特集2016.10

産業別労組の次なる可能性産別が「地域の安心」に目を向けよ

2016/10/21
組織している産業によって、産別が社会にアピールすべきことは異なってくる。情報通信産業をリードする情報労連は、何をすべきなのだろうか。
篠田 徹 早稲田大学社会科学総合学術院教授

山岸委員長が教えてくれた産別の仕事

いま情報労連の機関誌に産別論を書くならば、先日亡くなられた山岸章元委員長のことに触れないわけにはいかない。なぜなら山岸さんには、筆者がそれから30年、「労働屋」を続けるきっかけをつくっていただいたからである。

いまから30年ほど前、筆者が20代後半の、労働運動の勉強をはじめた頃だった。知り合いに山岸さんに近い方がおり、その方に自分がしている勉強のことを話したら、「会ってみる?紹介するよ」と言っていただき、当時労働戦線統一の中心人物であった人に、直接その話が聞けるチャンスなどそうそうないと、「ぜひ!」の二つ返事で応じた。

いまでもその時のことをはっきり覚えているが、全電通会館の委員長室で会った山岸さんは、「やあ」とあの真っ白な歯に満面の笑みを浮かべて、青二才の筆者を温かく迎えてくれた。残念ながら、その時話していただいたであろう労働戦線統一の話はまったく覚えていないが、はっきりいまでも心に焼きついている山岸さんの言葉がある。

「ぼかあね、労働組合の役員が、子どもの家族調書の父親の職業欄に、労組役員って書けるようにしたいんだよ。いまは団体職員だからね。親が労働運動にかかわっていることを学校に知らせるのをはばかっているんだ」

正確にそういう言い方だったか覚えていないが、大体こんな感じだったことは確かだ。これが山岸さんが私に教えてくれた、「社会的労働運動」の最もわかりやすい表現であり、産別運動と山岸さんが情報労連を率いて作ろうとした来るべき社会の日常だった。

それは、労組が社会に不可欠な機能を果たし、それを担う者が例えば弁護士や医者、あるいは警察官や消防士のような、世間で認知された職能につく者として、家族を含めて、自他ともに誇りをもつことだと、私は思った。同時にそういうことを勉強するならば、おまえもそういう大事なことにかかわるという覚悟を持て、といわれた気がして、身が引き締まる思いがした。

日本の労働運動と産別の立ち位置

筆者は社会的、歴史的構成主義者である。あらゆるものの意味は、場所と時代が違えば異なってくると考えれば、産別運動、正確にいえば、労組の産業別連合体組織のそれは、多様であって当然だと思う。日本の場合、特に戦後の産別運動は、労働組合運動総体を社会にアピールする役割を担った。別のいいかたをすれば、労働組合運動が社会でどう受け止められるかは、産別運動次第ということになる。

日本は企業別組合が基本ではないかという向きもあろう。だが企業別組合はもはや企業の一部であって、争議が極少化した今日、その善しあしは外部からは見えにくい。しかも企業別組合を社会にアピールする仕事は、ごく一部の組織を除いて、いまはほとんどない。

ナショナルセンターはどうなんだという声も聞こえる。確かに日本の労働運動総体のイメージ形成に連合が果たす役割は少なくない。だがその連合のありようを決めるのは、構成産別である。連合がそこから遊離して動くことは難しい。

やはり日本の労働組合運動を社会にとってどんな存在にするかは、産別次第なのである。

UAゼンセンと産別の運動文化

では産別はどうやって社会にアピールするのか。それは産別が組織している産業のありようによるということになる。

例えばリテール業界では有名な話だが、いま従業員数で世界最大のウォルマートは組合をつくらせない。中国のウォルマートには工会があるが、これが労働組合かどうかは中国の人に聞かないとわからない。そしてスーパーマーケットをはじめ、世界のリテール産業、特に大手チェーン企業の趨勢は、このノンユニオンである。

