トピックス2015.12

在沖海兵隊の「抑止力」は幻想
安全保障の意味を見つめ直して

2015/12/22
日本政府は在沖米軍基地の必要性を訴え続けるが、それは本当に不可欠なものなのか。全国の市民は抑止力を前にした思考停止から抜け出すべきだ。
屋良 朝博(やら ともひろ) フリージャーナリスト、沖縄国際大学非常勤講師
元沖縄タイムス社論説委員。著書に『砂上の同盟―米軍再編が明かすウソ』(沖縄タイムス社)、共著に『虚像の抑止力』(旬報社、新外交イニシアティブ編)など

安全保障ってなんだ?

安全保障とは何だと思いますか。辞書を引いても、それは曖昧な概念であるように書いている。沖縄に基地が集中していれば、安全が保障されるわけではありません。安全保障とは、要するに危険を遠ざけるということです。究極的には争いがないようにすればいいわけです。

日本人のもつ安全保障のイメージは防衛であり、「アメリカ軍が日本に駐留していれば軍事力の均衡が保たれる」みたいなものでしょう。でもそれは間違いです。

日本に駐留している米兵は最大2万5000人。そのうち6割が海兵隊です。基地面積の割合では海兵隊が75%を占有しています。海兵隊の定数は1万8000人ですが、実数は1万2000~1万4000人と言われています。日米合意でこの定数を半減し9000人にするとしているので、実数はこれよりもっと少なくなります。

例えば朝鮮半島で有事が起きたら米軍は兵力をどれだけ投入すると思いますか。これまで読んだ資料では最小22万人、最大69万人の兵力を本国から大規模投入する、と書かれていました。これで日本に駐留している海兵隊が抑止力になると思いますか。

抑止力ってなんだ?

次に海兵隊の役割が何かも考えてみてください。米軍再編で沖縄の海兵隊は、2000人単位の海兵遠征部隊(MEU)に再編されました。主な任務はアジア太平洋地域をローテーションし、友好国軍とネットワークをつくることです。そのため彼らは艦船に乗ってアジア太平洋地域を周回しています。その艦船は佐世保から沖縄に来ます。沖縄の基地は船着き場でしかないのです。彼らは年間3~5カ月しか沖縄にいません。1年のうち半分も沖縄にいないのに海兵隊が抑止力であると言えますか。

船着き場だって沖縄でなくてもいいのです。グアムでもカリフォルニアでもよい。それでも日本政府は沖縄の海兵隊が抑止力になると説明しています。

そもそも抑止力とは何でしょうか。抑止力とは「相手がある行為をしようとしているのを思いとどまらせる力」です。そのためには、こちら側が報復のための能力を持ち、相手にその意思を伝えておかなければなりません。

一方、抑止力が発揮されるためには、その能力と意思があることを相手が理解して合理的な判断をすることが前提になります。泣いている赤ちゃんには抑止力は利かないことになります。

では、これを日本に当てはめたとき、その能力と意思をもっているのは誰ですか。日本では米軍の抑止力に期待しているのだから、意思決定は米国ですよね。例えば尖閣諸島の領有権を守るために米国民は若い兵士の命を懸けて中国と戦争する意思を持ち合わせていると思いますか。普通に考えればNOでしょう。つまり、抑止力の意思を表明する最初の段階からつまずいているのです。

効き目がある抑止力とは

そもそも第三国の軍事力で抑止力を維持しようとする発想そのものがおかしな話です。日本政府はこの発想からいつまでたっても抜け出せない。だからアメリカの気を引いて米国に抑止力の意思を示してほしいと願っている。要は抑止力があるということの確証がないのです。それで外務大臣や防衛大臣が何度も同じことを米国に確認しているわけです。集団的自衛権の行使を容認して米国に「貸し」をつくって本当に抑止力が高まるのですか。大いに疑問があります。

だからといって、日本の軍事力を強化すればいいという話ではありません。なぜ日本政府やメディアは軍事面だけで抑止力を考えるのでしょうか。最初に話したように安全保障とは危険を遠ざけることです。ならば、経済や文化で交流し、互いに良好な関係をつくれば危険は遠ざかるはずです。なのに日本は「ケンカの技術論」ばかり議論している。

たしかに中国のアグレッシブな姿勢は気になりますが、それも日本側が火をつけた部分は否定できません。石原都知事が尖閣諸島を都有地にするとか、民主党の前原氏が漁船の船長を逮捕して裁判にかけようとしたとか、それまでの日中間で政治問題化しないという合意事項をやぶったわけです。それにより尖閣問題が「反日」のシンボリックなテーマになってしまったことは否めません。尖閣問題をあおるよりも、日中間の経済的なつながり、人的・物的交流を維持・拡大する方が多くの人の得になり、抑止力になるのではないですか。

軍隊のあり方を決めるのは誰か

米軍はこれまで何度か海兵隊の撤退を検討してきました。それを引き留めてきたのは日本政府です。日本政府は、海兵隊の抑止力を信じ、駐留を希望し続けています。その姿勢はもはや「信仰」に近いものです。しかし、そうした日本の思いは淡い期待としか言えないでしょう。

軍隊は誰の言うことを聞くのでしょうか。それはその国の議会や国民です。軍隊が自分たちの人員や予算を決められるようになると、それは軍事国家になってしまいます。

日本政府が、沖縄に基地を置き続けてほしいと望んでいます。アメリカはそれをたとえ望んでいたとしても口に出すことはできません。なぜなら、アメリカがそれを言ってしまえば、日本は主権国家ではなく、軍事植民地となってしまうからです。だからアメリカは、日本政府が用意した場所に代替施設を置くという形を取らざるを得ない。日本政府がNOと言えば、少なくとも沖縄以外の場所でと答えることができれば、沖縄に海兵隊が居続けることはできないのです。国土面積のわずか0.6%に過ぎない沖縄のほかに代替地が見つからないわけがありません。最後は、「政治」が軍隊のあり方を決めるのです。

子曰く…

全国の市民もそろそろ安全保障とは何かをきちんと議論した方がいいでしょう。今の安全保障は、「水戸黄門の紋所」。その言葉を出しただけで思考が停止してしまっている。

海兵隊はアジア太平洋地域で友好国と人道支援や災害救助支援の訓練を展開しています。近年、この中に中国の人民解放軍が加わるようになりました。多くの日本人はこのことを知りません。

冷戦終結は、米軍に大きな衝撃を与えました。戦争の危機が遠ざかると軍隊は必然的に縮小を求められるからです。そこで海兵隊は人道支援や災害救助支援に取り組み始め、そこに中国軍も加わるようになった。アジア地域で集団安全保障を構築しようという試みです。

日本は自衛権の名で「ケンカの仕方」ばかり考えている場合ではありません。実態のない抑止力を信じて、辺野古を埋め立てるなんて、愚かしいことだと思いませんか。

最後にもう一度、安全保障や抑止力という言葉の意味を考えてみてください。かつて孔子はこう言ったそうです。

「必ずや名を正さんか」

国を治めるためには、言葉を大切にし、正しく理解しなさいということです。そういう点では今の日本政治の言葉は乱れていると思います。労働組合の皆さんも安全保障について一歩踏み込んで考えてみてください。

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