常見陽平のはたらく道2026.04

職場とキャラ

2026/04/14
人は、職場やSNSそれぞれで「キャラ」を持つことがある。演じる自由と押し付けの危うさを考えたい。

キャラについて考える。人は場に応じて、キャラを使い分けるようになっている。職場、家庭、地元などにより、自身のキャラは異なることだろう。SNSにおいても、複数のアカウントを使い分けている人がいる。それぞれ、キャラが異なる。

職場のキャラは、一部は役職、年次と連動する。管理職として、ベテランとして、期待される役割行動というものがある。物静かだった人も、部下に意識的に声をかけるようになる。強面だった人も、意識的に笑ったりする。

もっとも、このような役職とは関係のない、キャラというものもある。よく会社員を揶揄する言葉で、宴会部長というものがある。実際には管理職でも何でもなく、宴会の場になると元気になる人だ。企画力もさることながら、司会としての絶妙なトーク、役員や部長までも果敢にいじりたおす大胆さなど、雰囲気づくり、盛り上げ方に脱帽する。盛り上げ役のほかいじられ役なども存在する。

バンダイ時代は、「散らかし屋」と「片付け屋」がいた。散らかし屋は、アイデアなどをどんどん出し、前例のない挑戦をする人だ。片付け屋は、その企画を具体化したり、コンプライアンス違反がないように確認しつつ、予算やスケジュールを管理する人を指す。どちらが偉いわけではない。両方が存在するから、職場はうまくいく。

キャラとは、やや話がずれるが、職場のニックネームというものも味わい深い。以前の勤務先に「東海の眠れる獅子」という人がいた。名門大学卒で、ずっと期待されているのだが、成果が出ない若者のニックネームである。後藤Bさんという方もいた。事業部長と同期でベテランの後藤さんという方がいたので、関西から異動してきた彼は、後藤Bを襲名したのだった。

若者の間ではMBTI診断が流行っている。自分や相手をキャラとして、わかりやすく理解しようとする意図が、そこには感じられる。

もっとも、このキャラだが、職場でキャラを押し付けられる、決めつけられることをどう捉えるか。

自分から設定したキャラ、演じるキャラは、ときに自分を救ってくれる。ビジネスとプライベートで、キャラを使い分けたい人もいる。かつて日本の企業社会は、すべての人格を企業に差し出すものだとされてきた。ただ、それも酷ではないか。むしろ、ビジネス上のキャラを演じた方が、楽になる。

ただ、組織が押し付けるキャラを演じ続けるのは酷だ。そこに無理が生じないか。さらには、キャラの決めつけも困る。特に、「いじられキャラ」なるものは、ハラスメントまがいのものと言えないか。周りがつけるニックネームも、気をつけなくては、いじめそのものになる。愛があるようで、毒がないか。本人だけでなく、周りも聞いていて不愉快になっていないか。表面的にしか、その人を理解できていないのではないか。SNSと違い、匿名性もないがゆえに、逃げ場もない。

もちろん、この手のキャラ認定は、愛情表現、組織内のコミュニケーションを円滑にする手段だとみる人もいることだろう。ただ、本人が納得しているかどうかに注意したい。たとえ、同意しているようでも、弱い立場の人は、そうせざるを得ない場合もある。

新しい期が始まった。職場にも新しい仲間がやってくる。無理にキャラをつくる必要もないし、職場ですべてをさらけ出す必要もない。気持ち良い人間関係を。

常見 陽平 (つねみ ようへい) 千葉商科大学 教授。働き方評論家。ProFuture株式会社 HR総研 客員研究員。『日本の就活』(岩波書店)、『50代上等』(平凡社)、『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)、『「就活」と日本社会』(NHKブックス)、『なぜ、残業はなくならないのか』 (祥伝社)など著書多数。
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