特集2022.07

AIと人事・働き方
働く側はどう向き合うか
AIはあくまでツール
関係性が生み出す価値こそが大切

2022/07/12
人事労務にAIを導入すると、どのような変化が生じるのだろうか。AIはツールにすぎない。人と人との関係、価値を生み出す関係性に目を向けることが重要だ。人事労務の識者に聞いた。
江夏 幾多郎 神戸大学准教授

同意と「知られない権利」

いわゆる「人事DX」にAIが必須というわけでもありません。これまでにも会社は人事データを構築し、統計ソフトを利用して分析してきました。AIはその作業をある程度の範囲で自動化するに過ぎません。特に、「何をデータ化するか」や「分析結果が何を意味するか」は、人しか判断できません。「何をデータ化するか」は、単なる思考作業ではありません。

データ収集の前提となるのが、会社と従業員の信頼関係です。従業員に隠れてデータを収集・分析し、経営管理に応用すれば、従業員の間に不信感が生じ、彼らのパフォーマンスが低下する可能性もあります。従業員には、会社の経営資源、つまり会社の一部という色彩だけでなく、会社の外部で会社と対等な関係を持つステークホルダーという色彩もあります。個人情報保護という社会的責任の観点から、従業員の同意の上でのデータ活用が求められます。

従業員の「知られない権利」「忘れられる権利」も会社として保障したいものです。従業員のパフォーマンスや報酬の向上につながる可能性があるとしても、何でもデータ化し、保管し続けていいわけではありません。実は従業員本人がこの権利にうといことも考えられるので、労使関係の中で啓発することも課題になるはずです。

良質なデータづくりが第一歩

有益なデータ分析のため、まずは質の高いデータをつくる必要があります。

何が聞きたいのかはっきりしない質問を人やAIが解析してもあまり意味がありません。質問の仕方を工夫するとともに、質問に正直に答えられる社内の風土を整える必要もあります。

2010年代にグーグルが働き方のデータを分析して「心理的安全性」の重要性を見いだせたのは、良質なデータがあったからでした。「心理的安全性」という概念は研究の世界では1990年代から提唱されていて、概念定義も測定尺度も定まったものがあります。そのため、理論的かつ正確で、実現可能な知見が出てきました。データ分析から有益な成果を引き出したければ、良質な、すなわち理論や測定論的な裏付けを持ったデータをつくることが重要です。

裏を返せば、AIなどの技術的発展が進んでも、それをむやみに使えばいいわけではありません。「これを調べたい」というビジョン、「こういうことがあるんじゃないか」という仮説がまずあって、その妥当性をデータで確かめるという順番が大切です。「データを取って分析したら何かわかるだろう」という姿勢では、いいデータは取れませんし、分析結果の解釈もいい加減なものになります。

冒頭で、「分析結果が何を意味するか」は人しか判断できないと述べました。AIにやらせようと思ってやれることは、この分析結果がどの程度一般的なのか、同じような結果がどこで(誰が)示したか、くらいでしょう。分析結果の解釈や説明の面倒さに耐えられないのであれば、AIを使わない方がよいでしょう。

例えば、従業員のある性格特性と人事評価に相関関係があったとします。なぜそうなったのかについては先行研究で理解できるかもしれないし、そうした研究をAIがリコメンドすることはあるでしょう。しかし、研究の主張を正しいとするかどうか、実務に応用するかどうかは、人が決めないといけません。そこでは、論理だけでなく、差別や道徳についての社会通念や常識感覚、法規制が考慮に入れられなければなりません。

またAIのアルゴリズムが複雑になるほど、分析結果は正確になるかもしれませんが、その全社的な説明が難しくなります。担当者が説明責任を果たせない、「計算結果だから」と思考停止するのは大問題です。シンプルなアルゴリズムにした方が労使の協議や同意が深まる可能性もあります。

人と人との関係

人事評価は、部下のやる気や能力を高めるために行うものです。時に必要なネガティブフィードバックも行われるためには、上司が部下を信頼し、部下が上司を信頼する関係が必要です。

仮に、AIの出した人事評価の結果だけを上司が部下にそのまま伝えれば、どうなるでしょうか。部下は「自分のことをちゃんと見てもらった」とは思いにくいでしょう。それは、「見る」「見られる」関係は人と人の間で起きることであることに加え、AIが扱うデータが、人の働きのすべてを取り込んでいるわけではないからです。上司はAIの回答を自身の言葉に置き換えたり、時には堂々と無視しないといけません。

日本の上司の多くが、部下の情報を集めるものの、それを評価情報に変え、動機づけや成長のためにフィードバックしようという意識が乏しいのかもしれません。そういう状況で、上司の作業を肩代わりするような形でAIを導入しても、状況はあまり変わりません。

会社はAI活用などの「人事DX」で、成功パターンを見つけたいのかもしれません。ただ、一言で成功といっても、それが1年なのか、3年なのか、10年なのか。長期的な成功の前には、長い試行錯誤や「遊び」の時間があるでしょう。こうしたことを考慮に入れたアルゴリズム、じっと待つ会社の姿勢、という点に課題があるでしょう。

関係性の価値

人が行ってきた仕事をAIが代替する可能性もよく指摘されます。しかし、AIが代替するのは、その仕事を構成する作業の一部であり、人がその仕事に工夫を加えたり、新しい意味を付与する限りにおいて、その仕事は人のものです。労働組合としては、「仕事をよりよいものにするため、作業やその担い手をアップデートしていこう」と組合員を啓発するとよいでしょう。

また、AIを含む「人事DX」は、従業員の「評価される点」と「評価されるべき点」のズレを明らかにします。そのため働く側が、自分たちの働きを適切に評価してもらうよう、会社に要求することも大事です。公平性についての現場の感覚が反映されることで、「人事DX」は地に足がついたものになります。

例えば、その人自身の成果評価は低くても、その人がいる職場は全体として成果が上がっているということはあります。しかしこれまでの人事評価は「縁の下の力持ち」を軽視してきました。

企業の価値は、個人が生み出すのではなく、個人間の関係性が生み出しています。研究の世界では、「作業上の業績」と「文脈的な業績」という分け方がありますが、意識的な支援行動や結果として支援になっているような行動が可視化されれば、多様な働き方が認められることにもつながります。こういった細かいことについて、経営者側は大事だと思っていても人事施策への反映まではなかなかやりきれません。働く側として、会社の重い腰を上げるために積極的に訴えかけるべきなのでしょう。

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