職場の民主主義は案外簡単だ
「民主主義」という言葉が、これほど問われている時代はないと思う。なんせ、安保法制の件で国会は紛糾した。いや、国会内でのやり取りよりも、国会議事堂を取り囲んだデモ隊の熱にこそ、民主主義を感じた。選挙同様、デモも民主主義なのだ、民の意見を表明する場として。よっぽど暴力的なもの、差別的なものでない限りは、だ。
それにしても「民主主義」とは何だろう。安保法制の件などにおいて「民主主義を何だと思っているんだ」という意見をTwitter上でよく見かけたが、実はこの言葉自体、定義、解釈が人によって違うということに注目しなくてはいけない。多数決という行為自体、物事の多様性、複雑性を捉えない行為だとも言えるし、気付けば最適ではない判断をしてしまうことすらある。
それに対し、民主主義とはとことん多数決だという考え方もある。一人ひとりの一票は重いのだ。しかし、ご存知のとおり、わが国には一票の格差問題がある。政治家が選挙で連呼する「清き一票を」なる言葉は、この国においてはウソなのだ。これは憲法違反とも言える状態なのだ。
さらに言うならば、この民主主義というシステムは気を付けないと少数意見を拾うことができないし、衆愚化とも紙一重だったりする。
政治については失望することも多いが、よりミクロな環境である、私たちの職場の民主主義について考えたい。職場とは企業の一部である。ゆえに、労働者だけの論理で物事は進まない。労働者寄りに考えすぎることで、経営が立ち行かなくなることもあるだろう。企業には経営戦略が必要なのだ。これについて経営のボードメンバーが意思決定をするということは、株式会社のシステム上はまったく間違っていない。しかし、経営だけの論理で、労働者不在で突き進むと、問題が起こる。戦略を実行するのは労働者であるからだ。
私がこの連載で一貫して主張していることであるが、株式会社というものはわかりやすいもので、経営にとってメリットのあることであれば、労働者の意見は聞いてもらいやすいのだ。ましてや、エース社員ほど一目置いてもらえるので、話が通りやすい。
デモも民主主義の一つのかたちだと言ったが、職場での健全なゴネかたというものもあると思う。そのやり方では売れない、気持ちよく働けない、士気が上がらない-などである。
やや野蛮な企業を渡り歩いてきたこともあるが、経営の暴走を現場の営業マンたちが食い止めるというドラマを何度も見てきた。売れそうにない商品の企画の白紙化、事業撤退という経営判断の撤回要求、コスト削減の見直し(コストの見直しではない)などである。さらには、快適な労働環境を要求する声もあった。
経営方針は、役員会では多数決で決まるが、これを何でもかんでも従業員に振るというのはよくないと思っている。むしろ職場ではこのように、従業員が建設的に声を上げるという、民意の表明という行為こそ必要ではないか。これは経営側にとってもメリットがあるはずなのだ。
さて、あなたは職場のどんな問題を解決したいと考えているか。マイクを振られたら、どんな意見をぶつけるのか。考えてみよう。