特集2020.08-09

平和運動の新展開デジタルの力を生かし戦争体験証言を後世に
証言が現代に伝えることとは

2020/08/17
戦争体験者の証言をデジタル化して保存する取り組みが進んでいる。デジタルアーカイブの活用法などについて、NHKなどでデジタルアーカイブの構築に携わってきた宮本聖二氏に聞いた。
宮本 聖二 立教大学大学院21世紀
社会デザイン研究科特任教授

「非戦」という集合的な記憶

戦後75年を迎え、戦争体験者が少なくなっています。日本は1945年以降、戦争することはありませんでしたが、それまで長期にわたって戦争を行い、自国民だけではなく、他国の人々に甚大な被害を与えました。そうした戦場や空襲などの体験は、日本人の集合的な記憶となって、戦後日本の「非戦」「平和」という価値観につながりました。

終戦当時15歳だった人は今年90歳を迎えます。今、戦争体験者が少なくなることで、「非戦」「平和」の価値観が相対化されることを懸念しています。そうならないためにも、戦争体験者の言葉を改めて聞く必要があります。

そのためにデジタルの力を活用することができます。私は2007年からNHKの「戦争証言アーカイブ」に、立ち上げから携わってきました。近年はヤフーで「空襲の記録」を制作しています。サーバーの大規模化などに伴い、デジタルアーカイブの機能性は大きく高まりました。戦争体験者の言葉を残し、後世に伝えるためにその力を生かすことが求められています。

デジタルアーカイブの利点は、どこからでもアクセスできることです。戦争体験談を自宅で聞くことができます。

また、膨大なデータを蓄積することができ、「沖縄戦」「空襲」などテーマごとの検索も容易です。

デジタルアーカイブの見せ方

デジタルアーカイブの構築では、「キュレーション」を重視してきました。「キュレーション」とは、「収集した情報を特定のテーマに沿って編集し、そこに新たな意味や価値を付与する」ことです。実際、戦争について初めて学ぼうとする人ほど、どの情報に接していいかわかりません。そのためサイトを訪れた人が、自分の関心に沿ってデータにたどり着けるよう、情報を整理したり、ユーザーインターフェースを工夫したりすることに力を注いできました。

日本の戦争体験証言に関するデジタルアーカイブの弱点は、統一的なポータルサイトがないことです。データの収集者ごとに、データの形式がばらばらで標準化されていません。国立国会図書館には東日本大震災の記録を集めた「ひなぎく」というポータルサイトがありますが、戦争体験証言にもこれと似た仕組みがあるといいでしょう。アメリカの日系人の戦争体験を伝える「DENSHO」やイギリスBBCの「WW2 People's War」の取り組みも参考になります。

証言の活用方法

小・中学校でデジタルアーカイブの映像を使った授業にも取り組んでいます。学年によっては見せるコンテンツをかなり短くしなければ効果が出ません。ビデオの上映は15〜20分程度にして、1時間の授業で活用してもらえるよう工夫しています。

デジタルアーカイブでの証言が、生身の体験者の証言と比べて聞く人にどの程度伝わっているのかはわかりません。しかし、伝える活動をやり続けなければ風化してしまいます。さまざまな機会をつくって、証言を見てもらうことが大切だと考えています。

すでに公民館と連携して地域の戦争体験を学んでもらう取り組みも進めています。日本各地の空襲の記録があるので、労働組合でも地域の分会ごとの学習教材としても利用できます。

証言収集も困難に

戦後75年が経過して、戦争体験証言の収集は明らかに難しくなっています。戦場体験証言なら、かつては地域の戦友会で話を聞けば、複数の視点から一つの戦場の様子が見えてきました。しかし戦友会は今、ほとんど残っていません。かつては200人いた戦友会も今は1〜2人ということもざらではありません。

空襲体験を語り継ぐ会は各地に残っていますが、体験者にたどり着けないことも増えてきました。記憶の真実性を担保することも難しくなっています。戦争体験当時に小学生だと、旧制中学校や旧制高等女学校の生徒に比べて記憶の内容が明らかにあいまいです。後者の人たちは、自分の受けた教育を分析的に語ることができ、自分がなぜ「軍国少年・少女」になったのかを語ることができます。そうした内容を話すことのできる人も減っています。

証言からくみ取れること

証言を聞く中で感じるのは、「なぜそのようなことが起きてしまったのか」という怒りと悲しみです。誰かが悪いというのではなく、そうした事態がなぜ生じたのかをいつも考えています。

子どもたちはなぜ「軍国少年・少女」になったのか。教育者やメディアはなぜ当時の権力や軍部の伴走者になってしまったのか。私は戦争体験者に話を聞く際に、「そのシチュエーションをなぜ受け入れたのですか」と必ず聞くようにしています。するとほとんどの人が、「戦場に行くのは当たり前だった」と口を揃えて答えます。国民が国家に奉仕し、戦場に赴くのは当たり前だとほとんどの人が受け入れていたのです。

人々はなぜ受け入れてしまったのか。そこには、権力から言うことをすべて受け入れてしまう「思考停止」状態があったのではないでしょうか。戦争体験者の証言を聞いているとそう感じることがあります。では、戦後日本は本当に生まれ変わったのでしょうか。私たちの社会にもどこか思考停止になっている部分があるのではないでしょうか。証言を聞きながらそんなことを考えてもらえたらと思います。

もう一つ注目してほしいのは、戦後の貧しさです。戦争体験証言では、戦後の生活の苦しさも多数残されています。戦後の復興途上で救済の枠組みがなく、取り残された人たちがたくさんいました。セーフティーネットの弱さは現代の課題でもあります。暮らしのために何が必要なのか証言からくみ取ってほしいと思います。

日本の加害の歴史を知る

過去を知ることは今を知ることであり、未来を考えることです。過去と現在は断絶していません。

日本社会において、アジア・太平洋地域で日本がもたらしたことの学びが足りてないのではないかと懸念しています。例えば、中国の留学生は日中戦争で日本軍将校が行った「100人斬り競争」を学んで知っていますが、日本の学生は知らない。オーストラリア人は、日本軍による空襲の記憶を受け継いでいますが、日本のほとんどの若者はオーストラリアと戦争したことすら知らない。このように日本人は自分たちが受けた被害のことは知る機会がありますが、自分たちが与えた被害についてはよく知りません。

これがアジア・太平洋地域の人たちのいらだちにつながっているのではないでしょうか。それは決して「反日」ということではありません。日本人が自分たちがしてきたことを知らない、歴史を学んでいないということに対するいらだちなのだと思います。「謝れ」ということでもありません。歴史を俯瞰して、まず知ることが大切だと思います。

グローバル時代にあって他国と断絶して仕事をすることはますます難しくなっています。世界で仕事をするためにも、働く世代が歴史を知ることが重要です。戦争で何があったのか、戦争体験者の証言を通じて学んでほしいと思います。

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