常見陽平のはたらく道2016.08-09

われわれ労働者たちが「平和」について語るのはなぜか

2016/08/17
日本人にも「戦争」に直面しながら働いている人がいる。労働者は暮らしの安心のために平和について考えないわけにはいかない。

「人類は、戦争の時には平和を願い、平和な時には戦争の準備をしてきた」。やや記憶が曖昧だが、こんな言葉を10代の頃に新聞のコラムで読んだ。英国のある大学の歴史の試験で、答案にこんなことを書いた学生がいたのだという。言い得て妙だ。

戦争と平和について考えよう。ふと思い出した。赤木智弘氏が『論座』に『「丸山眞男」をひっぱたきたい─31歳、フリーター。希望は、戦争。』を寄稿したのは、2007年のことだった。ロスジェネ論、ワーキングプア論だけでなく、さまざまな文脈で論じられた。

この論考における「丸山眞男」も「戦争」もあくまでメタファーであり、赤木氏は積極的に戦争を望んでいるわけではなかった(と少なくとも私は解釈している)。ただ、「戦争」に関しては、あの頃よりリアルに感じる時代になった。この論考の本題である格差に関しても是正の議論は常にあるものの、進む一方だと感じてしまう。

そもそも、「戦争」の定義が変わっていることにわれわれは気づかなくてはならない。冷戦構造の崩壊(このこと自体、実は疑わしいのだが、ここは一般論としてそう書く)の後、やってきたのは民族紛争の時代であり、宗教戦争の時代だった。それは、テロの時代とも言える。世界各国で日常的にテロが起こる時代だ。

なんせ、ここ数年、集団的自衛権、安保法制、さらには憲法改正に関する議論が盛んだが、これが大事な議論であることは重々承知しているものの、もうすでに「戦争」に直面しつつ働いている日本人がいることを意識したい。グローバル化の時代とは、危険な地域に日本人が赴任する時代だからだ。テロなどの犠牲になった日本人がいることを忘れてはならない。犠牲にならなくても、危機と直面しつつ海外赴任、海外出張をしている日本人はいるのだ。このことを直視しなくてはならない。

戦争ではないが、治安の悪い国で働いている人もいる。自分語りで恐縮だが、今年起きた衝撃的な事件と言えば、大学のゼミの先輩が、アフリカのある国で殺されたことだった。オフィスで死んでいるのが発見された。首を絞められた痕があったという。あまりの衝撃的な死に震えるしかなかった。

もっとも経営側も何もしていないわけではない。社員の安全はここ数年、大事なテーマになっている。何か海外で事件が起こるたびに安否確認に奔走しているのもまた事実ではある。

われわれ労働者が今、考えなくてはならないのは、平和ではないだろうか。平和なくしては、われわれの労働も生活も安定しないからだ。もっとも、戦争があれば特需が生まれ、一部の軍需産業などがもうかるのもまた事実だが。

労働組合として、労働者として、平和を求めること、労働の安全について問題提起すること、平和を実現してくれそうな政治家を選ぶこと、自社の経営者に平和マインドがあるかどうかを確認することがこれほど求められている時代はない。平和は、人間の理性と知性によってもたらされる。自分たちが短期的な利益を追いかけて偽善に走っていないかも問い直さなくてはなるまい。

常見 陽平 (つねみ ようへい) 千葉商科大学 准教授。働き方評論家。ProFuture株式会社 HR総研 客員研究員。ソーシャルメディアリスク研究所 客員研究員。『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)、『「就活」と日本社会』(NHKブックス)、『なぜ、残業はなくならないのか』 (祥伝社)など著書多数。
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