特集2024.10

労働法の見直し議論の動向
デロゲーション、労働時間規制、労使コミュニケーション
知らなければ始まらない!
ワークルール教育の重要性

2024/10/11
労働基準法の見直し論議が進んでいるが、その大前提として働くことにかかわる人たちが、ワークルールを知っておくことが欠かせない。ワークルール教育が大切な理由をおさらいしよう。
淺野 高宏 弁護士
北海学園大学法学部教授

不足するワークルール教育

日本で雇用されて働く人は約6000万人います。しかし、その中でワークルールをしっかり理解している人は、ほんのわずかしかいないというのが実感です。その要因には学校教育でワークルールがほとんど教えられていないことがあります。社会人になっても職場で学ぶ機会は多くありません。

この背景には労働法が複雑化し、わかりづらくなっていることもあると思います。その理由の一つは、労働法が単なる労働者保護の法律ではなく、商取引など多様な側面も持つことです。例えば、労働者派遣法は、労働者保護だけではなく、商取引の性格を併せ持っているため、とても複雑です。

大学で労働法を教えていると、学生から「労働法がわかりづらい」という声を耳にします。特に、アルバイトでの経験と労働法の規制とのギャップに戸惑う学生が多いようです。大学で学んだ労働法のことをアルバイト先の上司に話すと、「うちのルールは違う」と言われる学生もいます。労働法のルールとアルバイト先のルールが違う状態、つまり法律で違法とされているようなことが、現実では悪気なくまかり通ってしまっているという実態が、学生を混乱させ、なぜ両者が共存できるのかがわかりづらいというのです。

学生と同様に、特に中小零細企業の経営者は労働法をきちんと理解していないことが多いです。正しい情報を得る機会が少なく、間違った情報を経営者同士で共有していることも少なくありません。

労使トラブルの要因

ワークルールに関する知識が欠けていると、労使のトラブルが無用に大きくなりがちです。

深刻なケースでは、裁判に負けても不当解雇や不当労働行為を繰り返す経営者がいます。北海道のあるバス会社の事件では、経営者が労働委員会の救済命令や裁判所の判決にも従わず、不当労働行為を繰り返しています。こうなると労使紛争はいたずらに深刻化し、長期化するばかりです。不当解雇から生じる人員不足からバスを減便せざるを得ないなど、利用者にも影響が出ています。

こうした行為がまかり通ってしまう背景には、労働法に対する本質的な理解が欠けていることがあるように感じます。労働組合つぶしや組合員差別は、人権侵害です。しかし、ワークルールに関する知識が不足していると、それが「おかしい」という感覚を持ちづらくなってしまいます。社会全体で「これはおかしい」という機運が盛り上がらないのも、ここに原因があるのではないでしょうか。

戦う武器としてのワークルール

一方、ワークルールに関する知識があると、働く人にはさまざまな選択肢が生まれます。以前、地方のローカルテレビ局の労働組合から相談を受けたことがあります。その時、執行部の皆さんは、労働組合に関する知識がなかったため、私からは誠実団交義務や不当労働行為、労働委員会での救済システムといった労働組合の基本的なルールを伝えました。そのことで執行部の皆さんは、自分たちが職場で感じていた疑問を声に出して伝える手段があるということを理解して、自信を深めてくれました。このケースでは、経営側の理解のある人間や株主が動いた結果、社長交代にまで至りました。こうした結果を導けたのは、組合員の皆さんがワークルールを知り、それを実行に移したからだといえます。

労働組合ができる前、従業員の皆さんは自分たちの疑問を形にする手段がわかりませんでした。しかし、ワークルールが戦う武器となることで、現実を変えることにつながったのです。

使用者にとってのメリット

使用者にとってもワークルールを知るメリットは大きいといえます。労働者がワークルールを学ぶと「変な知恵をつけてきた」と言う使用者がいます。その感覚は、使用者自身がワークルールを知らないことから生じる「恐れ」のようなものではないでしょうか。つまり、労働者の要求がどこまで正当なのかわからないため、「どこまでも言いなりに応じなければならない」と感じてしまう。

ワークルールを正しく知っていれば、そのように恐れる必要はありません。労働者はどんなことでも要求できるわけではありません。法律は一定のルールの中で、使用者の企業経営の権利や必要性に配慮しながら労働者の権利保護とのバランスを保っており、労働者にも従うべきルールがあります。それを知っていれば互いに話し合うことができます。正しくコミュニケーションをするためにも、ワークルールという共通の基盤を学ぶことが非常に重要です。

ワークルール教育の充実のために

コミュニケーションの基盤としてのワークルールを学ぶ場をもっと増やす必要があります。

例えば、学校教育では、労働にかかわる基本的な法知識と権利行使のあり方をもっと学ぶ時間があると良いと思います。権利行使のあり方は、単に権利を訴えるということではなく、コミュニケーションの取り方を学ぶことが大切です。

労働基準法の規定を活用する方法もあります。例えば、労働基準法第106条は、法令等の周知義務として、使用者は就業規則などを労働者に周知させなければならないとしています。この規定は、就業規則の周知義務として知られていますが、この中には労働基準法やその施行規則なども含まれています。ただ、労働基準法などを労働者に周知している使用者はほとんどいません。アメリカでは職場に公正労働基準法のポスターが張り出されていることが知られています。

加えて、労働基準法第105条の2では、厚生労働大臣などが労働者および使用者に対して労働基準法に関する資料の提供やその他必要な援助をしなければならないことを定めています。この規定は1952年の立法当初(労基法改正による労働基準法105条の2の新設)、使用者にも労働基準法に関する資料の提供等の必要な援助をしなければならない義務を課すという案が検討されたものの、時期尚早として見送られたという経緯があります。ただ、現在の労働基準法の内容の複雑化や労働者自身も法律の内容をよく知って行動することが求められる場面が増加していること(例えば、36協定の過半数代表者)を考えると、労働基準法をはじめとするワークルールの理解を深めるため、使用者にも積極的に労働者への必要な資料の提供や助言義務を課す必要性が叫ばれるようになっています。そうすると、労働基準法105条の2に使用者の義務規定を追加するといった発想も重要になってくると思います。

ワークルール推進法に関しては国会での審議がストップしています。これを進める必要があります。

民間では、「ワークルール検定」の取り組みが広がっています。「ワークルール検定」では、現実の問題に即した身近な知識を学ぶことができます。ぜひ多くの人に受検してほしいと思います。

ワークルールは、働くことにかかわるすべての人が守る基本的なルールです。それは、野球やサッカーのルールと同じで、みんながフェアに競争するために必要なルールです。ルールを無視した反則が横行すれば、公正な競争は成り立ちません。公正な競争を成り立たせるためにも、多くの人がワークルールを学ぶことが大切です。

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