いま知っておきたい「憲法」労働三権は個人の尊厳を尊重するためにある
日本労働弁護団事務局長
職場と憲法
「憲法の中で一番大切なのは憲法13条の《個人の尊厳》だと考えています。この概念が世界の憲法のスタンダード。日本国憲法の中核です」
憲法28条について聞くつもりだったが、嶋﨑弁護士は労働三権ではなく、憲法13条の説明から始めた。
「憲法25条が生存権を保障するのも個人の尊厳を守るため。28条が労働三権を保障するのも個人の尊厳を守るためです。個人の尊厳を尊重することから憲法の人権保障はスタートします。労働三権を考えるためにも憲法13条の理解が大切です」と嶋﨑弁護士は訴える。
日本国憲法13条にはこのように書かれている。
《すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする》
この条文を踏まえた上で、私たちの働く職場で個人の尊厳は十全に保障されていると言えるだろうか。嶋﨑弁護士は続ける。
「実際の職場を見るとセクハラ、パワハラ、マタハラといったハラスメントが横行し、個人の尊厳が傷つけられています。このことはさらに突き詰めると憲法14条の平等原則にも反します。職場には女性差別や雇用差別がいまだ残り、ここでも個人の尊厳が侵害されています。憲法は個人の尊厳を保障しているのに、職場ではなぜ人格を侵害するようなことが起きているのでしょうか。私たちはしっかり理解する必要があります」
個人の尊厳は職場で尊重されているだろうか。労働三権の大切さを理解する出発点はここにある。
「職場の問題を解決する上で大切なのは、この理念をどれだけ職場に根付かせるかということ。労働三権を学ぶより、そのことを理解する方が大切だと思っています」と嶋﨑弁護士は強調する。
改憲草案28条の意味
表現の自由は、個人の尊厳を守るためにきわめて重要な概念だ。労働組合が労働法改悪に反対して行うデモや集会も表現の自由の一部である。嶋﨑弁護士は自民党改憲草案21条が表現の自由に関して、《公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない》としていることを強く問題視する。
「憲法は個人の尊厳を守るためにあるのに、自民党改憲草案では《公》を守ることが強調されています。これでは《公》のために個人が犠牲になっても仕方がないという社会になってしまう。近代憲法の本質を真っ向から否定している」
その発想がダイレクトに表出しているのが、自民党改憲草案28条だと嶋﨑弁護士は指摘する。同条1項は現行憲法と同じく労働三権を保障する内容だが、2項にはこう書かれている。
《公務員については、全体の奉仕者であることに鑑み、法律の定めるところにより、前項に規定する権利の全部又は一部を制限することができる》
このことの意味を嶋﨑弁護士は、「《公》のためには個人を犠牲にしてもいい。その発想が公務労働の場にまさに表れています」と解説する。
「これを公務員だけの問題と考えてはいけません。権力が民衆を弾圧したり、暴走したりするときは、じわじわと個人の尊厳を侵害します。人ごとにしては絶対にいけません」
他人の人権侵害被害を許していると、自分の人権がいつか侵害される。そうした事態を少しずつ招きよせている。
「労働法改悪の動きに対して政権批判をあまりしたくない雰囲気ができつつあると実感しています。怖いのは、出版差し止めのような目に見える強硬手段ではなく、目に見えない形での圧力。実際、労働者派遣法を改悪し、《定額働かせ放題》の労働基準法改悪法案を提出していることに対し私たちが行っている批判を、マスメディアが取り上げることを控えている風潮を感じるようになりました」。その危機は、ひたひたと私たちの足元に忍び寄っている。
異端視しない姿勢
憲法13条の理念を職場で生かすために何をしたらよいだろうか。
「主権者教育としてのワークルール教育に注目が集まっていますが、私は条文教育だけでは不十分だと考えています」
「法律の知識だけがあっても実際の職場では権利を行使できないのが日本の現状。こうした状況を変えるためには権利を主張できるメンタリティを育てることが最も大切だと思います」
そのメンタリティを育てるために何が求められるだろうか。
「権利を主張することとわがままを言うことはまったく違います。例えば、企業利益のために非正規雇用という形で個人が差別されてもいいのかとか、男性ばかりの職場で男性が楽しいからと言って女性がセクハラされてもいいのかとか、そこでは個人の尊厳が尊重されているかが問われているのであって、そのことにこそ目を向けるべきです」
そして嶋﨑弁護士はこう付け加える。
「たとえ自分が意見を主張できなくても、せめて意見を言った人を異端視しないことが大切だと思います。例えば、上司とぶつかった人に対し、必ず味方をしろとは言いませんが、無視をしたり排除したりしないようにする。権利を当たり前のように主張できる環境は、いつか自分のためにもなります。そうした環境がなければ、いざというときに自分が権利を主張できません」
ストライキ権と不断の努力
憲法12条が権利を維持するために《不断の努力》を規定するのは、このためだろう。声を上げる練習をしていなければ、大事なときに声は出ない。このことは労働三権にも共通する。
「例えば、ストライキ権は現代日本でほとんど異端児になってしまいました。けれども労働三権にストライキ権が規定されているのは、団体交渉だけでは使用者と労働者の関係は対等になれないという考え方があるから。ストライキ権は労働者に与えられた基本的な武器です。ストライキ権をむやみに行使すべきとは思いませんが、その権利を尊重すべきです」
ストライキ権が行使されたら迷惑をこうむる人はたしかにいるだろう。だが、個人の尊厳に基づくお互いの権利を認め合うことも大切だ。
同じく憲法12条はこう定める。
《…国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ》
私たちが権利を主張するのは、個人が権利を主張し合いながら、なおかつお互いの権利を尊重し、個人の尊厳がよりいっそう保障されるように増進させるためだ。この条文の意味をかみしめたい。
日本国憲法
第12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第28条
勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。