分断社会を乗り越えろ!雇用の流動化で学歴分断が明瞭に
18~22歳・非大卒層への支援を
専門は社会学。著書に『学歴分断社会』(ちくま新書)、『学歴と格差・不平等―成熟する日本型学歴社会』(東京大学出版会)、『学歴・競争・人生 10代のいま知っておくべきこと(どう考える?ニッポンの教育問題シリーズ)』(共著、日本図書センター)など
学歴分断の明瞭化
大卒層と非大卒層が常勤の職業で同じように働き続けた場合、生涯賃金に明らかな違いのあることが労働経済の専門家によって実証されています。
一方、あまり知られていませんが、日本の大卒層は、他国に比べて収益率があまり高くありません。高い学費を払ってもその分のお金をただちに回収できるほど有利な賃金を得ているわけではないということです。
それでも、日本の労働市場は大卒層と非大卒層とではっきりと分断しています。つまり大卒層は圧倒的に有利というわけではないけれど、非大卒層は「ガラスの天井」を打ち破ることはできない。これが正確な理解だと思います。
典型的な終身雇用を考えた場合、1980年代に初職に就いた人は、就職してから退職するまで、履歴書を最初に1枚だけ書けば働き続けられました。しかし、非正規雇用が増加し、雇用が流動化すると、職業生活の途上で履歴書を使い、他人と競争する場面が増えてきます。こうして履歴書を用いて他人と競争するようになると、学歴では大卒層がどうしても有利になります。非大卒層は転職の機会が増えるほど、繰り返し不利な状況で競争せざるを得ず、厳しい状況に追い込まれていきます。このように雇用の流動化は、学歴分断を明瞭化する方向に作用しています。私が懸念するのはこの点です。
18~22歳の雇用安定
このような問題の解決策として私は、大卒層の賃金のメリットをなくし、非大卒層と平等化すれば良いとは考えていません。個人が自分に投資した大学学費については、何らかの形で元が取れるようにしなければ割に合わないからです。
では、どのように考えるべきでしょうか。ここで、高校3年生の立場になって考えてみてください。
その生徒には、大学に進学するか、就職するかの二つのライフコースがあります。大学に進学すると、教育費用はかかりますが、「大卒カード」を得ることができます。もう一方は、高校卒業後に就職するコースです。この場合、18歳から働くので、大卒層より賃金を得られる期間が長くなります。
この両者の生涯賃金の総額は、30代前半で逆転します。非大卒層は20代前半は大卒層より多くの賃金を得ますが、数年で大卒層に逆転され、その先ではどんどん差が開きます。このように考えると、非大卒層が有利なのは大卒層が通学している18~22歳までの期間です。この期間のうちに安定した職に就き、仕事の能力を蓄積しておく必要があります。それが大卒層より有利なところから人生をスタートするためのポイントです。
けれども、現状ではこの層の雇用が一番流動化しています。使用者も労働組合も、この層の安定雇用や能力開発にほとんど関与していません。これでは、大卒層と非大卒層に必要以上の差がついてしまいます。
マクロに見れば、非大卒層は人口の半分を占める基幹労働力です。その人たちが30~40代になって、やる気を失っている状態になってしまえば、社会全体が成り立ちません。そうならないようにするには、非大卒層の若者たちの人生を良い方向に導くために、雇用や労働環境が守られるようにしなければいけません。例えば、非大卒層の若者を雇用した企業に対して補助金を助成するといった公的な支援を検討する必要もあるでしょう。
「低学歴」から「軽学歴」へ
いまは大卒層にメリットが偏り過ぎています。就職する際も、失業のリスクも、昇進のチャンスも、ローンを組む際も、すべて大卒層が有利です。日本社会を飛行機に例えると、半分の翼だけに揚力と推力が与えられているようなものです。
日本の教育制度は、小学校から高校までの12年間を通じて、労働力として他国以上に質の高い人材を育てています。けれども、国内ではその高卒学歴は「低学歴」とみなされることがあります。社会全体がこの見方を変える必要があります。大卒層は高い学費を負担する「重学歴」、高卒はその費用を負担せずに労働市場に参入する「軽学歴」と考えてみてはどうでしょうか。
高校3年生の若者が、自分が納得して選択をし、胸を張って就職を選んだ(それを前提に専門学校を選択した)と言えるようにしなければいけません。
大卒層有利の背景には、社会の成功イメージが大卒層しか実現できないようなものになっていることがあります。例えば地方では、都会のいい大学に行って、都会でそのまま大企業に勤めることが成功イメージになっています。他方で、高卒で地方に残り、地域で働くイメージは、「低学歴」で、仕方なくなるものだと思われています。
しかし、本来であれば、地方で長く働いている私こそがこの地域を背負っているとか、私がいなければこの地域の仕事は回らないとか、そういう誇りを持てるはずなのです。高学歴エリートがわずかしかいなかった時代は、非大卒層の労働者が、会社内での職能によって学歴をしのぐような自尊心を得ていた時代がありました。それが、雇用の流動化などを背景に誇りを持てなくなってしまいました。そういう誇りをあらゆる若年労働者が持てるように社会が後押しをしてあげるべきです。
世代内の助け合い
このように社会の側が発想を転換すれば、地域で暮らし働く若者たちは、社会に貢献していると思えるようになります。その若者たちが、地域コミュニティや自分の働いている会社の労働環境の改善に積極的に関与するようになれば、日本社会の再生につながると思います。
ですが、その芽が出てくるのを待つだけでもいけません。私は、授業でむしろ大学生の側に積極的に呼び掛けています。人は生まれてからずっと同一世代の中で生きていきます。若い世代にとって非大卒層は世代人口の半分を占めています。とすると、その人びとのことを考えなければ、社会は正常に動作できません。大卒層の若者が、非大卒層の人たちのことを考えなければ、飛行機は片方の翼を失い、飛ぶことができないのです。
今の若者たちは、困っている人が自分の周辺にいるのはよくないことだという共感力を小中学校でしっかり学んでいます。ですから、同世代の非大卒層に対するアファーマティブアクションにも賛成してくれると思います。自分の所属集団の中で困っている人がいれば、その人を助けようとするのです。
ただし、そこで問題となるのは、労働組合の組織率低下に見られるように、所属集団の枠組みが少なくなっていることです。「私たち」という帰属意識を持てる場をつくり直せば、若者たちは困っている人を助けることに強く反応してくれるはずです。
18~22歳の非大卒層の若者は、労働組合が囲い込みに失敗している人たちではないでしょうか。この層の若者たちは、日本の労働市場の中で不利な状況に置かれています。この層こそが最も大切な私たちの仲間であるという自覚を持って、彼・彼女たちの雇用や労働環境を守る必要があります。