中小企業の春闘はここから
〜「格差是正」「底支え」へ最低賃金が果たす役割とは
「賃金格差の社会的合意」にも注目を


最低賃金の位置付け
法定最低賃金の役割とは、時間当たりの賃金格差に対する社会的合意だと考えています。つまり、自分たちの社会が時間当たりの賃金格差をどの程度まで許容できるのかという合意です。
ところが近年の議論では、最低賃金の社会保障的な側面が強調され、賃金格差の社会的合意という側面にあまり注目が集まらなかったように感じます。2007年に改正された最低賃金法では、最低賃金の金額は生活保護との整合性に配慮することが明記され、そのことが最低賃金の引き上げ論議に強く影響を及ぼしました。まさに、最低賃金の社会保障的な側面に焦点が当てられてきたわけです。
そもそも、最低賃金制は、労働組合の運動が届かない層に対して法律で単位時間あたりの下限を設定し、国全体で賃金水準を維持するための仕組みといえます。「運動が届かない層」とは、いわゆる労働組合のない未組織労働者のことです。倫理的な視点を抜きにすれば、組織された労働者は未組織労働者のことを考える必要がないかもしれません。しかし労働組合が獲得した高賃金が、社会全体の賃金相場から突出すると、「出る杭は打たれる」ことになり、結局は賃金水準が引き下げられてしまいます。そのため、労働組合としては自分たちがつくった相場を維持するためにも他の労働者がその水準から離れ過ぎないようにする戦略が求められるはずです。それは一般的にいうと労働基準規制であり、その一つが最低賃金です。この間、生活保護との整合性に注目が集まる中で、最低賃金のこうした側面が見えにくくなったように感じます。
最低賃金の相対化
今後、最低賃金の水準は、どのように議論することができるでしょうか。
生活保護との逆転現象が解消されたとしても、労働運動として「この最低賃金では生活ができない」という要求はこれからも必要ですし可能です。例えば、逆転現象が解消されたのはあくまで単身者の話で、子育てには不十分です。それについて、最低賃金にかかわる条約としてILOの第26号条約とともに日本が批准している第131号条約は、最低賃金水準の考慮要素として、労働者と家庭の生計費や、社会保障給付を含めています。インフレが進む昨今、こうした要素に注目すれば、社会保障的な要素に基づいた運動につながります。連合が取り組んでいる「リビングウェイジ」もこのような発想に基づく運動でしょう。
一方、賃金格差に着目した取り組みでは、「最低賃金を平均賃金の〇割にする」というように、最低賃金を他の指標と相対化させて決める方法があります。東京大学の神吉知郁子教授は、EUが相対的貧困ラインを念頭に「賃金の中央値の60%、賃金の平均値の50%」を推奨しており、最低賃金の相対化が世界の潮流ともいえると述べています(日本経済新聞2025年1月23日付)。連合も、地域別最低賃金に関して「一般労働者の賃金中央値の6割水準をめざしさらなる引き上げを図る」とする方針を確認しており、こうした訴えも広がりつつあります。
格差是正の重要性
格差の是正はなぜ大切なのでしょうか。社会における賃金格差が大きい場合、何が起きるのかを考えてみましょう。確かに企業内には、年齢や経験、能力などに応じた賃金制度をつくることができます。とはいえ、属人的要素に基づいてその水準を決めても、当該企業の外にいる買い手には無関係であるということも事実です。例えば、今世紀初頭には日本企業はむしろ賃金が高すぎると叫ばれ、海外との競争上、賃金総額の抑制こそが社会的な合意事項であるかのようでした。その中で賃金制度を何とか維持できた労働者の傍らで、非正規雇用が拡大しました。これが賃金の引き下げ圧力として機能してきたのでしょう。たまたま今は人手不足の局面ですが、こうして顧みると、中長期的に見て最低賃金による格差の是正は重要です。
今後、最低賃金の水準を議論するに当たっては、引き続き、社会保障と賃金格差のいずれの側面からも議論することができます。めざすべき水準に関しては、物価上昇局面では「1500円」といった具体的な水準に基づいた議論が出てくるはずですが、その一方で賃金格差の是正という軸を持っていれば、環境が変わってもぶれずに議論できるはずです。
地域間格差の是正へ向けて
最低賃金の地域間格差を是正するためには、住居費や教育費などに関する社会手当について議論することも大切です。というのも法定地域別最低賃金の目安を決める上で、住居費も含めた生計費が考慮されているからです。そのため、住居費や教育費の高い首都圏の目安が高くなるのは避けられません。ですから、もしそれらを賃金以外の仕組みで手厚く代替できれば、最低賃金の地域間格差の要因を減らすことができます。このように見れば、社会手当の拡充に対する政策的なサポートが、地域間格差を是正するための労働組合の戦略の一つになり得ます。
産業別最低賃金の役割
最低賃金を「賃金中央値の6割水準」にした場合、企業内の賃金制度との整合性が課題になると考えられます。その水準に引き上げた場合、現在の高卒初任給が最低賃金を下回るケースも出てきます。ところで、年功賃金の背景を考えると、高卒なり大卒なりの初任給の水準は初期の適応や教育訓練のためのコストが差し引かれたものともいえます。その低さは、長期雇用の中で相殺されるとみることもできたわけです。しかし、最低賃金が大幅に上昇すれば、長期雇用を前提とした企業内の賃金制度の見直しもさらに求められるようになると思います。
また、労働市場にはこの間、長期雇用を前提としない非正規雇用が増えてきました。それらの労働者は、能力開発につながる教育訓練を受ける機会が限られ、自己負担で技能を習得する必要があります。こう考えれば、非正規雇用労働者には、正社員の高卒初任給よりもむしろ高い賃金が求められるはずです。
法定の特定最低賃金(産業別最低賃金)は、このような課題に対応するために役立つと考えています。つまり、業界ごとに適正な特定最賃を設定できれば、長期雇用の外縁にいる非正規雇用労働者も、「この業界で働き続ければ、将来的に正社員になれるかもしれない」「技能を高めてキャリアを築けるかもしれない」といった希望を持つことができ、業界としても人手不足の解消や人材の定着につながります。
ところで、現在の特定最賃は、65歳以上の労働者には適用が除外されています。熟達した高齢労働者にこれが適用されず、相対的に安価で長時間雇えることによって、若年労働者を育成しようとする動機がくじかれないでしょうか。高齢者の適用除外の見直しは、特定最賃を機能させるためにも重要だと思います。
ここまで見てきたように、最低賃金には、生活保障の観点とともに、賃金格差に対する社会的合意という側面があります。自分たちの賃金水準を守り、賃金相場全体を底上げするためにも、労働組合は、賃金格差是正の視点から積極的に運動を展開してほしいと思います。