特集2017.06

最低賃金を考える国際比較で考える日本の最低賃金
課題は「地域」「産別」の役割発揮にあり

2017/06/14
最低賃金の決め方や運用の仕方は、国によって異なる。イギリスとフランスの事例を見ながら、日本の最低賃金の課題と今後の展望を考察する。
神吉 知郁子 立教大学法学部国際ビジネス法学科 准教授

「全国生活賃金」を導入したイギリス

イギリスは1998年に全国最低賃金制度を導入しました。これ以前、イギリスには、低賃金の産業だけに賃金審議会が置かれ、そこで産業別の最低賃金が決められていました。しかし、この制度はサッチャー政権以後の保守党政権の批判にさらされ93年に廃止されます。その後、イギリスでは最低賃金制度がない状況が続き、97年に政権交代した労働党政権が現在の制度を導入しました。

93年当時、最低賃金を廃止すれば失業率が改善すると言われていました。しかし、実際に失業率はそれほど改善せず、むしろ低所得層の賃金所得が確実に低下しました。そこで問題になったのが社会保障費用の増大です。賃金では生活できず、福祉に頼って生活する人が増えてしまいました。

現在のイギリスの最低賃金は5種類のレートに分けられます。(1)25歳以上の成人最低賃金(2)21~24歳(3)18~20歳(4)18歳未満(5)入職後1年目の見習訓練生─の五つです。(1)の水準は、現在7.5ポンド(日本円で約1087円、1ポンド=145円換算)で、見習訓練生の時給は3.3ポンドです。見習訓練生の時給が低く抑えられているのは、入職のハードルを下げることが狙いです。

保守党政権は2015年に「全国生活賃金」という考え方を導入し、25歳以上の成人の最低賃金を9ポンド(約1306円)にまで引き上げるプランを発表しました。前述した(1)の最低賃金がそれにあたります。この水準は、フルタイム労働者の平均賃金(中央値)と比べても6割程度となり、先進国の中でも高い水準です。

しかし、保守党政権による最低賃金の引き上げは、労働者に優しいばかりではありません。社会保障費の削減とセットになっているからです。つまり、保守党政権の狙いは、「低賃金、高税率、高福祉」から「高賃金、低税率、低福祉」への転換だとも言えます。「生活賃金」とは、必ずしも「生活を保障する賃金」ではなく、「生活は賃金で確保せよ」というメッセージだとも読めるでしょう。

データを重視し、全員一致で決定

最低賃金の引き上げに対して、イギリスの企業が強く反発しているという話は、現地の研究者からもあまり聞きません。ダンピング競争のような底辺への競争は、まともな企業にも悪影響を及ぼすという考え方が共有されているように感じます。また、最低賃金の引き上げを、「ゼロ時間契約」の活用による労働時間の短縮やアウトソーシング、価格転嫁などで吸収できるからなのかもしれません。

イギリスの最低賃金額は、低賃金委員会という独立機関が政府に引き上げ額を勧告して決められます。構成は事実上、三者構成で、学識経験者には統計や経済系の学者が多いのが特徴です。使用者側や労働者側の委員は、利益代表者としてではなく、全員が中立の立場で参加します。協議ではデータが重視され、労使間で意見が割れる場合でも、最終的には全員一致で引き上げ額を決めます。労使が一致した姿勢をみせることで、政府の恣意を廃すべきという理念があるようです。

イギリスの最低賃金の特徴は、最低賃金が社会保障費を減らすのに有効な政策と位置付けられている点にあります。その効果や経済競争力への影響を測るため、低賃金委員会は、最低賃金引き上げに関して毎年レポートを出し、その影響をデータとして必ず検証しています。このようなアセスメントのあり方が労使の共通認識の形成につながっています。

スライド制を採用するフランス

フランスの最低賃金の特徴は、物価と平均賃金の伸びに連動して、最低賃金が自動的に引き上がるスライド制を採用していることです。

2017年のフランスの最低賃金額は9.76ユーロ(日本円で1220円、1ユーロ125円換算)で、フルタイム労働者の平均賃金(中央値)の6割に達し、世界的に見てもトップレベルの水準です。

