特集2020.08-09

平和運動の新展開労働組合はなぜ平和運動に取り組むのか
歴史を読み解き今に生かす

2020/08/17
労働組合は戦後の平和運動の中心的な担い手だった。その背景に働く人たちのどのような思いがあったのか。現代の労働運動にどう反映すべきなのか。
篠田 徹 早稲田大学教授

労働組合にとっての平和運動

75年前、すべての日本人にとって戦争と生活は切り離せないものでした。誰もが戦争を意識せざるを得ない時代。そこから免れる人は誰一人いませんでした。

終戦直後も同じです。あらゆる人が戦争の経験と記憶、傷痕を背負いながら暮らしていました。家族や友人、財産などを失い、その記憶は人々の中に残り続けました。

1955年にいわゆる「55年体制」が生まれます。与党が3分の2の議席を占め、野党が3分の1を占める。これは憲法改正を阻止できる勢力でした。戦争を経験した人たちにとって日本国憲法は、二度と戦争をさせない、そのために軍事力を持たないことを意味していました。

こうした体制構築のために最も活発に活動し、影響力を持っていたのが労働運動です。当時の労働運動にとって、戦争や平和の問題を抜きに運動を展開することなど考えられませんでした。それはイデオロギーを超えて、すべての労働組合にとってそうでした。労働組合が平和運動を展開しないなど、あり得ない時代だったのです。

そもそも、「戦争」や「平和」という言葉を使うか使わないかにかかわらず、平和な状態を求めるのは人類がこれまであらゆる時代と場所で追求してきたことです。私は、最近の労働運動が、平和運動を一部の人が取り組む特別なことのように捉えるのに大きな疑問を持っています。労働組合の中で、平和に対するイメージや想像力がしぼんでしまったのではないかと危惧しています。

平和運動とは何か

北欧のような福祉国家の形成と平和運動を結び付けて語ることは、日本ではまずありません。しかし、北欧の労働組合が戦後の福祉国家づくりの中でしてきたのは、間違いなく平和運動です。どういうことか、これから説明していきます。

平和研究学者のヨハン・ガルトゥングは、暴力には三つの類型があるとしています。それは(1)直接的暴力(例・子どもが殺される)(2)構造的暴力(例・子どもが貧困のために死ぬ)(3)文化的暴力(例・子どもが殺される・子どもが貧困のために死ぬということを見ようとしない、もしくは正当化するもの)──の三つです。さらにガルトゥングは平和の状態を、(1)消極的平和(直接的暴力が停止すること)(2)積極的平和(構造的暴力と文化的暴力を乗り越えた状態)──と定義しました。

現代の労働組合で平和運動は、直接的暴力をなくし、消極的平和を達成することだとイメージされがちです。しかし、それでは平和の意味を狭く捉えすぎです。直接暴力だけではなく、構造的暴力や文化的暴力を乗り越え、積極的平和の実現をめざすことも平和運動だと捉えるべきです。実際、スウェーデンの労働組合は、国家の戦争や戦闘行為のあり方に積極的に関与してきましたが、それだけではなく、福祉国家づくりを通じて「平和な状態をつくる」という行為に対しても、強い問題意識を持ってかかわってきました。それも平和運動なのです。

文化的暴力への抵抗

日本の労働運動は1960年代、場合によっては70年代まで、三つの暴力に対抗するような運動を展開してきました。当時の労働組合の議案書を読むとそのことがよくわかります。例えば、当時の労働組合は、貧困や格差の問題と戦争を結び付けて論じていました。また、米ソの冷戦構造が自分たちの賃上げになぜつながるのかを説明しようとしていました。それらは、労働組合が構造的暴力や文化的暴力を視野に入れた運動をしていたことの証しでした。

創設当時の全電通(現NTT労組)の議案書には、「労使関係を民主化することが日本を平和にする」「戦前に戻さない」とはっきり書かれています。戦前の国家資本主義に対して、国で働く労働者たちこそ、戦後の民主主義社会をけん引するのだという強い自負がそこから読み取れます。

かつての労働組合の議案書は、こうしたことを説明するために多くのページを割きました。現代の労働組合の議案書には、文化的暴力への抵抗まで視野に入れたような長い説明は見られません。労働組合の視野が狭まったことの一つの事例だと考えています。

労働組合は文化的暴力に対しても、民主主義や平和の重要性を積極的に訴えてきました。ベトナム戦争反対運動はその象徴です。日本の労働者がベトナム戦争とどうつながっているのか。他国の戦争にどうして反対するのか。そういうことを集会や職場で一生懸命考えた。それは想像力の産物でしたが、文化的暴力に対する反抗でもありました。

もちろん、それに対してイデオロギー的だとか、行き過ぎだという批判もありました。こうした対立が1970年代後半以降の平和運動の後退につながっていきます。労働組合の平和運動は、構造的暴力や文化的暴力への抵抗と切り離され、直接的暴力への反対にのみ収れんされていきます。

SDGsと平和運動

冷戦崩壊以降は直接的暴力を考える機会すら少なくなり、新自由主義が席巻する世界の下では、構造的暴力の議論も下火になりました。

しかし、リーマン・ショック以降、世界で構造的暴力や文化的暴力に対する抵抗の必要性が認識されるようになります。実は、国連の「SDGs(持続可能な開発目標)」は、この思想の延長線上にあるものです。SDGsとはまさに平和運動の現代的な展開なのです。

今、アメリカで起きている「Black Lives Matter」運動も、その象徴とも言えます。あれは三つの暴力すべてに抵抗するという意味でも、まさに平和運動です。ところが、日本ではそうした運動が平和運動だと認識されることはまずありません。

労働組合の皆さんは思考を切り替える必要があります。平和運動とは直接的暴力をなくし、消極的平和をめざすだけの取り組みではありません。三つの暴力に対抗し、積極的平和をめざす運動だと定義し直す必要があります。

例えば、職場のハラスメントの解消は、平和運動の一つです。直接的な暴力から、ノルマなどの構造的な暴力、見て見ぬふりをするという文化的暴力まですべての要素が詰まっています。そう考えれば、ハラスメント撲滅は新しい平和運動になり得ます。

リアルな問題とつなげる

もう一つ大切なことは、自分の職場や企業さえ平和な状態になればいいわけではないということです。核兵器廃絶や沖縄の基地問題、気候変動問題をはじめとして、社会にある構造的暴力や文化的暴力の問題に目を向ける必要があります。

それは単なる理想論でもありません。倫理的・道徳的な問題に取り組まなければ企業がマーケットに参加する資格を奪われる風潮が欧米を中心に強まっています。競争原理としても倫理的・道徳的な問題に取り組まなければ、企業は生き残れないのです。労働組合の役割はここにもあります。SDGsをはじめとして平和な状態をつくる運動を企業に積極的に投げ掛けていく。これは労使対決の復活では決してなく、労使協調の発展型と言えるかもしれません。

平和運動に対する理解を高めるためには、倫理や道徳という側面に頼るだけではなく、企業の生き残りのようなリアルな側面に働き掛ける戦略も必要です。普遍的な平和の重要性と人々が関心を持つリアルな問題をどうつないでいけるのか。かつての労働組合が議案書などでそれを説明しようとしたように、現代の労働組合にもそれらを説明する努力が求められています。

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