特集2016.05

いま知っておきたい「憲法」改憲草案の緊急事態条項は不要どころか有害極まりない

2016/05/18
憲法改正の具体案としてたびたび取りざたされる「緊急事態条項」。憲法を骨抜きにするような条文を含む緊急事態条項など危険極まりない。
石川 裕一郎 聖学院大学政治経済学部教授(憲法)

─「緊急事態条項」が改憲項目として浮上したのはなぜですか。

法律的な観点より政治的な背景によるものでしょう。報道を見る限り、緊急事態条項が災害対策などの名目で国民や野党から理解を得やすそうだというレベルで議論が展開されているに過ぎません。改憲案に対する国民の批判が高まれば「96条」のときのように安倍政権は緊急事態条項の議論を封印するかもしれません。「不純な動機」から緊急事態条項にスポットライトが当てられたというのが実態ではないでしょうか。

─海外では「緊急事態条項」が導入されている国もあります。

昨年11月にフランス・パリで無差別テロ事件が発生し、オランド大統領は緊急事態(=非常事態)宣言を発令しました。フランスは緊急事態に関して、(1)「国家非常事態法」という法律のほかに、(2)フランス憲法第16条に基づく大統領非常大権(3)36条の戒厳令─という三つの制度を持っています。テロ事件後に発令された緊急事態宣言は(1)の「国家非常事態法」に基づくもので、憲法に規定されたものではありません。オランド大統領は、「国家非常事態法」の内容を憲法に追加しようとしましたが、セットで提案された国籍剥奪条項が、世論のみならず与党内からも強い反発を招いたため、断念しています。

フランスでは国家非常事態法による「令状主義」の空洞化が問題視されています。行政が裁判所の令状なしに家宅捜索や身柄拘束ができてしまうことに対する批判は強く、国家非常事態法そのものが憲法違反であるとの批判も根強くあります。

日本は従来、令状主義の空洞化が問題視されていて、裁判所が家宅捜索や逮捕の令状を発行する基準がゆるいと指摘されてきました。警察の留置場で23日間、身柄拘束できる「代用監獄」も世界で認められている国はまれで、人権侵害の批判が根強くあります。このように、日本の令状主義はフランスに比べて弱いため、現状でもフランスで起きたような事態に対応できてしまうと言えます。

ドイツの憲法にも緊急事態条項があります。ただしドイツの緊急事態条項は、緊急時に連邦の権限を強化するためのものです。この点、日本では臨時国会の召集や、憲法54条が定める参議院の緊急集会を開催すれば対応できます。このように緊急事態といっても、他国と比較して現在の法制度で対応できる場合が多く、議論するにしても現行の法制度のどこに問題があるのかを地に足をつけて議論すべきです。

災害時における緊急事態に関しても論駁が進んでいます。例えば、「津波で流されてきた自動車が道路をふさいで緊急車両が通れないのに、憲法が保障する財産権のため所有者の意思確認なしにそれらを勝手に動かせず、多くの人命が失われた」というのは、まったくの事実誤認です。災害対策基本法などは、災害時における対応で自治体の首長に広範な権限をすでに認めています。自然災害への対応として大切なのは、事前の備えであり、現在の法制度をフル活用することです。

─では、自民党改憲草案にある緊急事態条項の問題点は?

自民党改憲草案の緊急事態条項は、不要であるどころか有害極まりないと指摘できます。

まず、総理大臣が緊急事態宣言を発することができる要件があいまい過ぎます。改憲草案98条1項は、緊急事態の宣言要件を「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態」としていますが、これでは何が緊急事態なのかを制限したことになりません。大事なところは法律で定めると投げてしまっています。

続く98条2項は「事前又は事後に国会の承認を得なければならない」としていますが、ドイツは事前承認が必須要件ですし、たとえ事後でも「○日以内」といった具体的数値を明記すべきです。また、3項は緊急事態の継続に関して100日を超えて継続する場合には、国会承認が必要としていますが、100日は長すぎます。どの項目も大雑把すぎます。

続く99条はより深刻です。同条は、緊急事態条項の具体的な効果を定めています。まず挙げなければいけないのは、内閣が法律と同一の効力を有する政令を制定できるという箇所です。これは、まさに「立法権の簒奪」です。この条文が現実化すれば憲法を改正する必要はなくなると言えます。

同条3項は、緊急事態が発せられた場合に基本的人権は「最大限に尊重されなければならない」としていますが、これは裏を返せば基本的人権も尊重した上ならば制限できるということ。例えば、集会やデモが規制されたり、報道管制が敷かれたり、裁判を受ける権利が制限されてもおかしくありません。こう言うと推進派は「そのようなことは考えてもいない」と反論すると思います。しかし条文上そのようなことができてしまうことが問題なのです。

98条と99条には「法律の定めるところ」という言葉が8回も出てきます。要は「何でもアリ」です。公権力を制限するという憲法の条文としての体をなしていません。司法権の役割や事後の検証システムに関しての言及もまったくありません。立法技術の面でも稚拙だと言えます。

ワイマール憲法は、1945年のナチスドイツの敗戦まで存続していました。「全権委任法」(1933年)などによって骨抜きされたに過ぎません。第一次世界大戦敗戦後のドイツは、世界恐慌や多額の賠償金や猛烈なインフレに陥り、西の英仏や東のソ連のように外敵に囲まれて「国を守る」という言葉が社会に浸透しやすかった。これは今の日本にも示唆を与えてくれます。

日本も過去に軍の暴走を止められませんでした。議会の承認を必要としない「緊急勅令」が治安維持法の改正に悪用されたこともありました。敗戦後、現行憲法を審議した帝国議会は、その中で「緊急勅令」が必要かどうかを議論し、その上で必要ないと判断しています。緊急事態条項は、つけ忘れたのではなく、明治憲法の反省としてあえて入れなかったのです。私たちは、権力が再び暴走しないか、常に見張る必要があります。憲法は国家権力を縛るものだということを忘れずに、権力の暴走に対して危機感を常に持たなければなりません。

自民党改憲草案98条・99条(抜粋)

第98条

内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。

第99条

緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。

3.緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。

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