特集2021.08-09

国内外の情勢から
平和を見つめ直す
自由や民主主義、人権から考える
なぜレイシズムと戦うのか
「日本型反差別」では足りない理由

2021/08/16
人種差別は人類の歴史を振り返っても大量虐殺・ジェノサイドにつながってきた。日本社会の中にも人種差別はある。悲惨な出来事を招かないために、私たちは何をすべきなのか。識者に聞いた。
梁 英聖 「反レイシズム情報センター(ARIC)」代表

レイシズムとジェノサイド

レイシズム(人種差別・人種主義)とジェノサイドは、密接不可分な関係にあります。過去を振り返っても、レイシズムはジェノサイドに必ず関係しています。

よく知られているのは、ナチスドイツによるユダヤ人の大量虐殺、ホロコーストです。

ホロコーストは、レイシズムなくして起こり得ない出来事でした。中世社会では、ユダヤ教徒からキリスト教徒への改宗が可能でした。しかし近代になると、ユダヤ教徒や元々信じていた人たちをユダヤ人として「人種化」して差別するレイシズムが生まれます。ナチスドイツはその上で、ユダヤ人を自分たちの社会を滅ぼすものとして仕立て上げ、ユダヤ人を選別し、体系的に虐殺していったのです。

1930年代にナチズムに対抗する運動の中から生まれたのが、人種差別とその原因を指すレイシズムという言葉でした。第二次世界大戦後、レイシズムは、ホロコーストを正当化したものとして非難が高まります。こうした歴史からわかる通り、レイシズムとは、ジェノサイドと切り離せないものなのです。

日本におけるジェノサイド

レイシズムとは、相手を「人種化」して、自分たちとは違う人間だとくくることです。そこにおいて人種という言葉は本質的ではなく、人種化する理由は、生物学的でも、文化的でも、イデオロギー的でも何でもいいのです。

日本にもレイシズムとジェノサイドが結び付いた事例があります。関東大震災における朝鮮人虐殺です。

関東大震災後に起きた朝鮮人虐殺は、軍隊や警察、自警団などの日本人が、誰が朝鮮人か、そうでないか、つまり朝鮮人を「人種化」し、選別し、殺していったのです。

そうした虐殺は、震災直後のパニックのせいで起きたのではありません。朝鮮の植民地化によって日本社会には朝鮮差別がまん延していましたが、だからといって、それが一足飛びに虐殺につながるわけではありません。虐殺が起きたのは、軍隊や警察のような国家権力が、朝鮮人が「爆弾を所持している」「放火している」というデマやヘイトスピーチを公認し、それを理由に戒厳令を出したからです。国家権力による差別扇動が、ジェノサイドに火を付けたのです。

例えて言うならば、ガス漏れがあっても直ちにガス爆発が起きるわけではなく、ガスに火を付ける行為が必要なのと同じです。充満する差別に火を付け、ジェノサイドを引き起こすのに決定的な役割を果たすのが、国家権力や極右による差別扇動なのです。

「差別アクセル」と「日本型反差別」

レイシズムの権力が作動し止められなくなると、日常の偏見は差別による暴力に発展し、結果的にジェノサイドにつながります。

レイシズムの権力を加速させる行為を「差別アクセル」と呼んでいます。ヘイトスピーチや差別行為はその一つですが、中でも最大の「差別アクセル」が、国家権力や政治空間における極右勢力からのレイシズムです。

私が皆さんに強調したいのは、レイシズムに向き合う際に大切なのは、「差別アクセル」の行為を具体的に止める必要があるということ。最大の「差別アクセル」である国家権力や政治空間における差別を止めなければ、ホロコーストの再来を招いてしまう。だから、欧米の反差別の市民たちは、極右が政治空間に進出したときに全力で反対するわけです。

しかし、日本には、それがない。反差別には、加害を止める反差別と、被害者に「寄り添おう」とする反差別があります。この二つはセットでなければいけませんが、日本社会は、前者がなくて、後者だけに偏っています。私はこれを「日本型反差別」と呼んでいます。

日本では、差別事件が起きるたびに、自分の中にある差別する心に向き合おうというメッセージが飛び交います。でも、大切なのは、心の問題ではなく、ジェノサイドや差別による暴力につながる行為を止めることなのです。例えば、相模原障害者施設殺傷事件に対して、日本政府はこの犯罪を障害者差別に基づくジェノサイドだと言って批判したことは、一度もありません。また、差別を利用して政治空間に進出しようとする極右勢力を止める力も弱い。これでは、「差別アクセル」が踏まれることを黙認しています。

差別事件が起きたときに、心の問題に逃げ込むのではなく、実際の加害行為を止めなければいけない。これが、私が日本社会に強く訴えたいことです。

反レイシズムの正義

第二次世界大戦後の世界では、人種をもとにした差別は絶対悪であり、レイシズムを許すとジェノサイドや植民地主義、人種隔離を正当化することになるという共通認識が生まれました。それが、国連における人種差別撤廃条約や、ドイツにおける民衆扇動罪やナチス司法訴追につながっています。ドイツは、ナチズムとの連続性や類似性という観点から暴力や差別で民主主義を破壊するような極右を取り締まっています。

日本は人種差別撤廃条約に1995年に加入しているものの、それに基づく差別禁止法がありません。法律をつくらせるくらいの強い社会運動が必要です。

最も重要なことは、市民社会レベルでファシズムや極右と戦うことです。私たちは、『はだしのゲン』やマルコムXのように、ファシズムやレイシズムに対して、全力で戦わなければいけません。人類は、ホロコーストの教訓として、レイシズムや植民地主義、人種隔離政策が戦争や破壊を生み出すことを学び、差別と戦う決意をしました。日本社会だけそれをさぼるわけにはいきません。

「反差別ブレーキ」の実践

具体的にどのような行動をすればいいでしょうか。

日本社会が差別を止められないのは、市場原理以外の平等原理がないからです。差別をなくすために、市場原理以外の平等原理を打ち立てる必要があります。職場で言えば、「同一価値労働同一賃金」が、それに当たります。

また、差別行為を止める実践としては、「第三者介入」と「ヘイトウォッチ」があります。差別行為を見掛けたら、記録したり、告発したり、差別を扇動する政治家を監視したりする。そうした行為が「反差別ブレーキ」になります。

過去に差別をしてしまった人は、飲み物の入ったコップを割ってしまったときのことを考えてみてください。何をするかというと、コップの破片を拾って、こぼれた飲み物を拭いて、それ以上広がらないようにしますよね。反差別の運動もこれと同じです。自分が過去に行った差別を差別だと判断し、その差別が他の差別につながらないように自らが反差別ブレーキを踏む。重要なのは、加害者にそうした行動をとらせることであり、加害者の将来の行動をしばることです。それによって第二、第三の被害を防ぐことができます。

レイシズムとは、死んでもいい人間をつくり出すことです。レイシズムから社会を守るのはみんなの義務であり、あなたが生きるために不可欠なものです。全力でNOを突き付けていきましょう。

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