特集2017.10

労使コミュニケーション再考労使の「信頼関係」は「財」
労使コミュニケーションへの「投資」を

2017/10/05
労使が信頼関係を構築することは相互利益を追求する基礎となっている。その信頼関係は社会にとっての「財産」だ。「財産」を築くための投資が求められている。
野田 知彦 大阪府立大学教授

労使コミュニケーションの効果

企業別労働組合は、経営者と重要な情報を共有することで、経営者が機会主義的な行動をとることを抑制しています。労働組合と日頃からコミュニケーションしていると経営者が労働組合との約束を破るようなことはしづらくなります。そうすると従業員の経営者に対する信頼は高まり、従業員は自主的に生産性を上げる努力をするようになります。

一方、経営者は労働組合との労使協議を通じて、職制ルートでは知り得ない情報を得られます。経営者はそのことで意思決定の質を上げることができます。労使コミュニケーションによって従業員は、より効率的な方法での作業などを提案したり、現場にそぐわない内容の人事施策を未然に防いだりするので、経営者にとっては生産性を上げることにつながります。

日本は解雇規制が強いと言われますが、それは経営者が解雇に慎重だからです。なぜなら、安易な解雇を行うと従業員の協力を得ることができないからです。日本企業は従業員との信頼関係を高めることで、協力を引き出してきました。

このように、労使協議制度を通じて労使コミュニケーションを図る結果、従業員は経営者への信頼を高めることになり、生産性を向上させるための自主的な努力を自ら行うようになることが実証分析で示唆されています(『日本労働研究雑誌 2017年特別号(No.679)』野田知彦「労使コミュニケーション,信頼と従業員の発言」)。

「信頼」は「財」

「信頼」は、社会資本(ソーシャル・キャピタル)の重要な構成要素です。その形成は、経済主体間の取引費用を削減し、経済成長を促進すると考えられています。

労使コミュニケーションによる労使の信頼関係も一種の社会資本と考えることができます。社会資本をつくるためには時間やコストといった投資が必要です。「信頼」は「財」なのです。

先ほどの実証分析は日本企業のものでしたが、外資企業で調査しても同様の結果が示唆されています。労使コミュニケーションは、従業員の経営に対する信頼を高め、従業員がより自主的に生産性を上げる努力を行うことで、労使の相互利益を追求する基礎となっています。

しかし、コストカットを優先し、「嫌なら辞めろ」という経営者がいるのも事実です。労使の信頼関係は中・長期的に手間暇をかけて構築していくものなので、それをやれるだけの体力のない企業もあります。従業員の意見を聞くことは生産性にプラスの影響を及ぼしますが、経営に制限を加えるという面でのマイナスを大きくとらえれば、信頼構築に投資をしない経営者もいるでしょう。

また、グローバリゼーションや技術革新の進展は、経済変動に関する不確実性を高めますから、労使間の長期的な信頼関係の構築が昔に比べて難しくなっています。

欧州の実証研究では、従業員の意見を聞くと、生産性が向上するというプラス面と、経営に一定の制限を設けるというマイナス面があり、最終的にはプラス面の影響の方が大きいという研究結果が多くなっています。労使コミュニケーションによってメリットを得られると考える経営者は、積極的に信頼関係の構築に投資を行うべきでしょう。

個別紛争の繰り返し

労組の組織率が低下し、労働組合を通じた労使協議を行う企業も少なくなっています。労働組合のない中小企業における労使コミュニケーションは千差万別で一括りにするのは困難です。その中で、熱心に労使コミュニケーションを図る経営者もいます。ただ、よく聞くのが「面倒は見るけれども、文句は言わせない」というパターン。家父長(パターナリズム)的な労使コミュニケーションです。こうした職場ではコミュニケーションが一方的になりがちです。それになじむ人は仕事を続けられますが、そうでない人は辞めていってしまう。そのため離職率が高くなる傾向があります。

一方、労働組合を通じて双方向で労使コミュニケーションを図ると離職率は低下します。しかし、日本のみならず中小企業の経営者は、労務管理に介入されることを嫌がります。労働組合を通じて集団的に問題を解決するのではなく、個別で問題を解決することを好みます。

このような職場で労使トラブルが生じるとどうなるでしょうか。従業員が合同労組に駆け込む事例が多く見られます。しかし、問題が解決すると労働組合を脱退してしまうケースも多くあり、社会全体では、個別の問題対応を繰り返す「もぐらたたきゲーム」のようになっています。集団的な労使関係をつくって、個別の労使紛争を減らそうという社会全体の発想が弱いと思います。

働く側からムーブメントを

欧州では、従業員代表制度が法的に義務付けられている国があり、企業は従業員代表に経営に関する情報を提供しなければならないと決められている国もあります。一方、日本の労働組合は自発的に結社された企業別労働組合がその役割を担っており、労使協議は自主的に行われています。日本における労使コミュニケーションの基盤はぜい弱とも言え、このため日本でも従業員代表制度を法的に導入すべきとする意見もあります。

ただ、研究者が制度を提唱しても、労働者に労使コミュニケーションを図る意識がなければ、制度は形骸化する懸念があります。「ブラック企業」が社会問題化する中で、働く側からもっと声が上がってもいいと思います。働く側がムーブメントを起こさないと社会運動にならないのでがんばってほしいと思います。

多様化するほど調整が大切

戦後の高度成長期では利益が従業員に分配されていましたが、現在は分配のパイ自体が少なくなっています。また、労働者の雇用形態などが多様化し、労働者の利害調整にコストがますますかかるようになっています。かつては正社員の間だけで利害調整をすればよかったかもしれませんが、そこからはじかれた人たちが増えています。非正規雇用で働く人が増える一方で、「働き方改革」で限定正社員ができたり、出世ポストの減少で昇進できない正社員も増えています。

利害が異なる人たちの調整を放置すれば、職場の中に不満が沈殿し、組織が傾くこともあり得ます。労働者の働き方が多様化するほど、労使コミュニケーションの重要性が高まります。非正規雇用で働く人などを労使コミュニケーションの中に含め、利害調整することが求められています。「働き方改革」を進める意味でもますます大切です。

個別の労使紛争が生じる前に未然に防ぐことが「賢い」方法なのですが、それに気付かない人が多くいます。多くの人が参加した方が信頼構築のための投資コストを少なくすることができます。労使の信頼関係という社会資本を社会全体でつくり出すという意識を持つことが重要だと思います。

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