平和運動の新展開経済成長の追求を可能にした憲法9条
生活改善としての平和運動を
「積極的平和」をめざす
平和には、直接的な戦争や暴力がない状態の「消極的平和」と、貧困や抑圧、差別などの社会構造に起因する間接的な暴力がない状態の「積極的平和」があります。例えば、ディーセント・ワークやジェンダー平等の実現も達成すべき「積極的平和」のうちに含まれます。平和運動とは、「消極的平和」だけではなく、「積極的平和」を実現するための運動です。
気候変動対策もそうです。地球温暖化で住まいや仕事を奪われることは「平和な状態」を奪われること。そのような生活環境や人権状況の悪化を食い止め、「積極的平和」の状態を保持するための運動は平和運動なのです。
人種差別問題も同様です。人種に基づく社会的・制度的な差別に由来して貧困状態が生じているのならば、それを解消していくのも平和運動の一つです。アメリカの「Black Lives Matter」運動はまさに直球の平和運動だと言えます。
平和運動とは「積極的平和」の状態にない人々がその状態から抜け出すこと、それをめざす運動です。そこには生活を改善するという意味合いも含まれます。アフガニスタンで医療・農業支援に取り組んできたペシャワール会の活動は、平和運動の象徴的な活動として評価されるべきでしょう。
生活改善としての平和運動
1950年代から60年代にかけての日本の平和運動は、人々の生活改善と強く結びついていました。
例えば、60年安保闘争は、「軽武装・経済重視」によって、防衛費を抑制し、経済成長で人々の生活を安定させる狙いがありました。防衛にお金を使うのではなく、生活の安定のためにお金を使う。60年安保闘争の根底には生活改善運動も伏在していました。
労働組合の平和運動は、賃上げ闘争にも影響しました。60年安保闘争では、労働運動と平和運動、学生運動が連携して大きな力を発揮しました。そうした大衆行動は政府に対する強い圧力となり、それが政府による「所得倍増計画」へとつながったのです。それらは当時の労働者にとって大きな成功体験となりました。
しかし、日本が経済成長を遂げるとその賃上げ要求は次第に弱くなり、労働運動の退潮とともに平和運動も後退していきます。他方で1960年代後半から70年代にかけて学生運動は先鋭化。80年代にはバブル経済で労働運動・平和運動ともにさらに後退が進んでいきます。
今、日本は経済的に低迷し、労働環境やジェンダー平等などに関して先進国でも最下位レベルに落ち込んでいます。新型コロナウイルスの影響でさらに苦境に追い込まれる中で、生活改善としての平和運動を復活させることの意義は大きいと言えます。
憲法9条を生かす
戦後75年が経過し、労働組合による平和運動のあり方に対しても問い直しが求められています。
「9条改憲反対」を念仏のように唱えていればいいというのではなく、日本の平和主義を私たちの生活ともっと関連させ、一般の人々に伝わるように戦略的な訴えをしていかなければいけません。
具体的には「軽武装・経済優先」路線を今後も進むことが必要です。中国の軍事力に真正面から対抗することは現状では不可能です。まともにやろうとすれば日本の防衛費はどんどん膨れ上がります。それよりも日本が金融セクター、生産拠点、文化国家として他国から攻め込まれない国になっていくことが求められます。それが国民の生活の安定につながります。
そのために9条を戦略的に用いることが重要です。日本は絶対に戦争しない国として国際社会における被爆国のポジションを確保する。そのために憲法9条を生かす。それは国民にとって最も安全でコストのかからない選択です。9条を生かした戦略は、何も理想論ではなく、現実的な戦略としても重要なのです。
戦後労働運動の基礎は、日本国憲法にあります。私たちが軍隊に動員されず、自由に労働できるのも、憲法9条が戦争の放棄と戦力の不保持を規定したからです。戦後の労働者のアイデンティティーは、労働三権だけではなく、9条の平和主義から説き起こされるべきです。9条があったからこそ戦後日本の労働者は、経済成長と生活向上を追求できました。
しかし、その背景には一国平和主義という批判もつきまといました。例えば、1950年代には朝鮮戦争による特需もありました。そこにはある種の後ろめたさもありました。1950〜60年代前半に労働組合が大衆運動によって生活改善を成し遂げると、その後ろめたさはベトナム反戦運動につながります。1950〜60年代の労働運動が平和運動と結び付いて経済的な成功を勝ち取り、人々の生活が安定したからこそ、ベトナム反戦運動のような日本社会の道義的責任を問う声が高まったのです。その動きは最終的に1993年の河野談話と1995年の「村山談話」へとたどり着きます。
他の先進国も同じですが、ポスト工業社会における新しい社会運動は、労働運動によって経済的な豊かさがある程度達成された後に芽生えます。労働運動はアイデンティティーにかかわる新しい社会運動の基盤にあるのです。
さまざまな連携を
生活改善と結び付いた労働組合の平和運動は1960年代にいったん収束し、その後、ポスト工業社会のアイデンティティーに基づく新しい社会運動が広がりました。それでも現在では、新型コロナウイルスの広がりで生活の維持が再び最重要テーマになっています。
そこで今重要なのは、60年安保闘争までの間に労働運動が勝ち取ってきた成果をまず学び、再確認することです。60年安保闘争が成功した背景には労働運動と他のさまざまなセクターとの連携がありました。それらの連携を現代にも復活させることが重要です。
例えば、若者。著名なDJが新宿や渋谷で「プロテスト・レイヴ」というかたちで人権保護などを訴えています。同様に気候変動対策を訴える中学生や高校生などとの連帯も必要です。日本では弱いですが、宗教運動との連携も視野に入ります。また近年の「#Black Lives Matter」や「#MeToo」のように効果的なハッシュタグをつくれると良いでしょう。平和という論点では、他の分野以上に幅広い共闘関係を構築できるはずです。労働組合が内向きにならず、新しい社会運動を展開する、多様なセクターと連携することが重要です。
誰一人取り残さない
労働組合が沖縄の基地問題になぜ取り組むのかという疑問を持つ組合員もいるかもしれません。沖縄に米軍基地が集中しているのは戦後、東京圏をはじめ本土の反基地運動によって、本土の基地が沖縄に移転したからです。本土の現在の安穏な暮らしは、沖縄が平和な状態が奪われた構造の上に成り立っています。そのことを意識しなければいけません。
積極的平和は、誰かが平和な状態を奪われたままでは実現しません。国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」が「誰一人取り残さない」と訴えているのはそのためです。それを踏まえれば、労働組合がなぜ平和運動に取り組むのかも見えてくるはずです。産業形態の変化で否応なく、われわれは世界とつながっているのですから。