特集2016.08-09

72年目の戦後責任
過去と向き合い、未来をつくる
未来志向こそ核兵器廃絶への道
人類普遍の視点で「ネバーギブアップ」

2016/08/17
原爆という未曽有の戦争被害を受け、現代にその体験を伝え続けている被爆者の方たち。原爆の歴史を未来につなげ、核兵器廃絶を実現するために今何を思うのだろうか。
坪井 直(つぼい すなお) 日本原水爆被害者団体協議会代表委員
大正14年(1925年)生まれ。旧制官立広島工業専門学校(現在の広島大学工学部)の学生だった20歳の時に被爆。元教諭。

「うしろを振り向かん方じゃけの」

91歳の被爆者・坪井直さんは、自らのことをこう評する。アメリカ大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏にも「未来志向」のメッセージを伝えた。想像を絶する苦難を経験して、なお「未来志向」を繰り返し強調するのはなぜだろうか。

10度の入退院と3度の危篤

1945年8月6日、坪井さんは爆心地から1キロ地点で原爆の放射能と爆風と熱線の直撃を受けた。顔、両手、背中、腰、両足など、ほとんどの部位にやけどを負い、爆風で10メートルは吹き飛ばされた。原爆投下後3時間後に撮影された写真には坪井さんの姿が写っている。

坪井さんは被爆後から約1週間、焦土と化した広島市内をさまよい歩き、その後、およそ40日間、意識不明になった。

現在まで10度の入退院を繰り返し、今も大腸がん、前立腺がん、狭心症などを患う。放射線によってもたらされた後遺症だ。そのうちの3回は面会謝絶の危篤状態に追い込まれた。

「もうダメですかねと言われて、あくる朝になったら、生きとる。10年目、18年目、23年目は面会謝絶の危篤状態になった。そういうことが起こる。放射能いうのは」。だが、それでも坪井さんは未来志向を語る。

「苦しいこともある。これで最期かのぉと思うこともある。しかし、そういうときも、『おい、坪井よ、あきらめるんじゃないぞ』。英語で言うなら『ネバーギブアップ』。それが専門じゃけぇ」。坪井さんは笑う。91歳になったが、エネルギーに満ちあふれている。

オバマ大統領との対話

日本原水爆被害者団体協議会は、オバマ大統領のプラハ演説直後から広島訪問を要請していた。今年5月27日、7年越しの願いが実現した。

坪井さんは式典の当日にオバマ大統領と対話する時間があることを知った。会場に入り、座席に向かう途中で政府の職員から説明を受けたという。

「どうしようかのぉ。せめて3日前に言ってくれればと文句ばかり考えておった。式典をやりだしたときには、何を言おうかと。心臓が三つあっても足りんかった」

17分に及ぶオバマ大統領の演説の間、坪井さんは三つのポイントを考えていた。「過去・現在・未来」だ。坪井さんの胸は高まった。オバマ大統領が坪井さんの手を握ったあとに、坪井さんはこう語りかけたと振り返る。

「91歳の被爆者・坪井直です。私たちはあなた方に謝罪を求めません。私たちは未来志向に生きているんです。あなたが来られたことに感謝しています」

日本原水爆被害者団体協議会は、オバマ大統領の来広前に謝罪を求めないことを確認していた。こうして、坪井さんは最初に過去に対する考え方をオバマ大統領に伝えた。

次にこう語りかけた。

「(原爆)資料館を見学する時間が15分。ちょっと少ないですね。被爆者に話を聞くといっても2~3分。これも短い。原爆の全体像は被爆者の話を聞いてわかるようになるんです」

「オバマさん、来年には大統領をお辞めになるそうで、そうしたらお暇もできるでしょうから、こんな短い時間ではなく、広島にしばしばやってきてください」

そして、未来の話をする。

「あなたのめざす核兵器のない世界と私たちのめざす世界は同じ世界なんです。被爆者は、あなたと一緒にがんばる。今はゴールではないです。これからがスタートですよ、というようなことも言った。未来志向にね、と言うてね」。すると、坪井さんの耳に大きな声で「サンキュー」と聞こえてきた。

坪井さんは笑う。「世界の大統領にえらいこというのぉ。いかにも友達に話しかけるようにしゃべって。いつからそんなに偉くなったのかと、同級生にぼろくそに言われたんよ」。当日のことを振り返る坪井さんの表情はとても明るい。

理想に生きる限り若々しい

「あんなことを言わずに、ケンカすりゃいいという人もいたんよ」と坪井さんは打ち明ける。坪井さんもその心情を理解する。想像しがたい苦難を経験して、アメリカに対する憎しみもあった。中学教師時代は「ピカドン先生」を名乗り、生徒に被爆体験を語った。

「ものすごい放射線を受けとるんじゃけんの。むちゃくちゃなことをやられた。アメリカ憎しがないと言うたら嘘で、あるんです。これは。あるんですけど、それを乗り越えていくのが未来志向よ」

考え方が変わってきたのは、年齢が80代後半になってからだという。

「アメリカじゃ、日本じゃ、ということではダメで、人類からモノを見なくちゃいかんと。肌の色が違おとろうと、民族がどうであろうと、関係ない。みんな同じ。人類が幸せになれるか、平和になれるかが先じゃ言うようになった」

「いまの原爆は小型で、威力が昔の何百倍にもなる。無人機でも運べる。水爆なら威力は桁が違う。日本がどうのこうの言う前に、地球がなくなる、人類がダメになる」

「そうしたら、あと100年も人類は持ちはせん。そういうように考えるか、それとも、いつか敵をうたにゃいけんと考えるかどっちがいいかね」

坪井さんがこうした考え方に至るまでの心の葛藤はいかばかりか。深い思索の歩みに思いをはせずにいられない。

坪井さんから受け取った資料には、自身のこんな言葉が載っていた。

『人は理想を追う勇気を失った時、すべて終わりだ。人は理想に生きる限り、若々しい』

坪井さんはこの言葉をまさに体現する人のように思えた。あくまで未来志向。それこそが坪井さんのエネルギーの源なのだ。文章はこう締めくくられている。

『何事にもネバーギブアップ!!』

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