新型コロナウイルスとICT「コロナ」で加速する産業構造の転換
経済の「非物質化」にどう向き合うか
大学院経済学研究科教授
資本主義の「非物質化」
新型コロナウイルスの感染拡大でデジタル化の促進に注目が集まっています。ただ、それは変化の本質というよりも現象面の変化に過ぎません。変化の本質は、経済的価値の源泉が、物的資産から無形資産へと変化した点にあります。工場などの物的資産よりも、知識、人(人的資本)、あるいは人と人との関係(社会関係資本)など、製造業の全盛時代には見向きもされなかった多くの無形資本が、いまや経済的価値を生み出す源泉として注目されています。デジタル技術は、その新しい価値を実現するツールに過ぎません。
私は今年出版した『資本主義の新しい形』(岩波書店)で、資本主義で「非物質化」が急速に進んでいると主張しました。典型的には、ブルーカラー労働者が肉体労働で対象物に改変を加え製品を生み出す工業社会から、ホワイトカラーが生み出す知識情報・サービスが中心となる経済への転換です。
消費のあり方もモノ消費から、コト消費へと変わりつつあります。こうした産業、労働、消費にまたがる非物質主義への変化は、すでに1950年代から指摘されてきましたが、その流れがいよいよ本格的に到来したということです。
日本の長期停滞の要因の一つに、この転換への対応が遅れたことがあります。1990年代以降の動向を振り返ると、1990年代にはIT革命が起こり、現在に至る変化の起点になりました。ただし、1995年から2000年代の労働生産性向上の内容を分析すると、半導体やパソコンなど、依然として物的生産がその中心でした。この頃までは、日本の半導体製造なども好調でした。
しかし、そうした物的IT投資は2010年前後にはほぼ飽和して、その後は整備されたICT基盤を利用してどのような価値を生み出すかが問われるようになります。そこにGAFAなどのIT企業が急成長する素地が生まれました。日本企業はその流れに乗り遅れたのだと言えます。日本は、ものづくりは得意でも、経済的価値の源泉の転換に気付くのに遅れました。それが日本のデジタル化の遅れにつながりました。日本の長期停滞の背景には、資本主義の「非物質化」への対応の遅れがあったと言えます。
「コロナショック」の影響
新型コロナウイルス自体が経済的な価値の変化について革命を起こすわけではありません。「コロナショック」は、従前に起きていた現象を加速させるに過ぎません。
例えば、テレワークの広がりは、人と人との関係や仕事の評価の仕方を変えますが、企業が「成果」で従業員を評価する流れ自体は従前からありました。
また、産業構造の転換も加速化させます。テレワークが広がれば、オフィスでの紙の需要が減る一方、電子認証システムやウェブデザインの需要が増えるでしょう。オフィス需要が減れば建設産業にも影響するでしょう。鉄鋼産業ではすでに生産能力の削減を打ち出している企業もあります。製造業も従来のままでは生産規模を縮小せざるを得ません。
今回のパンデミックは産業構造の転換のスピードを加速させ、経済のサービス化は一層進展するはずです。その一方で、デジタル化をはじめとした産業構造の転換は、経済の新しい成長と脱炭素化につながります。その意味で、日本の産業構造の変化に期待しています。
サービス経済と格差の拡大
サービス化された社会は、工業社会と比較して格差が広がりやすいと指摘されます。技術発展などによって中間層の仕事が機械に代替され、労働市場が二極化することはこれまでも指摘されてきました。AIの導入などによってその傾向は加速化すると見られています。
ただ、格差が拡大するかどうかは、それらの動きに対してどのように対処するかによって変わります。デジタル化・サービス化を放置するだけでは格差は拡大しますが、対応次第で社会のあり方は変わります。
例えば、同じ資本主義であってもスウェーデンは、アメリカのような格差社会にはなっていません。スウェーデンは意外にも厳しい競争社会です。業績の悪い企業を国が救済するようなことはしませんし、産業構造の転換にも積極的です。
その一方でスウェーデンでは、教育が無償で受けられ、働く人たちへの教育訓練に対して国家による投資が行われ、住宅や家族に対する手厚いセーフティーネットが準備されています。
スウェーデンは、このように企業を救済するのではなく、個人を救済する積極的労働市場政策によって格差の小さい社会を実現しています。資本主義の形をどう決めるかは、それをどう運営するかによって変わるということです。
「非物質」資本の独占化
資本主義の「非物質化」が進むことで、「非物質」の資本の独占・寡占という問題も生じます。データをはじめとした「非物質」の資本の独占・寡占によって、市場システムにゆがみが生じ、格差の拡大や健全な経済成長の阻害などが生じるということです。実際、アメリカでは巨大IT企業による独占・寡占の傾向が強まり、それらの企業は有望なスタートアップ企業を取り込んでは市場支配力を高めています。
また、フランスの社会学者ピエール・ブルデューは、所得など単なる外形資産だけではなく、教育や家庭環境をはじめとした無形資産(ソーシャル・キャピタル)の方が継承されやすいという議論を展開しました。資本主義の「非物質化」が進む中で重要な論点になり得ます。
こうした格差を是正するためにも、教育や住宅、職業訓練などのセーフティーネットを強化することがますます重要になります。それらのセーフティーネットに投資するのは国や地方公共団体です。それらは税金で運用されることになるので、国や地方公共団体に対する信頼が成否のかぎを握ります。
当面は財政出動を伴いながら、経済をなるべく早く成長軌道に戻すことが大切です。財政資源を使って、人々の所得や利潤が向上し、それが国庫に戻ってくるのが基本のサイクルです。
経済が一定程度、成長軌道に乗ったら、新しい財源をどうするかという課題に向き合わざるを得ません。ヨーロッパでは、炭素税や市場取引税、デジタル課税などの議論がすでに始まっています。巨大グローバル企業の租税回避に対抗して税を取り戻す必要があります。格差是正のためにも、資産を持つ人への課税について、国際的な枠組みでの議論を進めることが大切です。
「ポストコロナ」の経済
19世紀は農業が基幹産業で、たくさんの価値や雇用を生み出していましたが、技術革新などによってより少ない資本投資で食料を提供できるようになり、産業に占める割合も低下していきました。
製造業も同様により少ない資本投資で生産物を生み出すことが可能になっています。AIやIoTによってその流れはさらに加速し、経済のサービス化とデジタル化が進むでしょう。
その変化の本質は、すでに述べたように経済的価値の源泉の変化です。非物質的な価値を生み出すには、工業社会に適した画一的教育ではなく、クリエーティブな発想を育てる教育システムが重要になります。そうした価値転換に即応して社会を組み替えられるか否かが、これからの日本社会の分かれ道になるでしょう。
産業構造の転換は労働者にとって厳しい面もありますが、それに対応できなければ日本経済全体がじり貧に陥ります。セーフティーネットの整備によって影響を最小限にとどめながら、経済の成長につなげていくことが重要です。