特集2024.07

政治のなぜ?を考える
政治にまつわる疑問を考察
変化する政治の対立軸
「1993年体制」における
労働組合の立ち位置とは?

2024/07/12
戦後政治の中で労働組合はどのような役割を果たしてきたのか。1990年代以降、政治の対立軸が変わる中でどのような役割が求められているのか。政治体制の見取り図を描く中で、労働組合が政治にかかわる意味や、その立ち位置を探る。
出典:Wikimedia Commons
File:Newspapers of Japan 20090831.jpg
大井 赤亥 政治学者
広島工業大学非常勤講師

変革の担い手としての労働者

私は政治学者として冷戦崩壊後の政治の対立軸に関心を持ち、研究を続けてきました。1990年代以降、政治が何を巡って対立しているのかがわかりづらくなりました。そこにあって、現代政治の本質的な対立軸を見極め、わかりやすく描き出したいという思いがありました。

近代ヨーロッパを振り返れば、フランス革命以降、政治勢力は「左派」と「右派」に分かれ、対立軸を形成してきました。20世紀において左派と右派の内実を形成したのは、労働と資本です。労働力以外に売るものがない労働者と土地や工場など生産手段を所有する資本家との対抗関係が、もっとも本質的な対立軸として、先進諸国の政治の大枠を設定してきました。

この中で労働者は、「普遍的階級」として公共性を帯びていました。つまり、労働者は社会で生じるすべての矛盾を一身に背負う存在であり、それゆえそれらの問題をトータルに解決できる存在でもあると考えられました。労働者は、社会を大きく変える唯一の主体であると考えられたのです。社会変革の担い手を労働者階級が独占していたともいえます。

こうした観点からすれば、労働者が政治にかかわるのは必然でした。労働組合が自らの政党をつくり議会に進出し、それが政権を担って国民皆保険や労働法制を整備するというのが、ヨーロッパの福祉国家のスタンダードでした。20世紀の福祉国家は、強い労働組合に支えられていました。

アイデンティティー政治への転換

しかし、20世紀後半になると、労働者を社会改革の唯一の担い手とする構図が変わっていきます。経済成長によって労働者も豊かになり、新たに中産階級は物質的な課題以外の価値を求めるようになります。

それまでの労働者の政治闘争は、賃金や住宅のような物質的価値を求めるものでした。しかし、それがある程度まで達成されると、1970年代以降、ジェンダー、エコロジー、反差別といった「ポスト物質主義」や「アイデンティティー政治」の争点が浮かび上がるようになりました。これらは20世紀型の左右対立ではうまく拾われてこなかった課題でもあります。

この過程で、資本と労働という対立軸は徐々に相対化されました。それにより労働組合は唯一の社会変革の担い手ではなくなりました。そこに現代の労働組合の難しい立場があります。

日本政治の転換点

こうした視点で、1990年代以降の日本政治を見るとどうなるでしょうか。

戦後の「55年体制」は、いわば冷戦構造の左右対立を国内化したものでした。財界や農村に支えられた自民党と、労働組合に支えられた社会党というわかりやすい構図で形成されていました。

ただし、「55年体制」の時代にあっても、「保革」の双方がすくい切れなかった利害も存在していました。たとえば都市部の「サラリーマン」層です。自民党の金権や利益誘導には反対だが、社会党が主張する革命に同意するほどラディカルでもない。そういう層が都市部で生じてきました。新自由クラブや社民連などは、都市部のそうした市民層にアプローチしましたが、時期尚早の試みでした。

しかし、90年代以降、都市部の無党派層が政治的にも台頭します。そうした層が関心を寄せていたのが税金の使い方であり、その民意を引き受けたのが、平成の時代を席巻した「改革」の波だったといえます。古い自民党政治を否定しながら、強いリーダーシップで民営化や規制緩和を進める政治のトレンドです。

「1993年体制」と「3・2・1の法則」

私はこの間、「1993年体制」という見取り図を提唱してきました。

1993年に自民党が分裂し、保守が二分化します。一方は、利益誘導政治の継続をめざす「守旧保守」。もう一方は、利益誘導で肥大化した行政機構をスリム化すべきという「改革保守」の勢力です。この「守旧保守」と「改革保守」に従来の革新勢力の流れを受ける「旧革新(リベラル)」勢力が並び、「保守・旧革新・改革」という三極構造が成り立ってきたというのが「1993年体制」です。

この「保守・旧革新・改革」の三極構造が平成の日本政治の選択肢をつくってきました。現在それは「自公・民主党系野党・維新」によって担われています。

そして、2010年代以降、この三極の力関係は「3・2・1」で推移しています。すなわち、過去10年の国政選挙の比例得票数を見ると、自公が約2400万票、立憲や国民など民主党系野党が約1700万票、維新が800万票弱という構図が続いており、そのまま「3・2・1」となります。

平成の間の政権交代を振り返ると、このうち「2」と「1」がうまくドッキングした結果、政権交代につながってきました。細川政権では、自民党を飛び出た「改革保守」と社会党や連合が時代の変化の中で結び付きました。民主党政権も同様の構図を読み取ることができます。

「改革」との向きあい方

1990年代以降、「改革」は時代の大きなキーワードになってきました。

この言葉は「新自由主義」と重なりながらも、「改革」が日本政治を席巻した背景にはある種の必然性があったようにも思います。有権者からすれば、積年の自民党の利権構造にメスを入れたり、規制緩和で生活に密着したサービスが便利になることには明確なメリットがあったからです。もちろん労働分野の規制緩和がもたらした破壊的な影響を見過ごすわけにはいきません。それでも社会の仕組みを変革しようとする姿勢は、有権者の支持を確実に得てきたと思います。

このことは、私が選挙に出て、有権者と接して肌で実感したことでもあります。税金の使い方に対する有権者の注文はとても強いものがありました。「旧革新(リベラル)」勢力が無党派層に支持を広げるためにも、平成年間の「改革」がもたらした政策の良いものは継承して伸ばしていくことが必要です。

公共を担う労働組合

現在の政治対立を「保守・旧革新・改革」の三極体制として捉えるとすれば、その中で労働組合がどのような役割を果たすのかが問われています。

一つは、保革対立の中ですくい切れなかった声を労働組合が拾い上げることが大事だと思います。現在、若年層や非正規労働者の人たちは、中間団体を通して自分たちの利害や価値観を政治に反映できないでいます。労働組合は進んでそのような人々の受け皿になるべきです。

もう一つ、私が重要だと考えるのは、労働組合が公共性を帯びる存在として認知されることです。公共とは、すべての人が必要とし、従って税金を通じてすべての人で支える価値や制度です。

政府が担う公共的役割は、時代とともに変化してきました。明治時代であれば鉄道や軍隊の創設、第二次大戦後は道路や港湾など公共インフラ、最近であれば情報通信サービスの整備などがそれにあたるでしょう。時代の変化の中で、政府が支える公共的役割は何なのかを再定義していくことが重要です。

労働組合が公共性を取り戻すというのは、組合員の運動が同時に国民すべてにとっての公共的利益であると認識されるということです。労働組合がそのような「社会の公器」と認知されるとき、労働組合の政治的役割がいっそう明らかになるのではないでしょうか。

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