特集2017.06

最低賃金を考える最低賃金引き上げが労働市場に与える影響は?
論争は継続中 イギリスでは好影響

2017/06/14
最低賃金の引き上げは労働市場にどのような影響を及ぼすのだろうか。失業がもたらされる、賃金を底上げする─など論争が続いている。識者に解説してもらった。
佐藤 一磨 拓殖大学准教授

アメリカの事例

アメリカでは「15ドル」運動が展開されている

最低賃金の引き上げが労働市場に与える影響は、労働市場の状況によって異なります。

まず、経済学の教科書に出てくる「完全競争市場」であれば、労働者の賃金は需要と供給のバランスで決まるので、最低賃金が需要と供給の均衡点より高くなると、失業が発生します。

一方、使用者が労働者を生産性よりも低い賃金で雇っている「不完全競争市場」の場合、最低賃金が引き上げられても、労働者の賃金は元々低く抑えられていたので影響は出ないということになります。このように最低賃金の引き上げは労働市場の状況によって異なってきます。

アメリカの事例を見てみましょう。アメリカでは90年代初頭まで、完全競争市場が成り立っているという考え方が一般的でした。ただ、カリフォルニア大学バークリー校のデービット・カード教授とプリンストン大学のアラン・クルーガー教授が、ニュージャージー州での最低賃金の引き上げ事例をもとに分析した結果、雇用はむしろ増えていたという研究を95年に発表したところ、論争が起こりました。その後、別の研究者が別のデータで検証したのですが、今度は雇用が減っているという結果が出ました。これに対して、クルーガー教授らが別のデータでさらに分析をしたところ、雇用は増えてはいないが、減ってもいないという結果になりました。

また、ニューヨーク州でも他の研究者らによって分析が行われました。同州で2004年から06年にかけて引き上げられた最低賃金の事例を研究したところ、一方は30代以下の低学歴層の雇用が20%も減少しているという結果になり、もう一方は、マイナスの影響はなかったとする結果となりました。

このようにアメリカの事例では、使うデータのサンプルの大きさや期間の長さによって結果が異なり、論争はまだ続いているのが現状です。個人的には雇用へのネガティブな影響は少ないという研究が近年増えているという印象を持っています。

アメリカでは近年、最低賃金の引き上げが各州などで行われていますが、その影響を見るにはデータをさらに集める必要があると思います。用いるデータの期間が短いと、雇用へのネガティブな影響が出づらいという指摘もあります。

イギリスの事例

一方、イギリスでは、最低賃金の引き上げは、雇用へのネガティブな影響をもたらしておらず、低賃金労働者の賃金上昇に貢献したという評価がコンセンサスになっています。その理由には次の5点が挙げられています。

  1. 企業が人的資本投資や生産性を向上させた結果、マイナス分を吸収した
  2. 労働コストの上昇分を価格に転嫁した
  3. 企業収益の悪化により吸収した
  4. 労働時間によって調整した
  5. 買い手独占市場(不完全競争市場)が成立していた

研究はまだ続いているところですが、これらの要因により、最低賃金引き上げの影響が吸収されたと考えられています。

慶應義塾大学の鶴光太郎教授が指摘するように、最低賃金は勝者と敗者を生む政策だと言われています。つまり、勝者は、雇用も維持されるし、最低賃金の引き上げで賃金も上昇する。敗者は、雇用が失われて、賃金も得られなくなるということです。イギリスでは、最低賃金を引き上げても敗者が少なかったということです。このため、最低賃金の引き上げはイギリスでは前向きに評価されています。

日本ではどうか?

では、日本の場合はどうでしょうか。日本では、最低賃金の引き上げが、雇用に対してネガティブな影響を与えているという研究の方が多いのが事実です。これまでには、10代の若年層や中高年女性の雇用にマイナスの影響が見られたと指摘する研究も発表されてきました。

ただ、私と慶応大学の樋口美雄教授、高崎経済大学の小林徹講師との共同研究では、最低賃金の引き上げが雇用に対してネガティブな影響を与えていなかったという結果が得られました。

使用したデータは04~15年の慶応義塾家計パネル調査で、同一の個人を複数年にわたって追跡調査したデータです。これを用いて、最低賃金が引き上げられた地域で、非正規で働いていた人が翌年に仕事を辞める確率を計算しました。これによると、最低賃金の引き上げは、非正規で働く男女の離職確率を上げていませんでした。また、新規にパートの仕事に就く人も抑制されておらず、労働時間についても減っている傾向はみられませんでした。賃金に関してみると、最低賃金の引き上げは、低賃金層の賃金を引き上げているという結果が得られました。

このように私たちの共同研究では、最低賃金の引き上げは賃金上昇を通じて労働者の就労条件を改善する一方、雇用喪失を引き起こしていないことがわかりました。

日本で最低賃金の影響を一番受けやすいのは、パートで働く女性です。それも単身ではなく、世帯年収が500万円以上の世帯に属している女性がメインになっていると言われています。

こうした人たちは、家事や育児のケアを担っていることなどから、自宅近くで働かざるを得ないという制約があり、買い手独占市場の対象者でもあります。このため、主婦パートの賃金は、安く抑えられているという研究もあって、そうである場合、不完全競争市場の状態になっていることから、最低賃金を引き上げてもネガティブな影響はない可能性があります。これは私たちの研究結果とも合致します。

最低賃金の引き上げが雇用に対してネガティブな影響を与えるという研究が多いのは確かですが、このような状況も含めると、われわれの研究も的外れではないと言えます。

ネガティブな影響への対応

完全競争市場であれ、不完全競争市場であれ、最低賃金の水準が高くなり過ぎれば、雇用へのネガティブな影響は生じます。最低賃金の引き上げが続くとすれば、それに伴う弊害の可能性も検討しなければなりません。

まず、考えられるのは地方への影響です。北海道や沖縄などの地域では、最低賃金の引き上げ対象になる人が年々、増えています。このままのペースで引き上げが続けば、地方を中心に影響が出てくることが考えられます。

また、最低賃金の影響が大きいのは、飲食や宿泊、娯楽などのサービス業です。ここへの影響も注視する必要があります。

では、どのような影響が考えられるでしょうか。やはり雇用の削減が懸念されます。しかし、雇用が削減されても仕事量が減らないこともあります。そうすると、その仕事は残業代を支払わなくてもよい管理職などにしわ寄せされ、さらなる長時間労働を呼び起こす可能性もあります。

最低賃金引き上げに伴う弊害への対処としては、中小企業の生産性向上策を拡充したり、労働移動の活発化を支援したりすることが考えられます。後者に関しては、最低賃金の引き上げに伴って仮に失業したとしても、再就職しやすい状況をつくるということです。そのためには、労働者の能力開発も重要になってきます。能力開発は再就職確率が高くなることが研究からもわかっているので、効果的だと言えるでしょう。

引用:日本経済新聞2016年6月30日付朝刊経済教室
佐藤一磨・拓殖大学准教授、樋口美雄・慶応大学教授、小林徹・高崎経済大学講師との共同研究結果から
特集 2017.06最低賃金を考える
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