AIの進化と雇用・労使関係
技術の導入と労使関係のかかわりなぜ労働から解放されないのか
技術と働き方の歴史を振り返る
ユートピアとディストピア
生産現場への機械の導入で労働時間が減少するということは、古くから言われてきました。有名なのは、イギリスの経済学者のケインズが1930年に「100年後には生産性の向上により、人々の労働時間は週15時間程度になるだろう」と予測したことです。しかし、ご存じのとおりそうなっていません。
他方、AIの導入で大量の失業者が生まれるというように、新しい技術の導入で人間の仕事が奪われるという「オートメーション論」も、これまで盛んに言われてきました。
新しい技術の導入を巡っては、このように労働時間が減ってハッピーになるというユートピア的な予想と、他方で仕事が奪われて失業者が増えるというディストピア的な予想が常に存在してきました。
ただ、私はどちらも基本的に当てはまらないと考えています。実際、労働時間は減っていませんし、アメリカの経済史学者であるアーロン・ベナナフが指摘するようにオートメーション化はそれほど進んでいません。
AIの導入も、これまでと同じような動きをたどるのではないかと考えています。つまり、AIが導入されても、労働時間が大幅に短くなったり、人間の仕事がすべて代替されたりすることはないということです。
なぜ解放されないのか
機械が導入されても、人間が労働から解放されて自由にならないのはなぜでしょうか。原因は、機械が導入される目的にあります。テクノロジーは、人間を労働から解放するために導入されるわけではありません。そうではなく、会社や資本家が自分たちの利益を増大させるために導入されます。だから労働者は、労働から解放されるのではなく、資本家の利益を最大化するために引き続き働くことになります。テクノロジーが導入される目的が、労働時間を短くすることではないことが、労働から解放されないそもそもの背景にあります。
機械の導入は、むしろ長時間労働を促進します。機械は大規模になるほど、常に操業させた方がコストが安くなります。そのため、機械が導入されると、機械を常に動かすために、2交代制や3交代制の働き方が登場するようになります。利益を最大化するために、人間が機械に合わせて働くようになるのです。こうして機械の導入が進み、人間が機械の都合に合わせて働くようになると、労働時間が長くなっていきます。
生成AIについても同じことが言えるかもしれません。例えば、生成AIにプログラムの生成をするよう入力すれば、すぐに回答が返ってきます。しかし、その入力方法を考えたり、結果を判断したりするのは、人間です。生成AIが回答をすぐに返してくるほど、人間も次の仕事にすぐに取り組まなければなりません。生成AIの導入は、労働者が効率的に働けるようになるなど、良い側面はあるかもしれませんが、人間を労働から解放することなどが主目的にはなっていない限り、これまでと同じようなことが起きるのではないでしょうか。
労働者の抵抗と技術
そもそも、人間の労働はなぜ機械に代替されるのでしょうか。その背景には、労使関係があります。
労働現場には、労働者の欲求があります。労働者は、労働に従事しながら、労働時間が長いとか、体力的にきついとか、さまざまな不満を感じ、それを改善したいと感じます。労働から生まれる自然な欲求です。
資本家は、労働者のそうした不満を抑え込むために、機械を労働現場に導入してきました。例えば、貪欲な資本家が、労働者を安い賃金で1日何十時間も働かせようとすると、労働者はその改善を要求したり、仕事をさぼったりして、資本家に抵抗します。
これに対して資本家は、賃金を高くするなどして労働者の要求に応えることもできますが、労働者を機械に置き換えることで対抗してきました。抵抗する労働者を機械に置き換えてしまえば、文句を言われることもありませんし、仕事をさぼる労働者を排除することもできます。このようにテクノロジーは歴史的に、労働者の抵抗への対応策として導入されてきました。
日本の労使関係は労使協調が基本で、労働組合は新しいテクノロジーの導入に対して反対してきませんでした。こうした労使関係からすれば、日本の労働現場に最先端のテクノロジーが導入されてもおかしくありません。しかし、諸外国と比べて日本の労働現場におけるテクノロジーの導入は進んでいない印象があります。実際、日本はDXの遅れが指摘されています。
なぜ日本ではテクノロジーの導入が遅れているのでしょうか。テクノロジー導入への反対が弱いのに、それがあまり進んでいないのは、逆説的に思えるかもしれませんが、日本の労働者の抵抗が弱く、使用者が労働者を安く、長く働かせることが可能になっているからです。正社員を長時間働かせ、非正規雇用労働者を低賃金で働かせることができるから、高いコストをかけて設備投資する必要がないのです。一方、アメリカでは使用者が労働組合の抵抗を避けるために、情報通信技術を積極的に導入してきました。
自分たちの労働を決める
こうした機械の導入に対して、労働者は、自身の持つ知識や技能を機械に奪われないようにすることで対抗してきました。つまり、知識や技能を背景に生産をコントロールする力を保持し、経営者に対する発言権を確保してきました。科学的管理法で有名なテイラーは、こうした「御し難い」労働者の知識を吸い上げるためにさまざまな工夫をしました。
AIの導入がこれまでと異なるのは、製品を生産したり、サービスを提供したりするだけでそのデータがAIの「肥やし」になることです。働けば働くほどデータが蓄積されてしまうので、知識や経験を隠すことがこれまでより難しくなったといえます。テイラーのように労働者の知識を吸い上げるために、さまざまな仕掛けをする必要がなくなるということです。これは、労働者の抵抗の余地が少なくなることを意味しています。
AIの導入やプラットフォーム労働が拡大する中で、世界の労働運動は、データを巡る闘いを展開しています。自分たちの情報を会社にどこまで渡すのか、どのように守るのかという争いです。例えば、ウーバーのようなギグワーカーは、アルゴリズムに従って労務を提供していますが、そのアルゴリズムがどのようなデータに基づいてつくられているのか、どうやって管理されているのかがわかりません。それに対して、労働者がアルゴリズムの開示や、データ管理に対する発言権を求めた運動を展開しています。
世界の労働組合は、このような運動を通じて、自分たちのデータを自分たちで管理しようとしています。このことは、労働の中身を自分たちで決めることを意味します。
これに対して、日本の労働者は、労使協調の労使関係の中で、テクノロジーの導入に強く反対せず、それを受け入れてきました。AIの導入によって、労働者の知識や技能がさらに奪われることで、従属的な働き方が強まることを懸念しています。世界の労働運動を参考にしながら、自分たちの労働を自分たちで決めていく運動の展開が必要だと思います。