特集2020.08-09

平和運動の新展開被爆者の「記憶」と「思い」
両方を時代につなぐ

2020/08/17
戦後75年が経過し、被爆者の生の証言を聞く機会が減少している。「オンライン被爆証言会」の成果や、核兵器廃絶運動の今後などについて、運動をけん引する林田光弘さんに聞いた。
林田 光弘 ヒバクシャ国際署名キャンペーンリーダー

オンライン被爆証言会

戦後75年は被爆者の証言を聞いてもらう一つのチャンスでした。特に被爆者と参加者が名前を呼び合えるくらい少人数での証言会を全国でいくつも計画していました。それが新型コロナウイルスの影響で中止せざるを得なくなりました。

とはいえ、被爆者の年齢を踏まえれば、被爆証言のできるギリギリのタイミングです。この事態を打開するためにオンラインを活用することにしました。

「ヒバクシャ国際署名」ではこれまで、「オンライン被爆証言会」を4回開催してきました。仲間が主催したものを含めれば回数はもっと増えます。

「オンライン被爆証言会」では思わぬ収穫がたくさん得られました。

一つ目は、多くの若者が参加してくれたこと。核兵器問題に関心を持つ若者はいますが、これまで活動にかかわるチャンネルが多くありませんでした。それが、オンラインを活用したことで参加のハードルが下がり、関心はあっても活動に参加したことのなかった若者がたくさん応募してくれました。1週間の告知で50人の申し込みがあった回もありました。これまでになかったことで驚きました。

二つ目は、規模によってはリアルの集会会場よりオンラインの方が、被爆者との距離を近く感じられるということです。例えば100人の会場では被爆者との距離が遠く感じられますが、オンラインだと顔が画面に大きく映るし、自分に語りかけてくれているような感覚になり、被爆者を近くに感じられます。チャットを利用することで、リアルの会場よりも質問もたくさん出ました。

三つ目は、各地の若者が交流する機会が増えたことです。これまでの活動では、広島・長崎の若者とそれ以外の地域の若者が同じ空間にいる機会は多くありませんでしたが、オンラインで交流の機会が気軽につくれるようになりました。

若者が学ぶ環境を整える

「オンライン被爆証言会」では、若者が学ぶ環境をいかに整えるかに注意を払いました。そのため参加者は若者に限定しました。多様な世代の参加者がいるのは悪いことではないのですが、周囲が年配者ばかりだと不安になるし、実際、大人も一緒では「間違いを指摘されるのが怖い」という声は少なくありません。若者が平和運動の何にハードルを感じているのか。私もそういう経験があるので、若者だけで学ぶ空間はとても大切だと考えています。

戦後75年が経過し、被爆者や被爆2世が高齢化する中で、今後の運動のあり方が問われています。

私は、これからの核兵器廃絶運動にとって、多様な活動をつくり、その多様性を認めていくことが大切だと考えています。例えば、若者の参加を促すスペシャリストのグループ。情報発信に特化したグループ。証言を集めるグループ。政府にロビーイングするグループ。一つの組織がすべてを担うのは無理なので、多様な活動があって、それを認め合う空気感をつくることが大切だと思います。

被爆者の思いをつなぐ

さらに言えば、核兵器廃絶を担ってきた人たちの「記憶」と「思い」、その両方をつなぐことが欠かせないと考えています。

被曝に関する映像や証言の記録はたくさん残っています。でも、記録だけが残り続ければ、それで十分でしょうか。公文書が改ざんされたり、フェイクニュースがまん延したりする中で、被爆者の証言という確たる根拠ですら相対化されかねない時代です。証言があるから大丈夫ではなく、その思いをつなぐ人がいなければ、運動は継承されないと強く感じています。

若い世代はインターネットを通じて情報を集めるのは得意です。でも、その先にある「思い」をつなぐ人を増やすことが自分のミッションだと感じています。どうしたらその「思い」をつなげるのか。運動に対する当事者性を生むためには、知性と理性と感性のすべてを震わせるような瞬間が必要です。数字などのデータだけでは被爆の被害の恐ろしさは十分に伝わりきりません。

たくさんの証言をしてきた被爆者でも、1回の証言会ですべての思いを語れるわけではありません。その先にある思いをつなぐには、より深い関係を築く必要があります。その中から、感情を揺さぶられる場面が絶対に出てきます。原点回帰かもしれませんが、被爆者と関係を深めたり、広島や長崎を訪問したり、自らの体験を通じてしか得ることのできない感覚をつかむことは大切だと考えています。

核兵器廃絶運動はなぜ必要か

なぜ核兵器廃絶運動が大切なのかを訴えるためには、被爆者の証言を伝える技術を私たちがもっと高めなければいけません。

被爆によって外傷がないのに髪が抜け落ちる。差別され、被爆者であることを隠しながら孤立した生活を送らざるを得ない被爆者がたくさんいました。被爆体験は8月6日、9日で時計が止まったわけではありません。

被爆者は戦後10年間は、その存在すら認知されていませんでした。被爆者にとってその期間がどれだけ長かったのか。核兵器はあの地獄絵図をつくるだけでは足りず、被害を受けた人たちのその後の人生まで大きく狂わせました。そんな兵器を使うことにリアリティーはあるでしょうか。被爆者の戦後の体験を伝えてこそ、核抑止という考えの愚かさを説得力を持って伝えられます。

平和運動を問い直す

平和運動を自分たちのものにするためにも私たちは、被爆者が語る平和の意味をもう一度考え直す必要があります。被爆者はなぜ自分たちの問題だけではなく、あらゆる差別と闘ってきたのでしょうか。それは被爆者が生活の中で構造的差別にさらされてきたからです。だからこそ、被爆者はあらゆる差別の問題に声を上げてきたのです。

被爆者は人間の尊厳を掛けて闘っています。でも、証言会には関心を持っている人ばかりが集まるわけではありません。居眠りする人もいれば、スマホでゲームをする人もいます。その人たちを前に自分の人生で最もつらかった日の話をしないといけない。想像してみてください。被爆者はそれでもくじけずに何百回も証言台に立っている。それだけ強い思いを持っているからです。そういう被爆者の人たちを心から尊敬しています。

労働組合だからこそ

労働組合は、仕事を通じた働く人たちの集まりです。同じ職場で働く中でこそ共感できる話があるはずです。その意味で、被爆者の先輩が職場の中でどのような体験をしたのか、その体験を伝えてほしいと思います。

被爆者にはそれぞれお名前があり、異なる被爆体験、人生があります。一つの象徴的な証言があればいいのではなく、さまざまな人生をうかがうことで被爆体験とは一体何なのかが立体的に可視化されていきます。その点で皆さんにしかできない取り組みがあります。

労働組合で平和運動に参加するのは一つのきっかけに過ぎません。そこから新しい気付きをぜひ得てほしいと思います。

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