特集2016.05

いま知っておきたい「憲法」人権を守り、他国を攻めない憲法の理念に基づいた外交戦略を

2016/05/18
2016年3月29日、いわゆる「安保法制」が施行された。このことが日本の安全保障に与える影響は何か。日本国憲法の平和主義と基本的人権の尊重を生かした日本外交の戦略を展望する。
遠藤 誠治 成蹊大学法学部教授(国際政治学)

海外派遣で直面する問題

安保法制の問題は「集団的自衛権」関連と「自衛隊の海外派遣」関連の大きく二つに分けられます。

具体的な問題に先に直面するのは「自衛隊の海外派遣」でしょう。安保法制の施行によって自衛隊は、(1)後方支援の範囲の変更で戦場により近い場所で活動できるようになり、(2)PKOで「駆け付け警護」が認められたことで、派遣先での武力行使の可能性が高まりました。とりわけ政府は南スーダンPKOで新法制を適用する準備を進めているはずですが、そこではリアルに自衛隊が紛争当事者になる可能性があります。

現状では、海外で活動する自衛隊は、国内の警察と同じような考え方で自分たちの安全を守ることになっています。自分の安全を守るために不可避の場合だけ発砲が許されるという正当防衛の考え方です。しかし、「駆け付け警護」などを実践すれば、自ら危険にさらされるだけでなく、罪のない民間人を誤射する可能性がつきまといます。

日本国憲法の規定では軍事法廷は設置できませんから、高まる危険の中で自衛官が民間人を誤射した場合、殺人罪に問われる可能性があります。このような状態では自衛隊は安心して活動できません。他方、実際に自衛官が海外で民間人を殺害するような事態になれば、それを契機に憲法改正で、自衛隊を国防軍にし、軍事法廷を創設できる法体制を構築すべきだという議論が出てくる可能性があります。国内政治上は大きな危険です。

歯止めを失った日本

集団的自衛権に関しても深刻です。集団的自衛権の行使を容認したことで、憲法9条を理由にした自衛隊の派遣拒否が使えなくなり、独自の判断を迫られることになりました。例えば「トランプ氏がアメリカ大統領になったら」「日本で対外強硬路線を採る政権が誕生したら」どうでしょう。安倍首相が国会で心配がないとどれだけ答弁しても、歯止めを弱くしてしまえば、自国の安全に直接かかわらない武力行使に巻き込まれない保証などどこにもありません。残された歯止めは、日本社会の中にある戦争反対という「政治的な声」だけだと言えるでしょう。

実効性なき抑止力

安保法制の成立によって抑止力が高まるという論理も成り立ちません。反発されるかもしれませんが、私は、安定した日米同盟の存在が、抑止力の一つであることまでは否定しません。しかし、今回の安保法制でそれが高められたとは思いません。

今回の安保法制はアメリカ側からの要請ではなく、日本政府の主体的な行動で進められたと見た方がよいです。日本側は、いざという時にアメリカが助けてくれないかもしれないという不安から、アメリカに積極的に貢献する姿勢を示して、アメリカの関与を確保しようとした。つまり対中抑止力強化よりもアメリカを逃がさないという姿勢の表現なのです。

抑止力とは、例えば中国や北朝鮮が何か行動しようとする際に、「これをすると逆に自分の方がやばそうだ」と相手を踏みとどまらせる力です。日米安保にそうした抑止力が、まったくなかったとまではいえないでしょう。

しかし、今まで機能してきた抑止力をなぜさらに強化しなければならないのか。昨年の国会でも説得力のある論理は展開されませんでした。安倍首相周辺はアメリカからのコミットメントの弱体化を懸念するあまり、見返りのないプレゼントをアメリカに渡してしまいました。前述のように、そのことで自衛官の命が危険にさらされ、日本が他国の武力紛争に巻き込まれる可能性が高まったのです。

抑止力競争の弊害

多くの人はそう思わないかもしれませんが、中国や北朝鮮は、「自分たちは強国からの脅威にさらされている」と考えています。中国にとっては南シナ海への進出はシーレーン確保のための方策です。かつての日本のマラッカ海峡防衛論と同じことです。つまり、中国にとっては防衛的な抑止強化策です。これに対して日本も同じように抑止力を高めたら、抑止力強化競争は無限に続き、互いへの不信感はますます高まります。

私は、日本やアメリカは、自分たちがまだ強い立場にいるという前提で現状に対応した方がよいと思います。強い立場にいる者が、弱い立場にいる者を押さえつけたり、自分たちの地位をさらに強くしたりすれば、弱い立場にいる者の不安は高まるばかりです。だからこそ、将来的には東アジアの安定と平和のために関係諸国が協議できる地域の枠組みをつくることが求められます。現在の政治情勢ではそうした提案を行うには大きな困難が伴いますが、やむことのない抑止力競争を無限に続けることが地域の不安定化を進めていることに気づくべきです。

専守防衛の外交戦略

私たちは、「専守防衛」という外交戦略が東アジアの安定に大きく寄与してきたことを再認識すべきです。戦後日本は憲法が掲げる平和主義に基づいて、専守防衛の実績を蓄積してきました。それは東アジアにおける大きな安定化要因でした。中国が改革開放で経済成長に注力できたのも、日本が軍事的攻勢の姿勢を取らず専守防衛を維持したからです。そういう意味で日本は他国に安心を供与してきました。私たちはこうした経緯を根拠にして、中国の軍事力強化の危険性を指摘し、日本同様に安心供与策を取るべきだと訴えることができます。東アジアにおける相互の安心供与こそが第一の戦略です。

また、戦後日本は戦争放棄とともに基本的人権の尊重を国の原理としてきました。国内で人権を守らない国が他国に侵略行為を行ったという反省を踏まえて、戦後日本は国内で人権を大切にし、専守防衛で他国に攻め入れない国になりました。日本国憲法のこうした理念は他国に対する約束として重要なのです。

日本はこのような価値観こそ東アジアに広げていくべきです。それは人権や平和という価値を重視する他国の人たちの味方になるということです。例えば、いま中国では環境問題や貧富の格差問題が深刻化しています。中国内部でそうした問題を解決しようとする人たちを、人権に基づく平和という価値を共有する仲間として支援していくべきです。

命を大切にする価値観外交

軍隊は、人を殺し、破壊する組織です。しかし自衛隊はそうしたことをせず、むしろ人を守り、生かすためのノウハウを積み上げてきました。いまでは米軍海兵隊も自衛隊の人道支援活動を参考にした活動を展開するようになっています。日本は、命を守る組織としての自衛隊を国際協力のモデルとして他国と共有すべきです。そうすれば、一国平和主義との批判もなくなるでしょう。

9条の問題は抽象的で実感が伴いません。しかし雇用や暮らしなどを見れば、足下は不安だらけです。リベラル派は「9条守れ」だけではなく、憲法を日常の問題を解決する基盤として活用すべきです。人権と平和をセットとして守る実践によってこそ、多くの人が信じられる血肉化された言葉を生みだせるはずです。

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