暮らしから考える社会のこと 「社会への投資」が暮らしを変える「社会への投資」が未来を変える
より良い未来に投資をしよう
福祉国家が直面した課題
「社会的投資」という言葉は、福祉国家を再編する際のキーワードとして1990年代から、欧州をはじめ世界的に使われ始めました。なぜ「社会的投資」という言葉が使われるようになったのかというと、社会におけるリスク構造が変化したという認識が共有されるようになったからです。
福祉国家は、人生で直面するリスクから人々を救済するためのシステムとして発展してきました。例えば、人生におけるリスクの一つは失業です。高齢で働けないとか、ケガや病気で仕事に就けないとか、困窮状態に陥り生活ができないとか、さまざまなリスクに対して、福祉国家では、失業保険や年金、医療保険、生活保護などのシステムを構築してきました。
しかし、こうした従来的なリスクへの対応だけでは対処できない経済・社会構造の変化が起こりました。非正規雇用の拡大や外国人労働者の増大などがそれです。こうした人々は良質な雇用にアクセスすることができず、不安定な状態の暮らしを強いられるようになりました。これは社会の不安定化にもつながります。
さらに、女性の社会進出に伴い、ワーク・ライフ・バランスの欠如も新たなリスクとして捉えられるようになりました。従来の福祉国家のシステムでは支えきれない事態が増えたことで、福祉国家は新たな対応が求められるようになったのです。
こうした変化に対応するため始まったのが、人への投資です。欧州の場合、仕事に就くための要件はスキルや技術が基本となっているため、職業訓練が投資の対象になりました。また、技術発展のスピードが速くなる中で、人々に求められるスキルの質も変化しました。良質な雇用へのアクセスを確保するためには、変化に対応できたり、学び直せたりするスキルが求められます。欧州では、未就学児への教育がこうしたスキルを身に付けるために重要な要素となると考えられたため、保育園行政などに予算が積極的に振り向けられるようになりました。
未就学児への教育は貧困問題の解消にもつながります。イギリスの場合、困窮地域にはシングルマザーが多く、家庭資源の少なさから子どもの社会性が育たないということが問題視されました。未就学児の段階で対人関係を学ぶことは将来の学習習得能力に影響します。この段階での教育が長期的な視点での貧困対策になるということで、積極的に税金が投入されました。
日本における社会への投資
日本は、公的支出に占める教育支出の割合がOECD加盟国で最下位です。年金など高齢者に対する社会保険支出に比べて、人生前半の教育や育児支援などにかける公的支出の割合は著しく低くなっています。
また、日本では「M字カーブ」が問題視されてきたように、女性のキャリア形成を支援せず、低賃金・低スキルの状態のまま放置しておいたことが社会の持続可能性を失わせました。このように日本では社会への投資が十分に行われてきたとは言えません。
「投資」という言葉から冷たいイメージを持つ人もいるかもしれません。実際、投資という言葉に対して、「リターンがなければ投資をしないのか」といった批判が投げ掛けられることもあります。しかし、あえて投資という言葉が使われるのは、税を負担する中間層や企業経営者などの理解を得る必要があるからです。投資に対してリターンがあるからこそ、そうした人々から必要な財源を引き出すことができます。
ここでいう「リターン」とは、経済成長や、社会的な信頼関係です。教育に対する投資によって、社会はこうしたリターンを得ることができます。例えば、大学授業料の無償化について考えてみましょう。大学授業料無償化については専門家間でも意見が分かれます。この問題を考える際には、大学を卒業した若者が市民として政治に参画し、民主主義を強め、社会的な信頼関係の構築や社会連帯に貢献する。このように教育への投資をリターンとセットで考えることが大切です。
日本では、社会保障に関して「投資」という観点が強くありません。日本では、社会保障を「ニーズ」として捉え、「リスク」として捉えない傾向が強いのです。ニーズは過小評価されがちですが、リスクは避けるべきものとして語られます。社会への投資に関しても、リスクを避けるために投資する、という視点が重要です。
さらに、「社会への投資」という言葉には教育による人的投資だけではなく、個人を支えるコミュニティーへの投資という意味を込めています。スキルを身に付けられない人は社会から脱落するというのではなく、個人を支え、社会のつながり、信頼関係を築くためにも投資が必要です。「社会への投資」という言葉には、人的投資と社会関係資本への投資という二つの意味を込めました。
未来を見据えて投資する
日本における社会への投資を進めるにあたっては、保育園の量的・質的な充実は不可欠です。また、教育に関する個人負担を少なくする必要もあります。
さらに、良質なケアに対する投資が重要です。未就学児の子どもたちが良質なケアを受けられるように保育士の待遇を上げて、プロフェッショナルとして評価されるようにする必要があります。
成熟した社会では、モノをたくさん購入し消費するよりも、良質なケアを受けられることの方が幸せの質に影響してきます。教育や医療、介護という場面で良質なケアを受けられることで幸せを感じる人は多くいるはずです。そのような価値観の転換に対応する必要があります。
ケア・エコノミーへの投資に対する社会的な合意を築くために、近年欧州で強調されているのが「ケアリング・マスキュリニティ」という言葉です。マスキュリニティとは男性性という意味で、「ケアリング・マスキュリニティ」とは男性らしさの中にケアをするという行為が自然と埋め込まれることを指します。男性らしさの価値観が変わり、ケアを実践する男性が増えれば、社会的な合意に近づくと思います。そのためには、「パパ・クオータ制」のように男性に育児休業を制度的に取得させるような仕組みをつくる必要もあります。家庭内での男女平等がなければ、公的な世界での男女平等は成り立ちません。女性がこれまで担ってきたケアに関する仕事の評価を上げる必要もあります。
日本において、社会への投資がこれまで進まなかったのはなぜでしょうか。それは、社会を変えるつもりがなかったからかもしれません。投資とは未来を見据える行動です。未来に対するビジョンがなければ、投資はできません。その意味で、現状維持の考え方が強ければ、社会への投資が進まないのも理解できます。
しかし、猛烈なスピードで進む少子高齢化という現実を踏まえれば、問題を先送りにするわけにはいきません。また、デジタル技術の発達により、ギグ・エコノミーの到来など、仕事の世界にも大きな変化が訪れています。新しいリスクを分析し、取り残される人が出ないような仕組みを考えなくてはいけません。できることはたくさんあります。男女平等という課題では、日本には伸びしろがたくさんあります。社会への投資には、男女平等やケアという観点が大切です。ほかにも、教育投資、地方分権、セクハラ禁止、エネルギーの地域分散──。こうした課題に一つひとつ取り組めば未来は今より断然いい世界になります。より良い未来を想像しましょう。