働く人のための「民主主義ってなんだ?」労働者としての足場をつくり足元から民主主義を取り戻す
足元からの民主主義プロジェクト 法治国家であるはずの日本で人権侵害が蔓延するのはなぜか。民主主義がないがしろにされているのはなぜか─。こうした社会に蔓延する不条理を日常の社会関係から問い直すことを趣旨に、NPO法人POSSEの今野晴貴氏やNPO法人ほっとプラス藤田孝典氏、作家の高橋源一郎氏が主催するプロジェクト。毎月1回、公開の勉強会を開催し、民主主義や人権について考える。2015年10月18日に第1回の勉強会を開催した。
─「足元からの民主主義プロジェクト」をはじめたきっかけは?
2015年は「民主主義」という古くからあるテーマが盛んに取り上げられた1年でした。ですが、働く人の権利行使を支援する活動をしてきた立場からすると、議論の盛り上がり自体はいいことなのですが、物足りない思いもあります。
「民主主義は工場の門前で立ちすくむ」という有名な言葉があります。この言葉が象徴するように、国会前でデモが盛り上がっても、上司にパワハラされたり、残業代が払われなかったりする現実が変わらなかったら、どうでしょうか。それで民主主義が実現されたと言えるでしょうか。
日本の民主主義は過去を振り返っても、狭い意味で捉えられてきたと思います。学生運動や社会運動で民主主義を叫んでも、職場に入ると残業代すら請求できない、といったことが繰り返されてきたからです。
つまり、日本の民主主義が形骸化しているのは、生活の中で憲法のリアリティーが感じられないからです。議論の仕方が国会周辺の「大文字の政治」に偏ることで、労働や生活の場面が軽視されてきたのです。
しかし、民主主義とは国政だけではなく、働くことや生活全般にかかわるものです。こうした認識を社会、特に若い学生や労働者に広めたいという思いでこのプロジェクトを始めました。
─なぜ日本では民主主義が根付かなかった?
運動の主軸が国会中心主義だったことで、法律の「現実社会での運用」を軽視してきたことが背景にあると思います。それこそ、かつての学生運動では闘争に明け暮れたはずの大学生が卒業間近になると髪の毛を切って就職し、「モーレツ社員」になりかわるようなことがあったし、規制緩和の議論も国会での論争が中心で職場での運用とか個人の権利行使とかを飛び越えた運動が展開されてきたわけです。教育のあり方も同じで、権利の存在は教えるけれども、その使い方を教えることを怠ってきました。
─権利はあっても行使されない。
多くの人が労働組合のように権利を行使するための団体を知らないし、その存在を軽視していることが、日本の民主主義を形骸化させています。
最近でも厚生労働省が「ブラックバイト」に関する実態調査を行いましたが、相談先を調べる設問に労働組合という項目が入っていなかったりする。憲法に規定された基本的人権はそれを支える組織があってこそ初めて行使されるのですが、そうした意識が低くなっています。
「1票」の大切さだけを説く運動には強い違和感を持ちます。選挙が大切なのはもちろんですが、憲法で定められた民主主義の諸権利は、結社の自由や団結権を含めてもっと多様で幅広いものです。そのことに触れずに「1票」を投じることのみを強調されても、過酷な労働環境に置かれている人たちの現実を変えることになりません。私たちはもっと団結権を行使するような地に足の着いた考え方ができるし、オルタナティブな手段で民主主義を実現することができます。
つまり、民主主義の行使は、「1票」を投票するだけという「大文字の政治」だけではないと示さないと、日常の権力関係に立ち向かう方法を見失ってしまうのです。それは権力の側にとってかえって都合のいいことだとすら言えます。
─「足元からの民主主義」に込めた思いは?
観念的な話ばかりをするのではなく、目の前で民主主義を実現すべき領域がたくさんあるということ。その最たるものは職場での違法行為であり、また生活保護の窓口での職員の不当な対応も同様です。国会前デモだけでなく、幅広い現場の視点から民主主義を考えようという思いがあります。
その際の民主主義の意味とは、社会と人、人と人との関係が対等に公平に結ばれていくことです。それは職場での人間関係や、行政窓口における民主的な運用も含まれるということです。社会と人が対等に交渉できる基盤があって、初めて議論が起こり、世論が形成されます。「ブラック企業」で馬車馬のように働かされていては、何が問題かの論点すらわいてこないのです。
─どのような取り組みを?
当面は、労働や福祉、人権にかかわる幅広い分野の専門家を呼んで、民主主義の「学びの場」としてオープンな勉強会を開いていくつもりです。とりわけ学生を中心に、身近な民主主義の課題に触れてもらい、社会に出たあとにここでの学びを活用してもらいたいと思っています。これまで作家の高橋源一郎さんや弁護士の宇都宮健児さんを招いた学習会を開催してきました。今後は、シリアの難民問題や冤罪事件などのテーマも扱っていく予定です。
─労組に期待することは?
労働者の立場を説明する寄付講座などを高校や大学でもっと推進してほしいですね。その中では、民主主義の実践は教科書に書いてあるような無味乾燥なものではなく、もっと身近で現実的なものだと啓発してほしいと思います。
そういう意味では、労働組合を「体感」してもらうことが効果的です。例えば、インターン生に過酷な労働を強いる「ブラック・インターン」が問題化していますが、彼・彼女たちに同行して少しでも労働条件を向上させることは、大きな民主主義体験だと言えます。また、労働組合という民主主義を担保する仕組みを実感してもらうためには、個別相談を充実させる必要があると思います。
─労働者世代が民主主義を取り戻すには?
働く人たちが自分の立ち位置を自覚することが大切ではないでしょうか。
最近の学校教育ではワークショップ形式の授業が取り入れられるようになりましたが、中立的な立場が強調されることが多く、現実世界の労働者と経営者の間に生じるような「生身の利害対立」を経験することはあまりありません。
『下流老人』という本がヒットしています。この「下流老人」という言葉は、とても政治的な言説で、中流だと思っていた多くの人たちがもしかしたら自分も下流になるかもしれないとの自覚を促すものです。そうやって、多くの人が自分の立ち位置を自覚することで初めて、国に対する再分配や福祉を要求する足場がつくられます。観念的な民主主義だけでは、自分たちの利益が何なのかを考える思考すら忘れ去られてしまうのです。
足元から民主主義をもっと見つめ直せば、労働者の権利保障や国による再分配が不十分であることが実感できるはずです。そうした現実的で具体的な実感に根差した政治のあり方こそが求められています。
いま日本にあるのは「足元がない民主主義」です。労働者は労働者の足場を取り戻すこと。足元の権利を見直すことから民主主義を実現していくべきです。