ところが日本は逆だ。ほとんどのスーパーに組合がある。また大所のチェーンのサービス業もそうだ。それを組織するのがUAゼンセンである。

実際ウォルマートやカルフールは日本に上陸したが撤退した。ウォルマートはいまも間接的に日本にいるが、そこは以前から組合が組織され、いまはUAゼンセンの仲間である。

業界ではこれを、1、2週間に一度買い出しに来て、安いものを山のように買う欧米の顧客と違い、新鮮なものを毎日買いに来る顧客が多い日本のスーパーでは、卸のような価格勝負だけの売り方ではやっていけないからと理由づけた。

要は、顧客の信用をいかに得るかということにつきるのだが、日本はこれを、いい店にしたいと一所懸命に働く従業員、特にパートの背中から伝わる思いで獲得しようとした。それは仕事に発言できる仕組みとそれを促す労使関係によって達成された。こうしていまやリテール産業のパートタイマーの多くも組合員となった。

つまり日本のリテール産業は、こうして安心を提供し、顧客から信用されるバリュー・チェーンをめざしているわけだが、それを支える縁の下の力持ちがUAゼンセンなのである。

確かにこういうやり方は、普通の人には見えにくい。けれどもちゃんとわかっている人はいるという、「人知れず微笑まん」の姿勢は、欧米に比べて、この産業での「労組たたき」や「労組はずし」の圧倒的な少なさと、無関係ではなかろう。また「ブラック」ではないという、いまや消費者さえ気にかける「フェア・レーバー」意識に応える安心産業と社会的に評価されることは、組合員の雇用と組合の存在の確保につながっている。

こういう労組としての生き方、暮らし方こそ、UAゼンセンの運動文化に他ならない。

情報労連がすべき「地域への安心」供与

では情報労連の運動文化はどうか。筆者はそれは地域の安心をつくることだと思う。

情報労連の社会へのアピールも、組織する企業や産業のありようを通じて行われてきたし、これからもそうだと思う。顧客にとってNTTやKDDIをはじめとした情報通信企業のイメージは、やはり「安心」ではなかろうか。ただそれはさきほどのリテールとは少し違う。

それは例えばどの町の中心部にも電電公社の時代からある鉄塔だ。ワイヤレスが主力の時代には時代錯誤のようだが、あれは町の風景として人びとに安心を与える。中高年の女性に「ガラケー」を持っている人が多い。スマートフォンも使うが、もう一つ自信がない彼女たちには、「ガラケー」が何かあった時の「砦」なのだ。そういう意味で、あの鉄塔も町の砦である。

グローバル経済のビジネスの鉄則は、ひところは商売にならない地域を、なりそうな所へ乗り換える「腰の軽さ」だった。けれどもサプライ・チェーンからバリュー・チェーンの時代になり、「腰の軽い」企業は罰するとアメリカの大統領候補が口々に叫ぶご時世になった。またロボットとAIのおかげで、コストで動く誘因が減った。むしろいまはユニークなタレントを持つローカリティこそが富の源泉となっている。

そういう意味で情報通信企業にそうした魅力ある地域づくりを積極的にさせる情報労連の役割は大きい。もっともそれはここが全電通の時代からやってきたことであり、それはまた電電公社の使命でもあった。それはNTT労組の機関誌『あけぼの』を創刊号から読めば、すぐわかる。

もちろん情報労連は通信企業ばかりではない。これからはもっと別の産業や企業も組織化するだろう。ただそこにはカラーやブランドがあっていい。地域に安心を届ける産業や企業を組織する情報労連。あとは「地域の安心」に対する想像力次第である。

顧客ともども「腰の軽い」欧米のテレコム産業で苦闘する産別労組とは一味も二味も違う道を歩むためにも、全電通時代から培った地域におけるソーシャル・キャピタル、すなわち地域の価値を高めるバリュー・チェーンを増やすこと。それが情報労連の運動文化をさらに豊かにする。

「そんなこたあ、きみい、当たり前だろう」。山岸さんの笑い声が聞こえる。

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