72年目の戦後責任
過去と向き合い、未来をつくる現代も後を絶たない人権侵害
シリア難民問題に目を向けて
わずか数年で廃虚に
まず、次のウェブニュースを見てほしい。
「わずか数年で激変…シリアの街の内戦ビフォー・アフターの写真に心が痛む」
サイトを見てもらうと、シリア最大の都市アレッポが激しい戦闘や空爆で廃虚と化した様子が一目でわかる。
シリアで内戦が始まったのは約5年半前。2011年3月のことだ。シリアは、内戦勃発まで世界でも多くの難民を「受け入れる側」の国の一つだった。国連UNHCR協会の中村恵さんは、「シリアはイラクから難民を受け入れ、難民支援の視察対象になる国でした。アレッポは観光都市。そうした国が、このような状況になるとは考えてもいませんでした。怖いくらいあっという間に変わってしまった」と驚きを隠さない。
内戦によるダメージは深刻だ。死者数はこれまで約25万人。シリア国外において難民と登録されている人は今年7月時点で約480万人、国内で避難している人は約660万人に上る。シリアの人口は約2200万人なので、国の人口の約半数が強制的に避難を余儀なくされているという、未曽有の人道危機が生じている。
「人的災害で移動を強いられた人の数は世界で約6500万人とされています。これは第二次世界大戦後最悪の数値です。シリア内戦はその大きな要因になっています」と中村さんは解説する。
厳しい難民の生活
シリア国内では激化する空爆や戦闘で学校や病院の半数が破壊され、社会の機能がほぼ失われている地域も多い。国内で避難を余儀なくされている人たちは、厳しい貧困に苦しみ、空爆や戦闘の恐怖にさらされている。
一方、多くの人たちが国境を越えて難民となっている。2015年からは危険を冒しながらも地中海を渡ってEUに入国しようとする人たちが爆発的に増加した。9月には海を渡る途中で溺死した3歳のシリア難民の子どもの写真が報道され、世界に衝撃を与えた。シリア難民が置かれた状況について中村さんはこう解説する。
「シリア難民はトルコやレバノンといった周辺国にまず逃れます。その後、時間が経過するほど、周辺国にいる難民の人たちは、そこにとどまるべきか悩みます」
「難民キャンプで暮らしている人は全体の約15%で、残りの8割以上の人たちは都市部で家賃を支払うなどして生活しています。ですが、時間が経過するにつれて、貯金が底をつき、借金も増えていきます。子どもにきちんとした教育を受けさせることもできません。10歳の子どもは5年たてば15歳になっています。この期間に十分な教育を受けられない焦りは大きくなります」
「そこに、ドイツに行けば住居が提供され、学校にも通えるという情報が伝わってきます。いま行かなければ密航業者に支払うお金もなくなってしまう。そういう危機感から危険を冒してでも海を渡る人たちが増えたと言われています」
EUは、大量の難民が押し寄せたことで対応に苦慮している。トルコからギリシャを経由してドイツなどに向かう難民が激増したことで、ギリシャの周辺国が国境を封鎖するなどの措置に及び、ギリシャに難民が滞留する事態が起きた。これに対してEUは、ギリシャからトルコへ難民を送還することを決め、今春から実行に移されている。難民キャンプなどでの厳しい生活の様子も伝えられている。
周辺国への支援に注力
こうした事態に対してUNHCRなどは、シリア周辺国に対する支援を重視していると中村さんは解説する。
「支援団体は、シリア周辺の5カ国(トルコ、レバノン、ヨルダン、エジプト、イラク)における難民の生活をケアできるように努力しています。支援団体の最近のリポートは、難民生活における脆弱性に注視しています。例えば、レバノンで生活する難民世帯は平均990ドルの借金を背負っているとされています。貧困状態を放置すればイチかバチか密航に賭ける人たちも増えてくるでしょう」
「そのため周辺国で何とか生活できるようにしないといけません。今年2月に開かれた国際会議では、トルコやレバノンなどの周辺国が生計維持や教育に対して積極的な対策を打ち出すことを決めました。EUをはじめとした国際社会はその対策に対して資金提供していくことを約束しました。すでに、ヨルダンでは1万1500人に就業許可証を発行し、トルコでは難民の就労に対して最低賃金を適用するよう法律を改正するなどの対応がとられています」
「このように周辺国で難民の生活をケアするとともに、第三国定住や人道的な受け入れの仕組みをつうじて世界各国が責任を平等に分担するようUNHCRは求めています。つまり、法的な枠組みをつくり、難民が密航しないですむような仕組みを整えるべきだと訴えています」
日本とシリア難民問題
シリア難民問題に関して、日本政府は今年5月、2017年から5年間で最大150人の若者を留学生として受け入れることを決めた。
「UNHCRを含む支援団体は、シリア問題に関して連携して日本政府に難民受け入れなどを要請してきました。今回の対応は難民の受け入れとは異なる形ですが、大きな一歩だと捉えています」と中村さんは評価する。
「留学生が日本に来れば、市民は留学生の隣人になるかもしれません。日本で勉強したあとに留学生たちが母国に帰れなかったらどうすべきか。働く場所はどうするのか。今回の受け入れ一つとってもさまざまな対応が求められます」
「そこで重要になるのが、市民社会の後押しです。政府はあくまで橋渡し役です。市民社会で受け入れの機運が高まるかどうかが大切になってきます」
難民の受け入れと聞いて具体的なイメージが浮かばないという人も多いかもしれない。「ですが」と中村さんは指摘する。
「日本も過去にベトナムやラオス、カンボジアから当時『ボートピープル』と呼ばれた難民(インドシナ難民)を1万1000人以上、受け入れています。いま、その2世、3世の人たちは、平和になったそれらの国と日本との懸け橋になってくれています。長期的な視点でみると難民の受け入れが将来への懸け橋となるのです」
1991年から2000年まで国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子さんは、国連UNHCR協会のニュースレターの中で「良質な情報を発信し続けることが大切です。これまでの成功例をもっと話していかなければなりません」と述べている。日本社会で難民受け入れの機運を高めるためにインドシナ難民受け入れのような事例を積極的に伝えることも大切だと中村さんは強調する。
小さな判断の積み重ね
「シリアの現状を見ると、いまできることに一所懸命取り組むことが、自分たちの未来を守ることにつながるのだと感じます。シリアの人たちがこうなってしまった理由を個人の視点から説明することは困難でしょうが、私たちの一つ一つの小さな判断が未来を左右するのだと思います」
七十数年前、日本人はわずか数年で各地の街が廃虚となる経験をした。そうした過去に向き合えば、シリアの出来事が決して人ごとではなくなるはずだ。
国連UNHCR協会では難民支援の呼びかけを続けている。サイトからの寄付も可能だ。過去と向き合えば、遠い地の出来事であっても、思いをはせることができる。過去と対話することが未来をつくるための次の行動につながるはずだ。
UNHCRは、国連難民高等弁務官事務所(United Nations High Commissioner for Refugees)の略称で、1950年に設立された国連機関の一つ。日本にもUNHCR駐日事務所がある。特定非営利活動法人 国連UNHCR協会は、日本の民間(個人・企業・団体)への広報・募金活動を行っている。