いま知っておきたい「憲法」みんなの権利が保障されるには、みんなが権利を行使しないといけない
前日本労働弁護団会長
表現の自由の優越的地位
日本国憲法は、基本的人権としてさまざまな人権を保障しています。その中でも憲法21条の「表現の自由」は、もっとも重要な人権と位置づけられており、優越的な地位をもつものです。
憲法が保障する人権には、精神的自由にかかわるものと、経済的自由にかかわるものがあります。前者は表現の自由や信教の自由といったもの。後者は職業選択の自由や財産権の保障といったものです。経済的な自由は、例えば独占禁止法で自由な経済活動が制限されたり、安全な食料提供のために衛生面から規制されたりすることがある一方で、精神的な自由は何者にも代えがたい価値なので最大限に尊重されなければならないとされています。経済的な自由は、国民の生命や安全、環境などの価値によって一定の制限が可能になるということです。そういう意味で表現の自由は優越的な地位に置かれていると説明されます。
公共の福祉と公の秩序
表現の自由には二つの意味合いがあります。一つは、表現の自由が、自己決定などにかかわる人間の根源的な精神の活動だということ。
もう一つは、表現の自由が民主主義社会にとって必要不可欠な権利だということです。民主主義が民主主義たるゆえんは、表現の自由が保障されていることと表裏一体です。民主的な政治過程を形成するためには、国民が政府の持つ情報を知ったり、自分たちの意見を表明したりする権利が欠かせません。そのために表現の自由が欠かせないのです。
基本的人権の中でも重要な価値を持つ表現の自由ですが、いつも絶対的に保障されているわけではありません。日本国憲法13条は、「公共の福祉」によって、個人の自由が制限されることもありうるという立場に立っています。この文言は21条に入っていませんが一般的に、表現の自由も「公共の福祉」による一定の制限からは免れないとされています。
問題は「公共の福祉」とは何か、どのような場面に人権が制限されるのかということです。例えば、表現の自由に関して、ある人の表現内容や方法がある人の名誉や尊厳を傷つける場合があります。この場合、お互いの人権が平等に保障されるためには一定の調整が必要です。交通事故を防ぐために交通整理・交通ルールが必要なように、公共の福祉の概念は人権と人権の衝突を調整する概念として理解されます。つまり、公共の福祉という概念が基本的人権とは別に存在しているのではなく、人びとの基本的人権が相互にまっとうに保障されるために公共の福祉という概念があるということです。
これに対して自民党改憲草案を見ると公共の福祉に代えて、「公益及び公の秩序」という概念が用いられています。ここでいう公益や公の秩序という概念は、基本的人権に優越する。基本的人権はその範囲内で行使されないといけないという意味で用いられています。これは、人権の衝突を調整するという現行憲法の公共の福祉の原理とはまったく異なる概念です。どのような価値を優先すべきかの順番が逆転しているのです。
改憲草案の本質
1900年に成立した治安警察法には「安寧秩序」という言葉が使われています。この法律は、安寧秩序を保持するために警察官が集会などを禁止・解散させることができるとしています。「安寧秩序」とは古い言葉ですが、今風に言えば、「公の秩序」と言い表せます。私は自民党改憲草案の本質は、この安寧秩序という言葉が指し示すものと変わらないと考えています。
このように改憲草案と現行憲法では人権に対するスタンスが根本的に異なります。改憲草案Q&A集は、「個人が人権を主張する場合に、人々の社会生活に迷惑を掛けてはならないのは、当然のこと」と書いています。一般的な社会のルールではたしかに他人に迷惑をかけないようにすることがマナーです。しかし、ここで問題とされるのは、民主主義と不可分な関係にある基本的人権の保障に関することです。それを日常レベルの迷惑と同じように議論すべきではありません。
表現の自由の行使は、ときに社会生活に迷惑をかけます。路上でデモをすれば交通規制され、迷惑を被る人もいるでしょう。しかし、デモをはじめとした表現の自由の権利は、民主主義社会に欠かせないものだからこそ保障されている権利です。迷惑によって人権が制限されるのならば、人権の普遍的な価値の意味が失われます。Q&A集の考え方は、憲法の人権保障を論じるにあたって実に卑俗な考え方だと思います。ストライキによって使用者の業務に支障が出たとしても、対等な労使関係を形成するために団結権やストライキ権は必要な人権として保障されているわけです。単に、迷惑や秩序といった俗論的な考え方だけで捉えるべきではありません。
ただし、俗論だからこそ多くの人たちに受け入れられやすいという側面があることも事実ですので要注意です。私は改憲草案の基本的人権に対する捉え方は、改憲草案が現行憲法97条を削除したことに現れていると思います。憲法97条は、基本的人権の形成過程や、保障されるべき理念を表現した素晴らしい条文です。人権の持つ意義を的確に言い表した条文を削除するところに改憲草案の本質が見えると言えるでしょう。
権利を行使するということ
表現の自由が公の秩序によって制限されるようになれば、政府は市民団体や労働組合の活動を制限する根拠を持つことになります。労働組合の活動は憲法28条によって保障されていますが、表現の自由を制限できる規定が加われば、そのことからデモや集会など労働組合の表現活動も制限されるようになるでしょう。
労働組合は、他の団体と違って団結権や団体行動権を憲法によって保障されている特別な組織です。それは労働運動が民主主義社会を形成する上で欠かせない存在だからです。労働組合はこの「特権」をもっと活用してほしいと思います。
憲法12条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は…常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」という言葉の意味は、表現の自由などの権利を国民がもっと積極的に利用することが国民の責任だということではないでしょうか。権利を行使し、表現することによって民主主義社会はさらに成熟していきます。公の秩序のために権利の行使を我慢するのとは正反対の考え方です。
自分の持つ権利の行使を抑制することは、他人の権利行使を抑制することにつながります。権利にはそういう性格があります。ですから権利を持っている人には、その権利を行使する義務があると考えます。みんなが権利を保障される関係をつくるには、みんなが権利を行使しなければならないのです。
もっとも権利意識は自然にできるものではありません。労働組合は、その活動で常に組合員の権利意識の啓発に取り組むとともに、労働組合自身がその持てる権利をしっかり行使するように運動を展開してほしいと思います。
現行憲法
第12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2.検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
第97条
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
自民党改憲草案
第12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。
第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2.前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
3.検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。
第97条
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