次期総選挙へ向けて選挙の争点を考える選挙の争点はどう決まるのか?
社会を動かす政治参画こそ重要
政治の争点の分類
政治の争点は、外的と内的、合意的と対立的という二つの軸に分類できます。
外的な争点とは、共同体の外で起きる出来事への対応が問われる問題。内的な争点とは、共同体の内側をより良くするための対応が問われる問題です。
合意的な争点とは、「汚職は良くない」とか「経済成長は必要」とか、課題そのものに対して有権者の間で広くコンセンサスがあり、その解決策や対応策が争点になることです。対立的な争点はその逆で、課題そのものが対立的であることです。現在の日本では憲法改正などがそれに当たります。
この四つの組み合わせによって、現在浮上している争点がどのようなものなのかを整理できます。
アメリカを除く先進国では、合意的争点が増えているとされます。イデオロギーの時代が終わり、有権者が政治に期待することが共通する傾向があります。例えば、医療や社会保障、教育のような課題に対して、それをどう効果・効率的に提供するかといったことが政治に求められています。政治学の用語では「ヴェイランス・イシュー」と呼びます。
象徴的なのがイタリアのメローニ政権です。当初は極右的な主張を掲げて政権の座に就きましたが、その後は政権を維持するためにコンセンサスを重視した政権運営に転換しています。
日本での争点の決まり方
では、選挙における争点とはどのように決まるのでしょうか。日本の場合、選挙の争点は、政治家の側が有権者に提示して決まることが多いでしょう。というのは、日本では首相が解散権を行使して総選挙が実施されるのがほとんどだからです。つまり、何を争点にして選挙を実施するかは与党が決められるということです。解散権を持つ側からすれば、勝てる時を狙って、勝てる争点で選挙を戦うのが合理的な戦略です。
もう一つの日本の特徴は、選挙期間が非常に短いことです。例えば衆議院の選挙期間は、12日間ですが、これはOECD諸国の中でもかなり短い方に入ります。選挙期間が短いと野党や市民社会が与党と異なる争点を世論に訴える時間と機会が少なくなります。また、公職選挙法の影響から、選挙告示後のメディア報道も制約されます。こうした背景もあって、日本では与党以外から出される争点が有権者に認知されることが難しいという問題があります。さらに合意的争点が増えていることで、どの候補者も聞こえの良い政策を訴える傾向があります。
争点はどう決まるのが良いのか?
2005年の「郵政解散」のように、争点が明確な選挙もありました。2009年の総選挙も「政権交代」を問うという意味で争点が明確でした。しかし、争点がはっきりしている選挙はそれほど多くなく、こうした単一の争点で政治の行方を決めることは必ずしも望ましくないでしょう。
前提として、争点に基づいて投票するのは、現実には難しいことを知る必要があります。ある課題が争点になるには、政党が異なる政策を掲げる必要がありますが、実際の選挙ではどの政党も似たような公約を掲げる傾向があります。
また、実際の選挙では、有権者は争点を一つ選べばよいわけではなく、複数の争点から自分が大切だと思うものに優先順位をつける必要があります。例えば、年金が重要という人もいれば、防衛費が大切という人もいます。それが政党の掲げる争点と同じになるとは限りません。
さらに、争点に基づいて投票する場合、その対策が本当に実行されると信頼できるかどうかも重要です。
このように考えると、選挙での争点に基づいて投票するのは実際には難しいことがわかると思います。
2000年代半ばには、一定期間、政権を預けてその間に実行する政策などを掲げるマニフェスト選挙が広がりました。ただしその後は、民主党政権のように、人気取りのための政策が選挙後に実現できないという事態も起きて、気運はしぼんでしまいました。
変わって、最近では「業績投票」と呼ばれる傾向も強まっています。つまり、一定期間政権を任せてみて及第点なら与党、落第点なら野党に投票するということです。
政治の争点は、社会の多様さに応じた形で多様である方が好ましいと思います。現代日本でいえば、収入が争点になることはもちろんですが、それ以外にも社会保障負担や選択的夫婦別姓、人口減少や都市と地方の格差などの幅広い問題が横たわっています。
ただしこうした幅広い問題は選挙だけでは解決できません。日本の政治は選挙に偏り過ぎているため、選挙以外の広い意味での政治参加を促すことも大切です。
政治参加を促す労働組合の役割
有権者の政治参加を促すためには、人々が「政治によって何かを変えられる」と感じていることが大切です。日本の高い政治不信の背景には、戦後日本に根付いた「権力は弱い方が良い」という政治規範が影響していると考えられます。例えば、消費税減税論に見られるような税への反発や、マイナンバーカードへの反対意見は、政府が生活に介入し過ぎることへの警戒心と結び付いています。それらが「政府は小さい方が良い」といった新自由主義的な考え方と入り混じることで、政治にはかかわらない方が良いという冷笑主義にも結び付いています。
政治学者の丸山真男は、個人の心理や行動を「結社的」か「非結社的」か、権力に対して「求心的」か「遠心的」かの二つの軸に分け、その組み合わせで四つのパターンに分類しました。このうち丸山は、日本社会が「非結社的」で権力に対して「遠心的」という「私化」の状況にあるとしました。しかし、こうした社会は、社会が危機に陥ると権力に対して一気に求心的になり、ファシズムを招くとも指摘しました。つまり、個人がバラバラのまま直接権力と結び付くことでファシズム化してしまうということです。
これに対して丸山が「民主化」とした状態は、「結社的」で権力に対して「求心的」である状態です。これは人々が結社・中間団体に参加しながら、権力をコントロールする状態を表します。
個人がバラバラでは社会を変えることはできません。社会は、権力があるからこそ良い方向に動かすことができます。その時に、どういう権力なら社会をよくできるかを考え、そのために行動することが大切です。それを考える場の一つが労働組合です。人々が広い意味で労働組合を通じて政治に参加し、権力を良いものにしていく営みが日本の政治にとって欠かせません。
労働組合が機関紙で選挙の争点をどのように伝えるべきかを考える機会も多いでしょう。これまでの労働運動では、与党の政策に反対して妥協を引き出す戦略が中心でしたが、この方法では組合員の共感を得るのは難しくなっています。
そうではなく、共同体の将来を切り開く、未来志向のポジティブなメッセージを発信した方が、組合員の共感を得やすいでしょう。そのためには労働組合として、しっかりしたビジョンを持つことが重要です。具体的には、問題を生み出している制度や法律を分析し、どこをどう変えれば暮らしが良くなるのかを説明できる能力が労働組合に求められているのではないでしょうか。