特集2017.04

「働き方改革」の隠れた争点を考える苦しみを声に出させない「ブラック部活」と「ブラック企業」の共通点

2017/04/18
職場で起きるパワハラの背景に教育現場でのパワハラ指導が影響してはいないだろうか。そんな疑問を学校現場におけるスポーツ事故、組み体操事故などを研究している名古屋大学の内田良准教授に聞いた。両者の共通点を探る。
内田 良 (うちだ りょう) 名古屋大学大学院准教授。専門は教育社会学。博士(教育学)。著書に『教育という病』(光文社新書)『柔道事故』(河出書房新社)など

組み体操の「鉄板」指導法

組み体操で「巨大ピラミッド」を指導する際、「鉄板」の指導方法があるのをご存じですか?

ピラミッドの土台となる生徒は、それが巨大化するほど、「ひざが痛い」と不満を訴えます。一方で、ピラミッドの上に登る生徒はそれが高くなるほど「登るのが怖い」という不安を漏らします。ここで、その「鉄板」の指導法が登場します。どうすると思いますか?

教員は土台になる生徒にまず「痛いと言うな」と指導します。痛いと言うと上に登る生徒が不安で登れなくなるからという理由です。一方で上に登る生徒に対しては、「下の子はつらい思いに耐えて、ぐっと我慢している。だから信用して登りなさい」と指導します。こうやって、お互いに「痛い」とか「怖い」という気持ちを我慢して、巨大ピラミッドをつくりあげます。つまり、自分の苦しみを言ってはいけないし、組織全体のために役に立てという指導法なのです。こういう職場、皆さんの周りにもあるように感じませんか?

負担や不安を感じても、それを声に出させない。我慢して乗り越えることが教育の世界でもてはやされてきました。けれども、痛みをずっと我慢し続けると、巨大組み体操は負荷に耐えきれなくなって崩壊します。これは、企業も同じです。電通の事件を見てもよくわかると思います。個人が痛みに耐え続けた結果、結局その個人が犠牲になり、さらに組織もまた大きな損害を被りました。「痛い」と言えないことは、組織にとって大きな危険なのです。

パワハラの「効果」

学校教育では組み体操でケガをして入院した生徒に、教員が手紙を持っていき、「みんなが待っているよ」と励まして、一体感を高めるようなことが美談として語られたりします。本来なら学校の責任が問われる事案なのに、保護者も含めて、「美談」に飲み込まれていきます。

体罰が「美談」になることもあります。「信頼関係がある中での暴力であれば生徒はむしろ成長する」と話す教員はいますし、一方でかつて暴力を受けた人も「あのとき殴ってくれたおかげで、奮起することができた」と話し、美談にすることが多々あります。

誤解を恐れず言えば、暴力やパワハラには「効果」があります。「効果」というのは、生徒や部下といった立場が下の人を隷属させる「効果」です。この「効果」を肌で感じている人は、暴力・パワハラを肯定します。

このような、「不満を言わせない」「組織のための自己犠牲を強いる」指導のあり方は、ブラックバイトやブラック企業につながっています。ブラックな働き方の土壌を、教育現場がつくっています。ブラック部活、ブラックバイト、ブラック企業は連続した問題なのです。

たとえ、暴力やパワハラの「効果」があることを認めたとしても、これからの時代はそうではない方向を探るべきです。生徒を委縮させて従わせるのではなく、言葉で意見を交わして、自分の頭でどうするかを考える。暴力的な言動の「効果」に甘んじていては、主体的に考える生徒は育ちません。

支配する側の甘え

ここ20~30年の間、全国的に部活動が活性化してきました。教員に部活動に関するアンケートを取ると、「勝つためにやっている」と答える教員は、ほとんどいません。むしろ「社会性を身に付けさせる」といった、無難な回答がほとんどです。でも、社会性を身に付けるために週7日も練習する必要なんてありません。結局は、勝つためなんです。

そういう中で、生徒からよく聞くのは、「部活を辞められない」という悩みです。「辞めた後の仲間の冷たい視線が怖い」と話す生徒が多いです。

問題は、部活を辞めさせない顧問がたくさんいることです。本来なら、部活を辞めた生徒が仲間から冷たい視線をあびないようにケアするのが顧問の役割なのに、その顧問が生徒を辞めさせない。そういう顧問は、自分の支配下に生徒を置かないと気が済まない。辞めるという生徒の意思を尊重することができず、支配することに満足を感じてしまうのです。

さらにこれは生徒にも同じことが言えて、上級生になると下級生を支配できる気持ちよさに甘んじてしまいます。企業の中にも、上に立つことの気持ちよさから逃げられない人が多いと思います。「ブラック部活」と「ブラック企業」には、支配する側がこのような権力関係に甘んじる構図が共通してあると思います。

部活とやりがい搾取

部活動には、活動を強制するだけではなく、自主的な暴走を誰も止めないという問題もあります。いわゆる「やりがい搾取」の問題です。

部活動には確かにやりがいがあって、みんなで盛り上がるし、試合に勝てば満足感を得られて楽しい。だから、なかなかやめられない。けれども、やりがいがあるから、どこまでものめり込んでいいかというと、そうではないでしょう。のめり込んでしまうからこそ、指導する立場にある大人として、顧問はちゃんとそこにストップをかけないといけない。

スポーツ指導でコーチに求められるのは、ケガをした選手が無理をして試合に出場するのを、思いとどまらせることです。試合に出たくて仕方のない選手を休ませる。これがコーチの仕事です。コーチングの世界では常識のように言われていることが、できていない教育現場や企業がたくさんあります。やりがいがあるからこそ、どこかで制限をかけることも教員や管理職の重要な仕事です。

いわゆる「根性論」的な指導がなぜ続くのか。スポーツ科学の研究者と接して気づくのは、その人たちの知識が常にアップデートされていることです。

他方で、「根性論」的な指導法では、経験に基づくだけで、外からの新しい知識が入って来ません。経験に基づく指導法に頼っている指導者は、外部からの指摘に対して、自らの過去を否定されたように感じてしまう。でも、科学は否定の連続です。新しいことを受け入れる姿勢が教員や管理職に求められると思います。

「痛み」を放置しない

自分の苦しみを口に出して言わせない文化が教育現場にあります。しかし、そうした状況はとても危険です。小さな痛みを放置すれば、組織はいつか崩壊します。痛みがあれば、そこを治療して直す。そういう積み重ねが組織全体を健全にして、持続可能なものにしていくのだと思います。

最後に考えておきたいのは、ここまで述べてきたような学校の問題は、決して学校が単独で暴走してきたわけではないということです。巨大な組み体操も、スポーツ指導における暴力も、じつは保護者や地域住民もまたそれを支持したり容認したりしてきました。

このように考えると、「ブラック部活」「ブラックバイト」「ブラック企業」という連続性は、その外側にいる市民が下支えしている側面が強いと感じます。教育現場でのパワハラも、企業内でのパワハラも、市民一人ひとりの問題として考える必要があります。

特集 2017.04「働き方改革」の隠れた争点を考える
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