国内外の情勢から
平和を見つめ直す
自由や民主主義、人権から考える反対意見封じる社会
中国・香港情勢から
学ぶべきことは?
「国安法」という「劇薬」
香港は1997年にイギリスから中国に返還されました。香港では返還が決まってから、選挙制度の改革などが行われました。1国2制度の下、人々は自分たちのやり方で民主主義を実現していこうという期待を抱いていました。しかし、中国の影響力が大きくなるにつれ、それが難しくなってきました。自分たちの追い求める社会を実現できないかもしれない。さらには、今まで当たり前のように享受してきた自由が奪われてしまうかもしれない。香港の人たちは危機意識を高めていました。
2014年の「雨傘運動」は、そうした流れの中で起きました。愛国的な教育制度を導入しようとする当局に対し若者たちが声を上げ、民主的な選挙制度の導入を求めました。
2019年の「逃亡犯条例」改正に反対して起きたデモは、若者に限らず、中高年層も含めた多くの人たちが参加しました。条例が改正されると、1国2制度の高度な自治が損なわれる。そうした危機意識を持つ人が増えたからです。
運動は広がりを見せ、「逃亡犯条例」の改正自体は見送られました。しかし、その一方、市民と当局や警察との対立がエスカレートしたことで、それよりも深刻な「香港国家安全維持法」(国家安全維持法)が導入されるきっかけにもなってしまいました。
中国政府や香港当局からすれば、「国家安全維持法」の導入は、治安の安定を取り戻すのに必要だったということでしょう。デモが香港経済にダメージを与えたことや、一部で暴力行為が起きたことからすれば、それも一理あります。
しかし、社会の安定は、上から押さえ付ければ実現するわけではありません。貧困や格差、政治不信や差別など、社会が分裂する要素は、長い時間をかけて蓄積されます。それに対処しようとするなら、さまざまなところに働き掛け、時間をかけて改善していくしかありません。
ところが、中国のとったやり方は、病気に対して劇薬を投与して、一挙に解決しようとする方法です。「国家安全維持法」という「劇薬」で、権力側が問題を上から抑え込む。それにより、表面上は問題が見えなくなるかもしれませんが、実際には問題は何も解決していません。
議論ができない社会
政府の政策が支持を得られないのであれば、賛成・反対の意見を聞きながら改善をめざすのが、健全な社会です。しかし、「国家安全維持法」は、そうした方法を抑え込んでしまいます。
中国では共産党しか政権に就くことができません。「国家安全維持法」は、国を分裂させたり、転覆させたりするような発言や行為を取り締まる法律です。そのため、政府の意見に反対することは、共産党政権の統治に挑むものだとして取り締まりの対象になってしまいます。これでは、個々の政策に関する議論が事実上できなくなります。
実際、香港では議会から民主派の議員が排除され、政府の政策に異議を唱えない「愛国」的な人しか候補者が選ばれなくなっています。
香港では今、政治犯がものすごい勢いで増えています。私の友人も何人も逮捕されました。公共の物を破壊したということは一切なく、言論活動や選挙制度改革を提案してきたことが罪に問われ、逮捕されているのです。あまりにも信じられないようなことがこの1年間で起きています。
治安のためのコスト
中国の経済発展には、中国人の能力の高さやイノベーションなど、注目すべき点がたくさんありますが、一方で急速な経済開発を実現するために切り捨てられてきた人がたくさんいました。
中国の国民は、「農業戸籍」(農村戸籍)と「非農業戸籍」(都市戸籍)に分けられています。農村戸籍を持つ人が、上海のような大都市に出稼ぎ労働者として移住したとしても(農民工)、上海で戸籍を持つ人と同じ社会保障を受けることはできません。中国の人たちは、同じ国民であっても、生まれる場所によって享受できる権利が異なるのです。こうした制度などを背景に中国国内では、格差や不公平に対する不満の声は高まりつつあります。
中国政府は、不満の声を抑え込むために、暴力的な装置を常に発動させてきました。言論統制のためにインターネット空間を常に監視し、当局に反対する声を排除していく一方、人員を確保して政府に都合のいい情報を流布させていく。
また、警察や武装警察に資金を投じて、人権派弁護士や活動家、知識人、その家族を常に尾行や監視をする。出版や教育にも制限をかけるためにもコストを投じてきました。
このように中国政府は、不満を抑え込むために膨大なコストを投じてきました。今後このコストをどこまで負担できるのか。治安維持とコストのバランスをどうとるのか。中国の統治のあり方が問われています。
中国との向き合い方
中国が新型コロナウイルスの早期の封じ込めを達成したことで、中国型の統治モデルのメリットを強調する声もあります。確かに、非常時のリスク管理という側面では見習うべき点もあります。けれども、だからといって、中国のような強権的な体制を平時から打ち出していいとも思いません。
中国の統治モデルが続けば、人々の表現はどんどん無機質になり、人間性が阻害されていくのではないかと感じています。例えば、製品開発でも、多様なニーズをくみ取ることができず、凝り固まった商品しか市場に出回らない。人間らしく生きるためにも、自分たちで考えて、自分たちで決められるような社会のあり方が重要ではないでしょうか。
隣国である以上、日本は中国と向き合っていかざるを得ません。日本が声を上げたからといって中国が変わるとは限りませんが、中国との連携がまったくできないわけではありません。例えば、気候変動や労働者の権利という側面では、国際的な枠組みで一緒に考えていくこともできるでしょう。その点では、企業は重要な役割を果たします。企業がどうあるかによって国際社会のあり方は大きく変わっていくと思います。
日本は何を学ぶか
香港の出来事は対岸の火事ではありません。コロナ禍で貧困や格差が広がる中、日本でも社会が分断し、互いが憎しみ合うような状況が出てきてしまうかもしれません。
社会のあり方を巡っては、さまざまな意見があるべきです。異なる意見を封じ込める社会では、論争のあるテーマについて議論することができなくなってしまいます。
日本には民主主義の制度があります。その制度があるから、私たちは、自分たちがどうありたいかを自分たちで決めることができます。民主主義は放っておいては衰退してしまいます。その制度を成熟させていくのも私たちです。中国のように異なる意見を封じ込めるのではなく、さまざまな意見に基づく、議論の上に社会をつくるのか。制度を使う私たち自身に問われています。