物価水準と連動させる狙いは、購買力の維持であり、平均賃金との連動の狙いは相対的格差の是正です。とりわけ、後者は、周囲との相対的関係が重視されたものです。賃金上昇が一部の層に偏っていれば、社会の格差は広がってしまいます。これを是正し、社会全体で成長を分かち合おうという考え方が、「全職域成長最低賃金」という名称にもあらわれています。

ただし、高すぎる最低賃金には弊害も指摘されています。フランスでは、高すぎる最低賃金が、若年失業率の高さの要因だと言われます。雇用主が未熟練の若年労働者を雇わなくなってしまうのです。

また、最低賃金が高いと、賃金がそこに張り付いてしまう問題もあります。フランスでは賃金労働者の約12%が最低賃金労働者とされます。政府は、最低賃金で働く労働者の雇用を促進するために、社会保障負担の減免措置などを採っていますが、それが狙いになっている企業もあると聞きます。

フランスの労働組合は、最低賃金のさらなる引き上げを訴えていますが、高すぎる最低賃金の弊害に注意が必要です。

日本の最低賃金の特徴は?

では、日本はどうでしょうか。日本の最低賃金の決め方の特徴は、社会政策としてより、労使の当事者の意見を戦わせて決めているところにあります。

このような関係労使の自主的な賃金決定の役割を期待されてきたのは、本来は産業別最低賃金(特定最低賃金)です。しかし、日本ではこれがあまり機能していません。地域別最低賃金と特定最低賃金との、相互機能補完が、日本の最低賃金制度を考える際のポイントです。特定最低賃金は、地域別最低賃金がある以上、「生活の安定」を確保する必要性が低いため、当該産業における公正な賃金を追求できる利点があります。しかし、特定最低賃金の金額は近年、東京や神奈川で地域別最低賃金に追い抜かれ、その存在意義が問われるようになっています。

特定最低賃金が本来の役割を発揮するために、私が必要だと考えているのは、「特定最低賃金の複線化」です。特定最低賃金の対象は、基幹的労働者です。対象となる基幹的労働者を絞っていけば、最低賃金の水準は上げやすくなります。しかし、そうすると対象とならない労働者が増えて、労働組合の公正代表性が揺らいでしまいます。一方で、対象範囲を広げ過ぎると、地域別最低賃金との役割の違いが見えづらくなります。

そこで、「複線化」という考え方を用いて、入職時と、勤続年数が継続した場合と異なる水準を複数、少なくとも2点をセットで設けてはどうかと考えています。こうすれば、入職時点の水準にも、一定のキャリアを積んだ基幹的労働者の水準にも意義を持たせることができ、公正代表性の問題をクリアできます。

基幹的労働者の範囲に関しては、勤続年数にスキルや能力をプラスアルファすることで、賃金上昇の展望が見えるようにします。そこで、「このくらいのスキルなら、このくらいの賃金」というような、産業ごとのモデルケースをつくっていきます。例えば、JAMの「JAM一人前ミニマム基準」や連合の「職種別賃金主要銘柄」のように、「あるべき姿」をもっと打ち出して、賃金の「モノサシ」を社会が共有していければ良いと考えています。そうすることで、企業は、その水準に照らして自社の賃金水準を判断できるようになります。労働者も、将来的な展望が描けるようになります。

一方で、地域別最低賃金に関しては、イギリスやフランスの事例を参考にすると、引き上げの実際の影響を検証するプロセスを確立し、格差是正の視点を入れながら適切な水準を模索し続けることが課題となります。

このように、関係労使の自主的な賃金決定が期待される特定最低賃金と、労働者の生活の安定を担う地域別最低賃金が相互補完的に役割を発揮できるようにすることが、最低賃金の重層的な目的を達成するために重要です。

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