女性労働運動を次世代へ「闘わないと要求は通らない」
女性運動をけん引した
坂本チエ子さんから私たちが学ぶこと

クミジョプロデューサー
労働組合役員になるまで
「本田先生が書いた『ビヨンド!』(新評論刊)には知人がたくさん出てきて懐かしかったです。『あとがき』で奥様とお酒を酌み交わすシーンがありますね。次回はぜひ夕方にお会いして、終了後に飲みに行きましょう!」
坂本チエ子さんの第一声である。「なにクミダンみたいなことを言ってるンスか!(笑)」と返したのは、2024年11月29日金曜の午前だった。待望のクミジョインタビュー(135人目)が情報労連本部会議室で始まった。
「日本最古の女子高校・栃木県立宇都宮女子高校でバレーボール部に入ってね。まだ9人制バレーでハーフセンターだった」「高校の教師に、“女はすぐに結婚して家庭に入るのが一番の幸せだよ”、と言われて反発した」「就職先の第一希望は日本交通公社(現JTB)だったけれど、募集書類に容姿端麗とか身長155センチ以上とか書いてあって……部活で日焼けした顔を鏡でしげしげと眺めたりして……諦めて、電電公社にしたの」「1961年に古河電報電話局へ電話交換手として配属された」「組合にはすぐ加入しました」
ずっと聞いていたくなる少女・学生時代の話で盛り上がっていたが、いよいよ労働組合の話に入っていく。
「みんなに慕われていた同じ職場の分会長が、鬼怒川温泉に遊びに行こう、と誘ってくれたのが支部大会だった」「ストライキを巡ってがんがん議論していたのを目の当たりにして、労組が何となく理解できたわけ」
こうして古河分会執行委員となり、栃木県支部執行委員となった。分会の教宣部長として目立っていた坂本さんを宇都宮駅で待ち伏せした支部の委員長と書記長は、喫茶店で猛烈に説得した。1965年には関東地本執行委員に就任して専従役員になった。この間に全電通が公務労協ではなく単独で打った全職場ストによる16万人の処分を撤回する活動を展開した。「私も昇給延伸処分を“いただきました”」と坂本さん。
家庭生活と労働運動
クミジョ、クミダンにかかわらず、現役とOG・OBそれぞれの話には有益な点が多い。OG・OBは、現役時代の出来事や経験に対する評価や分析が豊かである。時を超えた地点に連れていき、その時の情景を見せ、先入観や誤解を覆してくれる。人間と人間が会って話すことの大切さを知るのはこういう時である。
まず、ご家族との生活について聞いた。クミジョ研究ではその人生が見えないことが多い。金字塔といわれる連合総研の赤い本(『労働運動を切り拓く』)だって、ほとんど触れていない。というか聞いていないのではないか。
パートナーとの出会い、結婚やお嬢さまの出産の時のこと、住宅を探し回って社宅に行き着いた話、義父母との同居生活、子育てなど。現在と同じく、既婚で子どもがいるクミジョは人数構成の逆ピラミッド先端のレアケースである。その仕事ぶりと生活実態の間で揺れる心情は、現在にも通じるクミジョのリアルな姿の一つである。
坂本さんは女性組織の長などの女性活動の専任者としてではなく、地方であれ中央であれ、クミダンと肩を並べる執行委員としてまい進してきた。その意味では、クミジョ増強不全にきゅうきゅうとする労働界では理想像(最終目標)に近いクミジョである(善しあしの話でも、能力主義の問題でもない、念のため)。
労組の活動は、初仕事となった電電公社局舎でのビラ張りから始まり、線路(通信線)職場を皮切りに男性職場へ展開した春闘オルグ、家族委員(地域の組合員家族組織の代表)の集会運営、女性の要求の掘り起こしと集約、早朝夜間呼(電話使用量)の調査分析、選挙活動、「男女雇用機会均等法」の労働省座り込み、情報労連、中央労働委員会(本誌2007年3月号)など。振り返りには、「この時は妊娠中でみんなに心配されて……」「あの時は義父が病気になって……」と生活の息づかいを感じた。
山野和子との関係
全電通は、「育児休業法」制定より20年以上前の1960年代に育児休職協約を締結した先見的な労組として知られる。だが休職後の女性が退職すれば、絵に描いた餅になる。当時、女性は家庭に帰れ、という社会の風潮があった。1970年代に台頭した「女教師問題」と同根の、ジェンダーギャップ指数最劣悪国ならではの黒い圧力である。坂本さんは、女性組合員の家庭訪問を繰り返し、休職後の復帰確認や説得のオルグに心を砕いて、素晴らしい制度に“魂”を入れた。
人間関係の注目点の一つは、山野和子氏との関係であろう。山野氏は全電通東海地本の執行委員で、関東地本の坂本さんと2年ほど会議で同席していた。その後、総評婦人部長の山本まき子氏(全逓)が、ぜひ山野さんを後継に、と坂本さんに説得を依頼したという。坂本さんは山野氏本人の葬儀を任されるほど親密であった。山野氏は総評婦人部長となり、「男女雇用機会均等法」制定では労組側の責任者として指揮を執った。
坂本さんが描く山野氏、山本氏の人物像は詳細で白眉であった。ともに故人で、もう会えないからである。山野氏だけでなく、山本氏の解像度も上がった。
「闘わないと要求は通らない」
坂本さんは、徹底して女性役員の増員を唱えた。意思決定の場に女性がいること、そのために本部だけでなく支部も分会も執行委員の中に必ず女性を入れることを要求した。クミダンたちの反発があったが、はね返して全国大会の方針に盛り込めた。そんなことでも当時は快挙だ、と坂本さんは笑った。クミダンの反発の中に、“女性は別枠で青年・婦人運動に入れておけばよい”という偏狭な意図を見抜いたという。歴史、社会、個人がつながっていることを教えてくれる言明である。
「闘わないと要求は通らない」は、坂本さんのパワーワードである(本誌2019年6月号)。意訳すれば「自然に任せていたら絶対ダメ」である。坂本さんは、「私のようになれ」などとは決して口にしない。伝えたかったのは、意思決定の場に女性がいる制度をつくるだけでなく、その制度に“魂”を入れることではなかったか。坂本さんは山野氏と再会したのだろうか(合掌)。
追記:通信産業の女性労働運動に興味のある読者のために。坂本さんから、全電通・婦人常任委員会発行の2冊の本を手渡され、読後に返却した。『殻をやぶって 全電通婦人運動のあゆみ』『通信女たちの追憶』である。前者は協約や制度の内部事情を含めた詳細、後者は第2次世界大戦中の女性労働者の実態がわかる。![情報労連[情報産業労働組合連合会]](/common/images/logo_ictj.png)

