特集2026.03

復興の力
人の力が復興の源
住民をエンパワーメントする
「顔の見える黒子」
「みながかり」で紡いだ15年

2026/03/13
東日本大震災から15年。南三陸町で続く住民主体の取り組みは、地域を支える力そのものだった。その歩みから労働組合が学び取れることは多い。
髙橋 吏佳 南三陸町社会福祉協議会
事務局長兼総務課長

──東日本大震災から間もなく15年。最近の特徴的な出来事はありますか。

全国的に関心が高いのが、今年3月に終了する復興災害交付金です。南三陸町では今年度末で終了する予定のものを1年前倒して終了しました。

生活支援事業の終了に対しては住民から不安の声がありました。南三陸町社協では震災直後から仮設住宅での見守り活動を行政からの委託を受けて続けてきました。被災した地域住民が生活支援員となり、多いときには200人以上の雇用を生みました。仮設住宅から復興住宅などへの転居が進んだ後も、名称を「ライフ・サポート・アドバイザー(LSA)」に変更し、人数は縮小したものの、活動を続けてきました。

そのため事業の終了を不安視する声をたくさん聞いてきました。行政としては民生委員や行政区長が中心となった震災前の体制に戻していくという考え方でしたが、住民の生活環境は震災前と大きく変化していることを踏まえると、従来どおりに戻すという考え方には違和感がありました。

こうした経緯もあって、住民の皆さんや社協が折に触れて見守り事業の必要性を訴え続けました。その結果、町の単独事業として継続されることが決まりました。体制は8人から4人へと縮小されましたが、それでも2025年4月から町独自の取り組みとして継続することが決まりました。

──生活支援の取り組みはなぜ重要なのでしょうか。

南三陸町では、被災した住民の皆さん自身が担い手になり、見守り事業を支えてきました。だからこそ、一人ひとりの生活背景や家族の日常まで見え、個別の状況に応じた丁寧な支援が可能になりました。

町には、社協の生活支援事業以外にもさまざまな行政サービスがあります。制度にうまくつながればよいのですが、つながらない場合も少なくありません。「相談するほどではないけれど、ちょっと聞いてほしい」「どうしたらいいのかわからない」という人はたくさんいます。そうした小さなサインに気付き、課題が深刻化する前に防ぐ力がこの取り組みにはあると感じています。

──生活支援事業の役割はどう変わりましたか?

震災直後は、孤独死や孤立防止を大きな目標に掲げていましたが、時間の経過とともにその目標も変化してきました。今では、住民が主体となって動ける地域づくりをめざしています。

こうした目標の変化を振り返るだけでも、15年間の歩みを実感します。社協は震災前から個別支援に取り組んできましたが、その内容は生活困窮など理由が明確なケースへの支援が中心でした。ところが、震災を契機に目の前にいる人の誰もが「被災者」になりました。その時点で、社協の取り組みをもっと広げる必要性に気付きました。そこから一人ひとりの声に耳を傾け、「一緒に居場所をつくってみましょう」と住民を巻き込む形でコミュニティーの輪を少しずつ広げていきました。その中で、「育ってきたこの街を盛り上げるために何かをしたい」という思いが住民の皆さんからふつふつと湧き上がってくるのを感じました。社協としては、その気持ちの変化を見逃さずにエンパワーメントする取り組みを続けてきました。「みんなで楽しく取り組めることは何か」を一緒に考え、実現する仕組みづくりを進めてきました。これが南三陸町のスタイルだったのだと思います。

──住民主体の活動が継続できたポイントはありますか?

コロナ禍でも、「えんがわカフェ」「みんな食堂」「走らない大運動会」といった住民主体の活動は続けてきました。住民主体の実行委員会には社協も加わり、「顔の見える黒子」として伴走型支援を続けてきました。そのことが活動を継続できたポイントの一つだと感じます。以前、「みんな食堂」のお母さんから、こんな言葉をかけられました。「住民だけで運営している活動も多いけど、社協がかかわってくれることで荷物を分け合える」。住民の主体性を大切にしながらも、負担を住民だけに押し付けず、社協の支援とのバランスを大切にしてきたことが、活動を続けられた理由の一つだと感じています。

──地域にはどのような課題がありますか。

少子高齢化をはじめとして地域の課題はたくさんあります。でも、それを理由にしてしまえば、何も始まりません。私たちは、東日本大震災という大変な経験を乗り越え、みんなで立ち上がってきた地域です。あのときに比べれば、何でもできる。人が少ないなら少ないなりに、工夫してやっていこう。そんな話を住民の皆さんとしています。そう考えると、乗り越えられないほど大きな課題はないのではないかと感じています。

──復興とは、どのような状態をイメージすればよいのでしょうか。

「心の復興」の遅れを指摘する声もありますが、私は、「心の復興」も確実に進んでいると感じています。それを感じたのは、2024年の能登半島地震の時でした。年明けに出勤すると地域の皆さんが次々と募金に訪れてくれました。自分たちが被災したときに助けてもらったから、今度は何かの形でそれを返したい、と。その姿を見たときに自分たちはもう被災者ではないと感じました。

──中間団体として社協が果たしてきた役割をどう捉えていますか?

私たちは、住民の皆さんの声を受け止め、その解決策を一緒に考える地域のプラットフォームのような存在でありたいと考えています。「社協に行けば、どこかにつないでもらえる」。そう思ってもらえることを大切にしています。野球でいえば、全体が見えるキャッチャーのような存在です。ボールを受け止めたら、次にどこへ投げるのかを考え、判断する。そうしたスキルは経験の中で積み上げられるものだと捉えています。

──労働組合の活動と共通点がたくさんありますね。

私たちの活動している姿を見て、「なんだか楽しそうだね」と言ってくれる住民の方がいます。「楽しそうだから、参加してみたい」と実際の活動に加わってくれる人もいます。大切なのは、楽しく取り組むことなのだと思います。社協には苦しい相談もたくさん寄せられますが、基本はやはり「笑う門にはふくしあり」。きれいごとのように聞こえるかもしれませんが、みんなが笑い合えるような地域づくりが大事なのだと思います。

そのためには自分たちが楽しむ視点を持つことが大切だと思います。その根幹には失った多くの命のためにも、ここにいる自分たちが踏ん張って生きていく姿を見せたい!そんな気持ちがあるのだと思います。

──全国の皆さんのメッセージを。

一人で何かを成し遂げることはできません。だからこそ私たちは、「みながかり」という言葉を大切にしてきました。二人がかり、三人がかりという言い方がありますが、それを「みんなでやる」という意味の言葉です。地域全体で支え合う、その積み重ねが、この15年だったのだと思います。

これらの歩みを振り返る場として、3月23日に「みながかりの15年、そしてこれから」と題したフォーラムを開きます。被災者が被災者を支え、地域の担い手となるこれまでの実践を全国の方々と共有し、次の一歩を考える機会にし、皆さんともぜひ共有したいと思っています。

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