特集2017.06

最低賃金を考える働いても貧しいワーキングプアが増加
最低賃金のあるべき水準とは?

2017/06/14
ワーキングプアの広がりを受けて、最低賃金への注目が高まっている。働いても貧しいという状態の解消へ向けて、最低賃金のあるべき水準を考える。
三山 雅子 同志社大学社会学部産業関係学科教授

最低賃金とワーキングプア

近年、最低賃金への注目が高まっています。背景にあるのは非正規雇用の増加です。2012年の就業構造基本調査によると1987年から2012年にかけて、女性の正社員比率は18.9ポイント、男性も11.3ポイント低下し、その一方で非正規雇用率が上昇しています。

特に若年男性に非正規雇用が増加し、彼らが家族を形成できなくなったことが最低賃金への注目が高まった大きな要因になっています。最低賃金の低さはそれ自体が問題ですが、性別役割分業意識が根強い日本社会において、男性労働者が家族を養えないということが、最低賃金への社会的注目を高めたと言えます。前出の調査では、非正規雇用労働者の過半数は、男女とも年収200万円未満となっています。

非正規雇用の過半数が年収200万円未満
出所:就業構造基本調査(2012年)

現在の最低賃金の水準ではフルタイムで働いても、独立して家族を形成することは困難です。最低賃金がこのような低水準となっているのは、「最低賃金の水準は、労働者が独立して自活できる水準ではなくてもよい」という発想がとても強いからです。例えば、保護者に養育してもらっている学生アルバイトや、夫に扶養される主婦パートの賃金が想定されているため、低くてもよいとされているのです。女性の賃金は、このような考え方のもとで低く抑えられてきました。母子家庭のような女性が世帯主の世帯は「想定外」なのです。

使用者から見れば、その水準で雇える労働者がいる限りは、最低賃金を上げようとは考えないでしょう。そのため、最低賃金は低水準のまま放置されてきました。その結果、日本では働いても貧困率がわずかしか削減されず、一人親家庭ではかえって貧困率が高まるという状況すら生まれてしまいました。子どもがいる勤労世帯の貧困率を2012年のOECDのデータによって見てみると、大人が二人以上働いている世帯の場合、大人が一人働いている世帯と比較して、1.5ポイントしか、貧困率が低下しません。これはOECD平均13.4ポイントに比べると驚くほど低い数値です。つまり、2人目の働く大人である妻の賃金水準が低いため、二人以上働いても貧困率が削減されないのです。

さらに働いている大人が一人の世帯では、大人が働いていない世帯より働いている世帯の方が貧困率が高まるという結果すら出ています。一人親世帯の場合、働いた方が貧困がかえって深まっていたのです。このことにはやはり、女性労働者の賃金水準の低さが影響しています。

子どもがいる勤労世代世帯における相対的貧困率(2008年水準)
注:日本は2006年、貧困線は総人口の等価可処分所得の中央値の50%基準
出所:OECD Income distribution questionnaire,version january 2012 三山教授資料から引用

同一価値労働同一賃金の必要性

女性の賃金水準はなぜ低いままなのでしょうか。その背景には(1)日本では妊娠・育児がいまだに障害となって、経験年数を積み上げることが難しい(2)職場復帰してもキャリアアップをする仕事に就きづらい(3)スキルを積み重ねても正当に評価されていない─などの理由が挙げられます。また、出産や育児を境に退職してしまうと、それまでの経験やスキルを活かす仕事に就けないという問題もあります。

では、女性労働者の賃金を引き上げるために何をすべきでしょうか。私は、「同一価値労働同一賃金」の考え方が求められると思います。政府の「同一労働同一賃金」のこれまでの議論を見ると、同一労働に加え人材活用の仕組みが同じでないと同一賃金にならないという考え方に立っています。しかし、このような考え方では「同一」でくくられる労働者の数はとても少なくなってしまいます。

これまでの議論には二つの問題があります。一つは、男女間で仕事が異なるという職務分離を超えられないこと。もう一つは、同一価値を図るためのモノサシとして厚労省が検討している職務評価の基準が、グローバルスタンダードと乖離したものになっていることです。

前者の課題に対処するためには、「同一価値労働同一賃金」の考え方が必要になり、後者に関しては、職場での心理的・身体的負担、身体的技能などをもっと評価する必要があります。

厚生労働省の職務評価のガイドラインには、ILOによる職務評価項目に入っている「負担」や「労働条件」の項目が入っておらず、責任や人材活用の仕組みとその運用、つまり労働時間や勤務場所、職務の柔軟性などの評価が大きく見積もられています。これでは、職務評価を導入しても、非正規労働者の賃金を引き上げることにならず、格差を固定化してしまいます。格差を是正するためには、「負担」や「労働条件」の項目を評価することが必要です。育児や介護などで制約のある労働者が増えていることを踏まえると、長時間労働や転勤などを前提とした人材活用の仕組み自体が立ち行かなくなると考えるべきでしょう。

一人親家庭を基準にした水準

このように女性労働者の賃金を引き上げるためには、働く人の職務を全体的に評価していく必要があります。また一方で、すべての人がスキルアップできる仕事に就けるわけではないことも考慮に入れる必要があります。これは本人の資質や能力の問題ではなく、社会の仕組みの問題です。最低賃金の水準で働く人たちは一定程度、存在することを前提に制度を構築しなければなりません。

私は、最低賃金の水準は一人で子どもを育てている一人親労働者を基準に設定すべきだと考えています。一人親家庭の労働者が、働きながら子育てできる程度の水準を最低賃金にすべきということです。そのような水準が実現できれば、マジョリティーである二人親家庭はもっと楽に子育てできるようになります。

最低賃金は、職業的スキルのない人が対象になります。私は、数は少ないですが中卒で働き始めた労働者を念頭に置いています。その人たちがフルタイムで働いて、賃金と社会保障の組み合わせで家族を形成できる賃金水準がめざすべき水準です。同時に、その賃金水準とともに、働きながら子育てなどのケアが行える労働時間がフルタイムになる必要があります。社会保障に関しては住宅や教育に関して公的な支援を拡充していくことが欠かせません。

産業構造の転換を促す

このような生活できる賃金水準はいまより高い賃金水準になります。そのためには、その賃金を支払えるだけの産業がなければなりませんし、そうした産業をつくりだせる労働者がいる必要があります。次世代も含めて、教育をしっかり受けられることが大切になります。

日本の現状は、これとは逆に、低賃金・長時間労働でようやく利益を出している状態ではないでしょうか。しかし、このような状況では、企業は利益を上げたとしても、労働者や社会は疲弊するばかりです。それは30年後、50年後の日本社会、ひいては企業に跳ね返ってきます。

低賃金の産業に頼ってばかりいては、産業構造が変わっていきません。働くことの意味は本来、働く人が幸せになることにあるはずです。にもかかわらず、家族も形成できないような賃金しか払えないのであれば、その産業を残し続けることの意味を考えなければいけません。生産性の高い労働者を育成する観点からも、その賃金できちんと生活できる仕事をつくっていく必要があるでしょう。

最低賃金の水準が低くても、その分を社会保障でカバーして生活できるようにすればよいという議論もあります。しかし、働くことによって暮らしていけると労働者が思えることはとても大事だと思います。生活保護の受給は権利ですが、労働者にとって自分の働きが社会を支えていると感じられることはとても大切です。最低賃金はこのような観点からも考える必要があると思います。

特集 2017.06最低賃金を考える
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