過剰サービスの行方
それはウリにつながるのか?
大手広告代理店の幹部社員と呑んだ。自然と「電通過労自死事件」の話題になる。なぜ、大手広告代理店の社員は働き過ぎてしまうのかという話で盛り上がった。よく論じられる、長時間労働の慢性化、体育会気質の上意下達文化で残業から逃げられないなどとは別の論点が浮上し、大変に興味深かった。それは「顧客は誰なのか」という問いである。
一般論として、「過剰な顧客第一主義」もまた大手広告代理店の長時間労働の原因だとされている。大手広告代理店社員に聞いてみると、金曜日の夜20時に資料提供の依頼が来る、プランや制作物の急な直しなどが入るという話はよく見聞きする。電通自死事件の犠牲者である高橋まつりさんは、デジタル関連の部門におり、毎日のように出稿やその変更、効果測定の業務が発生していた。顧客対応に振り回されていたとも言える。
しかし、前出の大手広告代理店の幹部社員は、このような「過剰な顧客第一主義」だけではなく、社内の評価を気にする傾向、さらには自分自身の強いこだわりによる部分もあるのではないかと指摘する。つまり、社内の上司や同僚へのアピールのために、頑張り過ぎてしまうのである。特に広告作りにかかわるものにとっては、これまで自分のかかわった案件をいかに超えていけるかという、自分自身との戦いも存在する。特にコピーライター、CMプランナーなどは賞レースのようなものもある。
よく「顧客第一主義」は良いことだとされるが、「顧客とは誰なのか」「本当に高いレベルのサービスを望んでいるのか」という点も考えておきたい。実は顧客の声など、まるで聞いておらず、社内や自分自身を納得させるためのサービス過剰の連鎖になっていないか。
広告業界は「オーダーメード」「カスタマイズ」主義だ。広告においては、顧客が違えば、コミュニケーション上の課題も違う。なんせ、社名もブランドも違う。映像を伴う広告は、汎用的なものにはなりにくい。
IT業界も似ている。特に日本の大手IT企業は、オーダーメード、カスタマイズ型のシステムを得意としている。よく言うと、顧客の業務内容や課題に密着したソリューションを提供していると言える。ただ、それは顧客が本当に求めていることなのだろうか。自己満足や、自社内に対するアピールで終わってしまっていないだろうか。
欧米のIT企業はパッケージ型のソリューションを強みとしている。もうパッケージとして完成していて、それを顧客に導入してもらうものだ。もちろん、カスタマイズなどが必要ではある。ただ、提供する価値、サービスの範囲が明確化されていてわかりやすい。
ただ、別にこれはオーダーメード型か、パッケージ型かというだけの話ではないだろう。過剰品質、過剰サービスを見直さなくては、いつまでも長時間労働が誘発されてしまうのではないか。業界問わず、日本は企業が顧客に提供するものが過剰品質になっていないか。
なんでもかんでも顧客の言いなりになることや、顧客が求めていないものまで提供するのは良いサービスとは言えない。顧客が期待していることは何か。品質は適切か。立ち止まって考えたい。