トピックス2025.03

組織内議員「吉川さおり」紹介「吉川さおり」が政治を志したきっかけ
学生・就職活動などの経験が背景に

2025/03/14
組織内参議院議員として活躍する「吉川さおり」さん。政治を志したきっかけは何だったのだろうか。そこには学生時代のアルバイトや就職活動の経験があった。
吉川 さおり 参議院議員

学生時代の運送会社で働いた経験

組織内議員の吉川さおりさんは、同志社大学文学部に在籍していました。在学中は、日本育英会(現・日本学生支援機構)の奨学金の貸与を受けつつ、早朝に週6日間、宅急便の荷物を地域ごとに仕分け、配送トラックに積み込む「早朝アシスト」を4年間、経験しています。

早朝の荷物の仕分けと積み込み作業は、お中元・お歳暮や年度末、新生活となる引っ越しの時期は、荷物の取扱量が大幅に増えることから多忙を極めます。

この「早朝アシスト」は、朝5時からのシフトでしたが、当時の「労働基準法」では、特定の業種以外、女性の深夜業務に制限があり、夜22時から翌日の早朝5時までは、働くことができませんでした。タイムカードを4時59分に打刻すると、法律に抵触することになり、5時1分になると「遅刻扱い」となるのです。

吉川議員が社会人となった1999年4月に「労働基準法」が改正され、(1)女性の労働時間(2)時間外および休日勤務(3)深夜業務──などの規制が撤廃され、女性は男性と同じ労働条件で働くことができるようになりました。この学生時代の出来事が政治をめざすきっかけの一つとなりました。

働くことは生活の基本です。誰もが働きやすい環境を整備することは、労働組合出身の組織内議員の責務として、まじめに働く人が報われる社会の実現に向け、働く者の声を国政の場に届けています。

学生時代の早朝アシストの様子

就職活動時の体験

1990年代のバブル崩壊で、株価下落による資産縮小や融資制限などを背景に債務不履行が増加しました。銀行は貸付資金の回収が困難となり、多くの不良債権を抱えたことで、融資は慎重(貸し渋り)となり、絶対につぶれないといわれた企業の倒産も相次いで起こったのです。

当時は産業界と大学で、(1)会社訪問開始日(2)選考開始日──などを定めた「就職協定」がありました。吉川議員が就職活動をする前年の1997年に就職協定が廃止となり、経済状況の悪化で、多くの企業が採用を控えたのです。「就職氷河期」真っただ中での就職活動を経験することとなりました。

また、停滞する経済の影響で正規雇用が減り、非正規雇用が増え始めたのもこの時期です。特に非正規雇用は、女性が多くを占めていました。社会人としてのスタートを望まない雇用形態で受け入れざるを得なかったのです。

1999年、日本電信電話株式会社(NTT)に入社し、その後、NTT西日本の法人営業本部に配属となり、教育機関に対するシステム提案・営業等に携わっていました。その一方で、同世代の多くが一生懸命に就職活動をしても社会に出られないという現実の中で、「就職氷河期」の問題を強く意識したのもこの時期です。

当時、吉川議員は仕事を続けながら週末を中心に大学院に通い、公共政策を専攻し、情報通信分野に関することも学び、2年間で修士号を取得しています。

大学院在学中、仕事と政治のかかわりを改めて実感するとともに、分会執行委員の活動を通じて、情報通信政策や雇用条件、労働者保護ルールなどが政治に大きく左右されている現実を実感するようになり、政治の世界に一歩を踏み出す決意をしています。

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