特集2021.08-09

国内外の情勢から
平和を見つめ直す
自由や民主主義、人権から考える
「軍事政権に戻りたくない」
民主主義求めるミャンマーの人々の思いとは

2021/08/16
国軍のクーデターから約半年が過ぎたミャンマー。軍部による厳しい弾圧が続く一方、人々の民主主義を求める思いは強い。ミャンマーの人たちの民主主義に対する思いなどを聞いた。
ミンスイ 在日ビルマ市民労働組合委員長

ミャンマーのいま

今年2月のミャンマー国軍による軍事クーデターから約150日がたちました。弾圧による市民の死者は、少なくとも900人を超えました。国軍は6月30日、抗議活動などを理由に拘束していた市民2300人を解放しましたが、今も約3000人を拘束しています。また、国軍は汚職などの複数の罪に問うことでアウン・サン・スー・チー氏を長期に拘束しています。

クーデターに伴う経済活動の停滞で仕事や収入を失う人が数多く生まれました。経済は一部再開したといわれていますが、新型コロナウイルスの感染が急拡大し、市民生活は厳しい状況に追い込まれています。

軍事政権下での生活

ミャンマーは1886年にイギリスの植民地になりました。その後、第二次世界大戦で日本軍の支配下に置かれますが、終戦後の1948年に独立を果たします。

独立運動をリードしたのが、アウン・サン・スー・チー氏の父親であるアウン・サン将軍が率いる国軍でした。国軍は、独立後の内乱を鎮圧することで、政治的発言権を強め、1962年のクーデターで軍事政権を樹立させます。この頃の市民の間には、「軍事政権であっても植民地時代より悪くならないだろう」という意識がありました。ところが、その後、軍部が政府を支配するようになると、流通する紙幣を突然廃止するような政策などがとられたことで、市民の意識は変わっていきます。1980年代になると、政府・行政機関では賄賂が横行するようになり、人々の不満が高まります。その結果、1988年に学生を中心とした民主化闘争が起こりました。

国軍は武力でもって民主化運動を弾圧し、軍部独裁政権を樹立させます。国外に逃れた人たちもいました。多くの人が民主化への思いを抱き続けました。

軍事政権下のミャンマーでは、人々は軍部に抑圧されながら生活してきました。国軍の関係者は、市民と同じ人間のはずなのに偉そうな態度を取る。また、政府のお金の使い方が不透明で、市民は自分たちの税金がどのように使われているかわかりません。先ほど述べたように賄賂も横行していました。

洗脳的な教育も行われていました。学ぶのは軍が検閲したテキストだけ。それ以外のことは考えてはいけないというような教育が行われました。軍の方針に歯向かい、声を上げれば逮捕される。そうした状況がありました。

民主化を求める人々

2015年の総選挙で、スー・チー氏が率いる国民民主連盟(NLD)が第一党となり、民主的な政権が発足すると、100%ではありませんが、こうしたことが改善されるようになりました。民主主義の下、人々は平等な存在として扱われるようになり、税金の使われ方も見えるようになりました。通信会社の参入が増え、インターネットが発展するようにもなりました。

1988年は民主化運動の後に軍事クーデターが起きましたが、2021年は軍事クーデターの後に民主化運動が起きました。順番が逆なのです。その背景には、軍事政権に逆戻りしてはいけないという強い危機感が、人々の間にありました。

1988年当時は携帯電話もなければ、インターネットもありませんでした。でも現在の若者たちは、インターネットを通じて、世界の出来事を学んでいます。軍事政権になったら自分たちに未来はない。かつての暗い時代に戻してはいけない。そうした思いがあったからこそ、親たちが「デモに行かないで」と止めても、若者たちはデモに向かったのだと思います。

軍事政権に戻してはいけない。多くのミャンマー国民が強く願っています。

労働組合の活動

ミャンマーでは2014年になって労働組合の存在が認められるようになりました。軍事政権が民主化運動を弾圧したことで、労働組合も、国外での活動を余儀なくされてきました。2012年には、24年間にわたり亡命生活を続けてきたFTUB(ビルマ労働組合連盟)のマウンマウン書記長が帰国。2015年にミャンマー労働組合総連合(CTUM)が承認されました。

ただ、国内での労働運動はまだ弱く、労働組合を結成しようとしても、解雇をはじめとした組合つぶしが横行し、労働者も解雇などを恐れて、労働組合運動に結集できない実態があります。

日本各地では、ミャンマーからの技能実習生が数多く働いています。残念なことに、人権侵害と言える状況で働く若者もたくさんいます。私たち、在日ビルマ市民労働組合は、ものづくり産業労働組合「JAM」や支援団体などと連携して、技能実習生の支援に取り組んでいます。

その活動を通じて、労働者の権利について学んだり、日本で労働組合がどのように問題を解決しているのかを学んだりして、その経験をミャンマーに持ち帰って周りの人に伝えてほしいと願っています。そうすることでミャンマーの労働運動が強くなっていきます。技能実習生の支援は、母国の労働運動の強化にもつながっているのです。

日本の民主主義をどう見るか

日本は戦後、経済発展を遂げ、先進国になりました。その経験が、政府に任せておけば大丈夫だろうという考え方につながり、低投票率にもつながっているのではないでしょうか。

ただ、それがそのまま続くとも思いません。政治や経済でのトラブルが多くなり、先進国から脱落するようなことになれば、国民の政治への関心も高まるのではないでしょうか。

コロナ禍で日本の政治や経済にもたくさんの問題が浮かび上がりました。いつまでも「お任せ民主主義」が続けられるとは思えません。

日本企業とミャンマーのつながり

日本政府は、「平和」という言葉をよく使います。にもかかわらず、市民を殺害し、弾圧する国軍に対して、資金源を断つなどの実効性ある措置を取っていません。1988年の軍事クーデターの後、軍事政権を先進国の中で唯一認めたのが日本政府でした。これでは、「平和」という言葉とは正反対です。日本政府は、軍事政権の資金源を断ち、民主派がつくる「国民統一政府(NUG)」を政府として認めるべきです。

日本の政府や政治家は、ミャンマー国軍やその関連企業などとさまざまな形でつながりがあり、その利益を守ろうとしているのではないでしょうか。平和ではなくお金の方ばかり見ているのではないかと捉えざるを得ません。

実際、日本のエネルギー企業が運んだジェット燃料が、爆撃機の燃料に転用される懸念があったり、日本企業がミャンマーで進める開発事業が軍への資金提供につながっている恐れがあったりします。わたしたちは支援団体とともにデモをしたり、企業に申し入れをしたりしています。通信企業が国軍の要請に従って通信を遮断すれば、ミャンマー市民は情報を得たり、発信したりすることができなくなってしまいます。

日本は、平和を大切にする国のはずです。ミャンマーの出来事に日本企業がかかわっていることを、日本の皆さんにもぜひ知ってほしいと思います。

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