産業別労組の次なる可能性「地域」と「労働運動」をつなぐ
「課題共通化」が運動を変える
静岡県立大学教授 NPO法人青少年就労支援ネットワーク静岡 若者就労支援を展開するNPO法人。2002年12月、団体設立。2004年6月にNPO法人化。その活動モデルは「静岡方式」と呼ばれ全国から注目を集める。書籍に『若者就労支援「静岡方式」で行こう!!』(クリエイツかもがわ)がある。
「静岡方式」とは?
青少年就労支援ネットワーク静岡は、「静岡方式」と呼ばれる若者就労支援を展開するNPO法人だ。「静岡方式」とは、一般市民が青少年就労支援ネットワーク静岡に「サポーター」として登録し、ニートやひきこもりなど就労に困難を抱えている若者を支援する活動モデルを指す。特徴は、「サポーター」には原則誰でもなれること。現在約530人いる「サポーター」は、一人ひとりの若者の「担当」となり、自らのネットワークを使って若者を就労に導いていく。
「サポーター」は青少年就労支援ネットワーク静岡から細かい指示を受けない。「本人が希望する仕事を探す」など、いくつかの共通項目を守る以外は、自分のやり方で就労を支援する。青少年就労支援ネットワーク静岡の津富宏理事長は、「若者にもサポーターにも、それぞれの強みを生かしてもらうのが一貫した考え方」と説明する。地域にある力をオーガナイズ(組織化)し、ネットワークを次々と広げていく活動モデルなのだ。
オーガナイズという言葉が出たが、津富理事長は、市民主体の地域活動を学ぶためにシカゴのミッドウェストアカデミーでコミュニティ・オーガナイジングの研修を受けたという。
地域の力の一つとして、労働組合はこの活動にかかわれるだろうか。津富理事長は、「労働組合にどう働きかけたらよいか、正直よくわからない」と率直に打ち明ける。就労支援の際、大企業では人事部に、中小企業では経営者に話をもちかけることが多い。労働組合が雇用先をつくってくれるわけではないため、「労働組合と出会う場面が少ない」のだ。津富理事長は、「私たちの立場から就労支援に関して、労働組合へのお願いをいますぐ考えるのは難しい」と打ち明ける。
市民運動と労働運動の距離感
「市民運動と労働組合の活動には、距離感がある」というのが津富理事長の現段階での受け止めだ。津富理事長は、その理由の一つに、「課題の共通化」がないことを挙げる。
「課題の共通化」には、二つある。一つはイシューの共通化。もう一つはスキルの共通化だ。
前者は、地域と労働の課題を結び直すことを指す。例えば、シカゴで学校閉鎖に反対する教職員のストライキが起きた。労働組合は、学校閉鎖を自分たちの労働問題であると同時に地域の教育問題であるとし、地域住民を巻き込んだ運動を展開した。津富理事長は「教員だけの運動では市民が問題を理解できず、改革の抵抗勢力にしか見えない。それを地域の問題にすると掛け算になる」と解説する。
日本の場合、例えば、保育園をめぐる課題は事例の一つになる。保育士不足は、労働問題であると同時に地域の問題でもある。そこで労働組合と市民運動が「共通課題化」できるかが問われる。
後者は、運動を展開するスキルを共通化させること。アメリカでは、労働運動も人種差別解消運動も女性解放運動も、同じ運動形式によって展開された。だからそれぞれの運動を担う活動家たちが交流できる。津富理事長は、「市民運動が労働運動から学べるノウハウを見つけていければ」と話す。
「課題の共通化」へのヒント
市民運動と労働運動は「課題の共通化」をどう実現するか。津富理事長はそのヒントをこう話す。
「労働組合の人と話すと、『大企業の人だな』と思うことがあります。大きな仕組みをつくることには関心をもつけれど、もっと小さな個別の支援にあまり関心を示さない。もっとささやかなことでいいのに、組織でモノを考えるクセがついているのかもしれません」
「アメリカのワーカーセンターの活動家は、個別の問題から運動が始まっています。個別の問題を解決するために、少しずつ問題の階層を高くしながら、より多くの人々を巻き込んでいく。そのあたりに違いがあるでしょうか」
津富理事長は、こうした点に労働運動と市民運動との距離感を見る。大企業労働組合の組合員と地域で暮らす市民との生活環境の違いにも津富理事長は注目する。しかし、このままでいいわけではない。津富理事長は社会的組織の運動論に話を展開する。
「日本で弱者に寄り添う運動論をもつ団体は少ないと思います。ソーシャルベンチャーや社会的起業が大学教育などでも主流ですが、社会的起業は事業を成功させるための一点突破になりがちで、社会全体の将来像を描いているのか疑問をもつことがあります」
「他方で社会的な包摂をめざす組織として宗教組織がありますが、そうではなく、誰も落ちこぼれさせない社会連帯の基盤を提供する組織が日本のどこにあるでしょうか。労働組合はさまざまな運動の基盤になって、それらをつなげていく気概をもってほしい。労働組合が社会連帯の基盤になることが大切なんです」
市民運動と労働運動の距離感を縮めなければ社会運動の行く末は見えない。アメリカの労働運動と市民運動との「共闘」は、コミュニティ・オーガナイジングとして1980年代後半から始まった。新自由主義政策に打ちのめされた労働運動が市民運動との「共闘」に活路を見いだしたからだ。
「抽象論では理解できる。一緒にやれることが簡単に思いつかないことが問題」と津富理事長の口から本音が漏れる。
身近な問題が労働問題とつながっていることは理解できるはずだ。次の一歩が間違いなく問われている。