特集2019.10

「共助」をもっと考えよう「助け合いと市民社会」考
市民運動がもっと自立するには?

2019/10/15
日本社会における市民運動と助け合いにはどのような特徴があるのか。共助が弱いと言われる背景にある構造とは? 市民運動が自立するために必要なことを探る。
仁平 典宏 東京大学准教授

市民社会の二重性

──地域や職場での助け合い機能の低下を懸念する声があります。

立ち位置によって異なる見方ができます。例えば、地域の相互扶助機能が低下することで、草の根民主主義が弱くなっているという見方。代表的なのはロバート・パットナムのソーシャル・キャピタル論です。タウンミーティングや相互扶助活動などに象徴されるアメリカの社会関係資本が弱まることで、民主主義も弱くなっているという議論です。この観点で見れば地域の相互扶助活動は民主主義強化のために重要です。

一方、異なる文脈もあります。日本では社会保障費抑制の流れの中で、地域にサービス主体を移行する動きがあります。この観点では、国の社会保障費の抑制のために地域の助け合いが称揚されます。

そもそも、日本において、こうした助け合いを称揚してきたのは保守政党で、革新系の野党は社会保障の弱さや資本主義が生み出す矛盾を相互扶助で糊塗することを批判してきました。

ただ、1970年代から住民運動や革新自治体の誕生を背景に、革新系の中にも市民活動を推進する動きが生まれてきます。同時に女性運動や障害者運動など多様な主体の運動が勃興していきます。

ただ多くの団体は法人格がなく、組織基盤は安定しませんでした。資金を得やすくするために公益法人の認可を得ようとしても、そのハードルが高く難しい。公益の定義を国が独占していたため、官僚のさじ加減によって認可は恣意的に左右されました。そのため政府から自律して運動をする団体は大きくなりにくい一方で、社会的信用のために法人格を得ようとすると政治的な自律性が損なわれるという構図が生まれました。日本の市民社会にはこうした二重構造があると指摘されてきました。

自律性の確保

こうした状況を打破するものとして期待されたNPO法は、1990年代の非自民連立政権の誕生や阪神・淡路大震災のボランティアの活躍などを経て1998年に施行されます。

この立法において市民の果たした役割は大きいですが、90年代後半以降の新自由主義に向けた条件整備という背景もあります。政府が担ってきた社会サービスを地域の相互扶助に移管しコストカットを狙う勢力と、草の根の運動を展開してきた人々が、まったく異なる文脈から市民セクターの強化を訴えてNPO法が成立したのです。

──NPO法の成立から20年が経過して、その関係はどう変わったでしょうか。

行政の政策もNPOの存在を前提として行われるようになるなど、NPOは日本社会の中で大きな役割を果たすようになりました。しかし、行政の助成金や委託金を取るために消耗し、雇用も不安定な中で疲弊していくNPOは少なくありません。

他方で、同じく低福祉国のアメリカと比べると、日本は寄付の水準も低いです。そのため、行政からの委託金に依存せざるを得ません。それは、NPOが行政の意向を忖度せざるを得ない構図を生み出します。NPOは日本社会において大きなアクターとして成長したものの、財源と自律性という観点において厳しい状況に追い込まれているとも言えます。

──市民運動が自主性・自律性を確保するためには?

寄付や会費が少ない背景には市民セクターに対する社会的な信頼が弱いことがあります。助け合いや絆のような言葉は一般論として称揚されますが、実際に活動しているNPOなどを応援・支援している人は多くありません。

2012年に行われた調査(日本版General Social Surveys 〈JGSS-2012〉)の中に、機関や人に対する信頼の度合いについて尋ねた項目があります。「まったく信頼していない」割合が一番高かったのは労働組合なのですが、「NPOやNGOのリーダー」も悪い方から3番目です。この信頼性の低さがNPOが助成金に依存せざるを得ない状況とかかわっています。

その背景には、公共性を担う存在が日本では長らく行政しかなかったことが挙げられます。日本には長い間、公的=行政=非営利、私的=民間=営利という区分けしかなかったので、市民が非営利の活動を通じて公共性の担い手になるという感覚を肌でつかむことができず、市民活動に取り組む人たちを冷笑したり、敬して遠ざけたりする構造ができてしまいました。

「やりがい搾取」と助け合い

また、助け合いを称揚する言説がある一方で、不信感も根強い背景には、日本がすでに助け合いを過剰に組み込んだ社会であることも挙げられます。そのことを端的に表現しているのが「やりがい搾取」という言葉です。日本は「やりがい搾取」を含み資産のように保持してきた社会だと言えます。例えば、家庭内では女性が家事や育児を無償で行うことで、育児や介護の施設をつくらずに済みました。企業内でも不払い残業などで従業員を搾取してきましたが、長期雇用との引き換えにそれが許容されてきました。

短期的には搾取であっても長期的な安定が提供されるから、含み資産として無償の労働力を提供してきたのです。しかし、近年そうした長期的な交換条件が成立しなくなると、人々は搾取されている意識を高めていきます。このように見ると、日本社会は助け合いが少ないのではなく、システムの中に助け合いを過剰に組み込んできた社会とも言えます。

その中で、人々にさらに助け合いを求めたり、寄付を求めたりすれば、「もう十分にやっている」という反応が返ってくるのもうなずけます。そのため、私は一般の人々に公的サービスの肩代わりのためのボランティアや寄付をこれ以上求めるのも筋が違う気がしています。ただ、ボランティアや寄付を無理にする必要はありませんが、それらに取り組む人を冷笑しないでほしいとは思います。

一方、ボランティアや寄付をもっとすべきなのは高所得層です。「ノーブレスオブリージュ」という言葉に代表されるように、多くの国で高所得層ほど寄付やボランティアを行う傾向があります。日本も戦後しばらくそうでした。しかし、2000年代に入ってから日本の高所得層はボランティア活動への参加を顕著に減らしています。これは世界的に見ても大変珍しい現象です。日本の格差社会は、所得や資産の格差に加え、高所得者層が公共圏から撤退しているという点でも問題です。自分の得たものを社会に還元する意識をもっと持つべきです。

ミクロの場を超えたつながり

──助け合いの意識を醸成するには?

日本における助け合いは、家族や職場といったミクロな場における助け合いであって、そうした場を超える見知らぬ他者に対する助け合いの意識は希薄です。ミクロな場において濃密な助け合いがあるのは、それをしなければ「村八分」にされるからで、長期的な人間関係が前提になっていると言えます。

日本では、流動性の低い集合内での助け合いは強度に行われる一方、それを超える範囲の人に対する贈与の意識は非常に低いことが学術的にも指摘されてきました。前者のつながりは「ボンディング型」。後者は「ブリッジング型」と呼ばれます。後者の意識をどう強めていくかが課題です。

先ほどの調査で労働組合の信頼度が低かったのは、非正規労働者など組合の外にいる人とのつながりが弱かったからと考えられます。労働の現場で起きていることは、他の市民団体が取り組んできた活動と必ず結び付きます。多様な組織・人との結び付きを強めることが労働組合の存在意義の向上につながるはずです。

特集 2019.10「共助」をもっと考えよう
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