常見陽平のはたらく道2016.06

「意識高い系」と労働組合
若者視点の労働改革を

2016/06/16
「“意識高い系”という言葉を広げた人」と呼ばれることもしばしばの筆者が「意識高い系」と労働組合のかかわりと説く。

私は「“意識高い系”という言葉を広げた人」ということになっているらしい。2012年の暮れに『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)というタイトルの本を書いたこと、意識高い系に対する評論を長年行ってきたことなどが原因だ。意識高い系は数々の本で取り上げられてきた。私だけが広めたわけではない。戦後最年少で直木賞を受賞した朝井リョウの『何者』でも、その類型の一つである「意識の高い学生(笑)」が描かれていた。

若者を萎縮させる言葉を「作った」者として批判されることもしばしばある。私なりの定義はしたものの、自分が作った言葉というわけではない。もともとは、自分磨きに熱心で、やたらと大きいことを言ったり、人脈作りに熱心だったり、SNSで名言や努力の軌跡を発信したり、ビジネス書を読みあさったりするが、何かと空回りしていて、実体を伴っていなくて痛い人のことを指す言葉として定義した。いつの間にか、頑張っている人を揶揄する言葉だと誤解されるようになった。流行語とは、もともとの言葉の意味から変質していくものである。「負け犬」も「草食系男子・肉食系女子」もそうだった。だから、解釈の広がりや誤解により、心ない批判にあうこともある。理不尽ではあるが、批判には耳を傾ける。このような広がりを見せたのも、実は人々が意識高い系の人たちに関心があり、薄々、うさんくささを感じているということの証拠だとも見ている。

さて、ここからが本題だ。この人たちは単なる自己満足なのか、本当に社会や会社を変えようと思っているのか、判断に迷う瞬間がある。SNSにおいて、あるべき社会や会社に関するビジョンなどを語ったりするが、まさにブラック企業の経営者がそうするように、個人の夢と、周りの人の夢をすり替えているかのように見える。結局、自己顕示欲の塊なのではないかと思ってしまう。営業で高い実績をあげたことをSNSなどで誇示するのも結構だし、それは組織人として立派なことだが、その力を、社会や会社をよくする方向にも使ってほしい。何か新しいことを生み出していそうで、踊らされているだけだったり、自分のためのように見えてしまう。本当に意識が高いかどうかなど、測定できない。

今、時代は新しい労働組合を求めている。労働組合が古いわけではない。労働組合の体質が古いのだ。個人加盟型のユニオンなども存在感があるが、御用組合と揶揄されることもある業界内組合、企業内組合こそ、業界と企業がよりよいものになるよう主張すべきだろう。

世の中では常に新しい働き方が模索されているが、いつの間にか「働かせ方」に議論がすり替わってしまうことがある。当事者だけで問題は解決できないが、労働者不在の議論になるのは本末転倒である。

意識高い系と揶揄される人たちも、ここは奮起して自分たちの私利私欲ではなく、これまでのポーズの改革論を超えて、社会や会社を変えるアクションを起こしてもらいたいものだ。若者視点での労働の現場改革が今こそ必要なのだ。自分たちならどんな労働組合をつくりたいかを考えてもらいたい。労働者を守り、社会と会社を盛り上げる組織を構想することが必要だ。

常見 陽平 (つねみ ようへい) 千葉商科大学 准教授。働き方評論家。ProFuture株式会社 HR総研 客員研究員。ソーシャルメディアリスク研究所 客員研究員。『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)、『「就活」と日本社会』(NHKブックス)、『なぜ、残業はなくならないのか』 (祥伝社)など著書多数。
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