「やりがいがあって楽しいブラック企業」に私たちはどう立ち向かうか
「常見先生、私の勤務先がメディアでブラック企業と叩かれていてつらい思いをしています。本当は、やりがいがあって楽しいんですよ」
昔の教え子からこんな相談を受けたことがある。彼女に言わせると、そこは素晴らしい職場なのだという。ブラック企業批判をしている私に、もっと現実を知ってほしいと訴えかけてきた。タイミングが合わず、会うことはできなかったのだが、彼女は今も元気に働いているのだろうか。
ブラック企業をめぐる議論をする際によく出てくる反論のパターンがある。叩かれている企業の業績がよく優良企業だと言われており、ここを叩くのはおかしい、この企業には優れた経営者がいるからブラック企業のはずがないなど、企業の業績や経営者の優秀さを論拠にしたパターンがひとつ。もうひとつは、一部の店舗の従業員が文句を言って問題になっただけで、全体ではやる気に満ちた素晴らしい職場になっているという「特例を取り上げてブラック企業だと叩くな」というパターンだ。さらには、これらの企業は全国にたくさんの雇用を生み出している、そもそも今の日本でブラックではない職場など探すのは無理だなどと反論するパターンもある。
ブラック企業問題に立ち向かう者としては、それぞれに反論したい点はある。ただ、まずはこのように考える人がいるという事実と向き合わなくてはならない。
やる気に殺されない
問題の本質というのは、長時間労働や、過酷なミッションなどを任せて労働者を使い潰しているかどうか、違法な労働行為をさせているかどうかが争点であって、企業や経営者が優れているかどうか、やりがいがあるかどうか、雇用を生み出しているかどうかという点にすり替えるべきものではない。しかし、ブラック企業と叩かれている企業にやりがいを感じてしまう者がいるというのもまた事実である。
この「やりがい」というものは、ブラック企業問題を論じる上でも、そもそもの日本の労働全体を論じる上でも大事な論点だ。ブラック企業はこの「やりがい」というものを巧みに利用している。実際、ブラック企業は新卒向け会社説明会やホームページ、パンフレットがいちいち感動的で読んでいて元気が出るし、社長はカリスマ性があり、現場でもやる気が出るように管理職が従業員に声をかけるやり方などがノウハウとして共有されていて、やる気が湧いてくるつくりになっている。特に飲食などサービス業に顕著なのは、お客さんの感謝、笑顔をやたらと強調するということだ。
従業員のやる気があるがゆえに長時間労働の抑制が進まないなどは、企業の経営陣や人事が悩むポイントだ。しかし、人間には体力の限界がある。優良企業だ、名経営者だ、やる気だという点も立派に聞こえるが、このやる気という魔物に人間が殺されては本末転倒である。やる気に殺されないためにも、仕事をする上では冷静さが必要だ。
労組は従業員に冷静になるように促さなくてはならないのではないだろうか。やる気などよりも、快適な労働環境と納得のいく賃金が必要なのである。