのだと考えるようになりました。

想像力を働かせる

その意味で憲法9条は、「摩擦」を生み出す条文として役割を果たしていると思います。それがなければ、より「なめらか」に武器輸出も自衛隊の海外派遣も進んでいたはずです。

それは、一人ひとりの命の価値を後退させることにつながりかねません。私たちは、第2次世界大戦であれだけ多くの人の命が奪われたことを思い起こす必要があります。戦後日本は、自分たちが平和国家を掲げる以上、自分たちが作った武器で人を殺すようなことはあってはならないという思いから、武器輸出を禁止してきました。それが武器輸出の解禁で人を殺すことに加担することになりかねません。そうしたことに対する想像力が大切なのではないでしょうか。

憲法9条の改正は、国民の権利を制限する法律をつくりやすくします。それは一人ひとりの個人が、「摩擦」を起こしたり、抗ったりする手段が弱くなることを意味します。その結果、一人ひとりの尊厳が軽んじられる社会になるかもしれません。憲法改正のその先にどのようなことが生じ得るのか。多くの人に想像力を働かせてほしいと思います。

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