働く人とボランティア

音楽活動に取り組んでいる。中学時代からベースを弾いている。ブランクがありつつも、続けている。新型コロナウイルスショックや、生成AIの台頭によって「人間らしいことをしよう」と思い、ここ数年日常的に生の音楽を聴き、人前で演奏している。
いくつかのバンドを掛け持ちしている。以前、住んでいた東京都墨田区の町内会のバンドにいまだに在籍している。お祭りや、介護施設などで演奏することもある。子どもが押す車椅子でやってくる方が多数いる。『アルプスの少女ハイジ』の名シーン「クララが立った!」のように、車椅子の方が感動して立つということが本当にある。「あの曲をやっていただき、ありがとうございます」と、初対面の高齢者から感謝の言葉を伝えられることもある。
その瞬間、気付いた。私の音楽活動は、社会貢献活動、ボランティアなのかもしれない、と。
働く人とボランティアについて考える。ボランティアは実に多様である。ケアにかかわる仕事もあれば、語学や手話などのスキルを生かしたものもある。子どもと遊ぶ、私のように芸能で人を楽しませるのもボランティアだ。選挙の際に、チラシを配布する、電話がけをするなどの取り組みもボランティアと呼ばれる。
学生を引率し、千葉県松戸市での、海外ルーツの10代向け日本語教室にお邪魔したことがある。さまざまな国にルーツを持つ若者が、学校帰りにやってくる。先生役は面談しつつ、学校の宿題をサポートする。中高年の方が、ボランティアで先生役を担当する。定年退職した方、海外駐在経験のある方が中心だった。自身の経験を生かしつつ、日本のグローバル化、海外ルーツの若者の現状を体感する。
選挙のボランティアに参加した学生たちの体験談も興味深かった。選挙活動は街頭演説で成り立っているわけではない。地道な駅前でのチラシ配りなどの活動もある。多くの人は、受け取ってくれない。電話かけだってある。
ボランティアとは、社会への参加である。普段の仕事だけでは見えない現実に触れ、自分の知識や経験が思いがけないところで役立つことを知る。逆に、「役に立つつもり」で出かけた自分の方が学ぶこともある。仕事とは別の人間関係も生まれる。会社と家庭だけでは出会えなかった人、問題、価値観に触れる。この経験は、仕事にも人生にも返ってくる。
もっとも、働く人には時間の壁がある。災害が起きたとき、力になりたいと思っても、平日は仕事、週末は家事や育児という人は多い。だからこそ、ボランティア休暇など、参加するための余白をつくる意味は大きい。労働組合にも役割がある。地域の団体や被災地支援と組合員をつなぐ、情報を集める、参加のきっかけをつくる。会社の中だけではなく、社会と働く人を結び直す活動になり得る。
ただし、参加を半ば義務にしてはいけない。多忙な社員に週末の社会貢献活動まで求めれば、それは「善意の強制」になる。企業や組合のお手柄づくりでもない。ボランティアの出発点は、あくまで本人の意思である。
大きなことをしなくてもいい。自分には何ができるか。身近な地域にどんな場があるか。働くこととは別に、社会とかかわる。その入り口を増やすことから始めたい。

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