特集2016.10

産業別労組の次なる可能性「自立した個人論」は限界だ
働く人の「無防備」問題を直視せよ

2016/10/21
IoTやAI(人工知能)が急速に普及する中で、私たちの働き方はどう変わっていくだろうか。新しい技術の発展に合わせて、自立・多様化した働き方が広がるとの見方もある一方で、人間の仕事が奪われるとの指摘もある。労働組合に求められる視点とは何だろうか。専門家に聞いた。
常見 陽平 千葉商科大学専任講師

人工知能の不安と希望

人間を豊かにするはずのものが、逆に人々の雇用を奪っていく可能性ってありますよね。でも、そもそも論の話をすると、人間は産業革命の頃から機械との付き合い方を模索してきました。「インターネット元年」と呼ばれた1995年もそうで、ビジネス書などでは「この仕事がなくなる」というような論が書かれていました。実際にどうなったかというと、企業や人々は仕事をシフトさせながら対応してきたわけです。例えば、電話の交換機をつくっていた富士通がIT企業になったように、働く人もそれに対応してきたわけです。

メディアは、「第四次産業革命で雇用が奪われる」とあおります。働く人が「仕事を奪われるかもしれない」と危機感を持つことは大切です。しかし、単に「イエス」か「ノー」かで論じるのはおかしいと思います。私たちは技術との付き合い方を模索し続けるしかありません。

例えば、トヨタはなぜ究極の全自動電気自動車をつくらずに、プリウスのようなハイブリット車をつくりはじめたのか。ある教授は「日本の産業を守るためだ」と持論を述べました。いきなり全自動次世代エネルギー自動車をつくりはじめたら、国内に無数にある部品メーカーの仕事がなくなってしまうかもしれない。だから、ハイブリット車をつくって、産業を守る。仮説ではありますが、そうやって人間が機械にブレーキをかける考え方もあるんですね。

一方で、私たちは好む、好まざるにかかわらず、すでにAIやビックデータの技術が使われる世界に生きています。気づかないだけです。例えばそのような技術はいつのまにか就職サイトにも使われているんですね。仕事がなくなるか、増えるかの「ゼロ」か「イチ」かではないと思います。

人工知能がもたらす希望に目を向けつつ、いかにコントロールするかが問われると思います。これからは生産目標を達成するために、人間だけではなく、ロボットを含めた労務管理が必要になってきます。

ロボットは伊勢丹に行かない

ロボットと人間の違いは何だと思いますか。「ロボットは伊勢丹に行かない」。そう、ロボットは消費者にならないんですね。「ペッパー」が「ルイ・ヴィトン」のバッグを買うのを想像できますか?

人間の生命線は消費者であることである─。冷たく言うと、これが人間が生かされるための条件ではないでしょうか。

ただし、労働者であり、消費者である私たちは、無防備で丸裸にされている点に意識を向けるべきです。シェアリングエコノミーやクラウドワークといった新興産業には労働組合がありません。新興産業で働く労働者は、既存の労働組合を「既得権益」層として攻撃することがあります。ですが、それは既存の労働組合がスケープゴートにされているという側面もあります。新興産業で働く労働者は、自分たちがいかに無防備な状態でいるかということを認識できていない。労働者としての権利の守り方を知らないんですね。これは相当危ういと思います。自由に働けることと、労働者の権利を守れないこととの区別がついていない。だまされている面があると思います。

消費者も、シェアリングエコノミーが広がるなかで、だまされたり、不良品をつかまされたりする危険性もあります。便利さや優しさを装った裏で、私たちが無防備・丸裸な危険な状態にあることを自覚しておくべきです。

自立した個人論の限界

新興産業や個人請負といった分野で、雇用形態を問わず、労働者の権利を守る組織が求められます。それは、既存労組とは異なる、新しいつながりを持った組織です。

これまでの労働組合は、所属している組合員の保護に偏りがちでした。しかし、大企業の高い労働条件は、下請け中小企業のブラックな労働条件に支えられているという議論もあるわけです。これからは、既存の労働組合が、自分たちだけではなく、「自分たちとその周辺で働く労働者が幸せか」という視点をもっと持ってほしいと思います。

スキルを持った自立した労働者は、組織に属したがらないという議論もあります。でも、フリーランスで働いている人が、例えば、雑誌の連載の枠をめぐって競争を演じて、自己管理が危険な状態に陥っているようなこともある。いくら自由な働き方と言っても、実際に身体を壊すような働き方はいやだ、という根本的な問題があります。

政府の懇談会などは、「自立した個人」論をなぜ今さら言い出すのでしょう。「自立した個人」の限界は、すでに来ていませんか。

ブラック企業に就職してしまう人が絶えないのは、なぜだと思いますか。どんなに自立した個人でも、よほど強い人でない限り、居場所を求めます。ブラック企業の職場は、ある意味、そこが自立した個人の居場所たり得てしまっているんです。ブラック企業の職場では、低い労働条件でも責任を持たされモチベートされて、やりがいを感じる。働く人は、自分が自立した個人だと思い込んでしまいます。

ただ、そこで可視化されるのは、低価格・低賃金の飲食店が労働者と消費者にとっての居場所になっているということです。それは、自立した個人の偽装ではないですか。自立した個人論の限界を認識すべきだと思います。

自立した働き方を強調しても限界があります。ある意味、人間の限界を認めることが、人間の雇用を守り、人間らしさを守ることにつながるのではないでしょうか。

労働組合は必要だ

働き方が多様化すると言っても、「一億人の一億通りの働き方」が実現するわけではありません。その意味では、ある程度パッケージ化された働き方を用意するのが一つの答えだと思います。夫婦共働きで年収400万円ずつ、合計800万円だったら生活できるかもしれませんが、現実には夫婦共働きで400万円台という世帯もあります。現役世代の社会保障に向き合ってこなかったツケが可視化されていると思います。

労働組合は、「意識高い系ワクワクストーリー」より、「労働者・消費者 無防備・丸裸問題」を意識した方がよいと思います。私は、今のあり方はともかく、労働組合は、働く人の声を届けるために必要な組織だと考えています。これまで放り投げられてきた新興産業において、労働者の権利を守る組織が求められています。

ドイツ連邦労働・社会省「Work4.0」資料より
特集 2016.10産業別労組の次なる可能性
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