トピックス2017.10

労働時間と健康および生産性の関係
科学的なエビデンスに基づく議論を

2017/10/05
労働時間と健康や生産性の関係について、科学的なエビデンスに基づいた政策づくりが求められている。労働時間に関する研究を行う早稲田大学の黒田祥子教授に聞いた。
黒田 祥子 早稲田大学教授

─長時間労働と健康や生産性にはどのような関係があるのでしょうか。

長時間労働の是正を巡っては、さまざまな意見が対立してきました。例えば、法規制を強化すべきだという意見に対して、強化しすぎると企業の競争力を弱めてしまうとか、働き方を柔軟にすべきだという意見に対しては、健康を害する可能性が高まるというように、労使の意見が対立してきました。

しかし、このような意見の対立の中で、定量的なエビデンスに基づく議論が欠けていた側面があると思います。労働時間のあり方を検討するためにも、学術的に蓄積されてきた客観的な根拠を示すことが重要ではないでしょうか。

─これまでにどのような研究がありますか?

脳・心臓疾患に関しては、長時間労働が発症リスクを増加させるという研究が蓄積されています。例えば、アメリカでは、週46時間以上の長時間労働を10年以上続けた人は心血管疾患の発症リスクが統計的に有意に高くなることを報告しています。

また、長時間労働と精神疾患の関連についても研究が進みつつあります。例えば、イギリスの公務員を対象とした研究では、1日11時間以上あるいは週当たり55時間以上働いていた労働者は、その5~6年後のフォローアップ調査で、大うつ病を発症している確率が、それより短い時間で働いていた労働者に比べて高くなる結果を報告しています。

過重労働とメンタルヘルスの関係を厳密に特定するためには、個人の性格やストレス耐性の違いを排除した上でも、過重労働が健康に悪影響を及ぼすかどうかを明らかにする必要があります。

私と山本勲・慶応大学教授の共同研究では、そうした違いをなくすために、同一個人の働き方やメンタルヘルスを4年間にわたって追跡調査したデータを用いて分析をしました。その結果、個人の個体差や仕事の要求度・裁量性の違いをコントロールした上でも、週当たり労働時間が長くなるとメンタルヘルスが悪化する傾向が認められることが明らかになりました(グラフ)。

(グラフ)週当たり35-40時間労働者とのメンタルヘルスの比較
出所:Kuroda, Sachiko and Isamu Yamamoto,“Workers' Mental Health, Long Work Hours, and Workplace Management: Evidence from workers' longitudinal data in Japan,” RIETI Discussion Paper, No.16-E-017, Research Institute of Economy, Trade & Industry, 2016
備考:図は、論文内の推計結果を元に作成。薄い棒は、統計的な有意差がないことを示している。
データ:経済産業省経済産業研究所『人的資本形成とワークライフバランスに関する企業・労働者調査』の個票データ

具体的には、週当たり労働時間が50時間を超えるあたりからメンタルヘルスが顕著に悪化する傾向が認められました。これは週当たり50時間という長さが、従業員のメンタルヘルス確保の際の一つの参考値になることを示しています。

また、この論文と同じデータを用いて分析した他の調査では、週労働時間が50時間を超えたあたりから、仕事の満足度が上がるという調査結果も明らかになりました。いわゆる「ワーカーズハイ」という状態です。仕事の満足度が高くても、メンタルヘルスは悪化している場合があるため、注意が必要です。

─過労自死や過労に伴う精神疾患の要因は、長時間労働だけではなく、ハラスメントや本人の性格の問題などと指摘する声もあります。

この調査・分析では、ストレス耐性や性格の違いなどの要因をコントロールしても、労働時間が増えるとメンタルヘルスが悪化することを明らかにしました。個体差にかかわりなく、過度な長時間労働をすればメンタルヘルスが悪化する確率は高まるということです。

日本の職場は、数年ごとに配置転換があるところも少なくないので、上司と同僚とを常にベストな組み合わせにするというわけにはいきません。人間関係によるストレスはあるという前提でメンタルヘルスケアを考える必要があります。そういう意味では、労働時間が長いより短い方が職場で受けるストレスを減らすことができます。

─『日本労働研究雑誌 2017年特別号(No.679)』に「長時間労働と健康、労働生産性との関係」という論文の中では、長時間労働と労働生産性の関係についても論じています。

どのような働き方の枠組みが生産性を上げ、イノベーションをより生み出しやすくするのか、という点についてはもう少し科学的な検証が必要だと思っています。例えば、時間管理から外れた働き方の下で、果たして労働者は効率的に働き、戦略的に休息を取ることができるのだろうか、ということをまずは考える必要があると思います。

大阪大学の大竹文雄教授らの研究で、夏休みの後半に宿題に取りかかったという人は、社会人になって長時間労働になりがちだという結果が報告されています。宿題に後半取りかかった人の割合は約7割に上りました。この結果は、人間にはやらなければならないことをつい後回しにしてしまう行動特性があることを示唆しています。このような科学的エビデンスを踏まえると、労働時間を管理せず、時間ではなく成果のみで評価される働き方が、生産性の向上につながるかどうかは、慎重に検討する必要があると言えます。

近年では、報酬体系とイノベーションを関連付けた研究の蓄積も進みつつあります。約400人を対象にしたハーバードビジネススクールのコンピューターの仮想実験では、被験者にレモネードの販売を任せ、その報酬体系との関係を分析しました。その結果、「収益の50%が本人に還元される」と約束されたグループより、「固定給」を約束されたグループの方がレモネードの収益が高い結果となりました。この結果は、販売戦略のような不確実性の高い業務には金銭的インセンティブは必ずしも機能しない可能性があることを示唆しています。

また、日本の研究では、特許法の改正後に特許に成果報酬を与えるようになった企業の事例を調べたところ、特許申請数は増えたのですが、大きな利益につながる特許が生まれなくなったという研究結果もあります。これらの研究結果からは、投資期間が長く革新性が要求される仕事ほど、失敗が許容されるトライアンドエラー期間を長く保ち、安心してリスクを取ることができる体制を確保する方がよい、という解釈につながります。成果に応じて報酬を与えるという場合、どのような制度設計がよいのか、科学的エビデンスを反映させた慎重な検討が必要なのではないかということが論文で伝えたかったメッセージです。

─働き方改革について一言。

現在の日本の働き方は、「おもてなしの過当競争」になっていると考えています。これまでの日本企業は、労働投入量を増やすことで少しでも付加価値総額を増やそうという発想でやってきました。しかし、人口が減少し、働き方にも多様性が求められる時代においては、発想の転換が必要です。

限界までおもてなしをして少しでも利益を上げようとしてきた発想から抜け出し、長時間労働に歯止めをかけるという意味で、働き方改革は一定の効果があると思います。ただし、労働生産性が現状のままで労働時間を短くするだけでは生産量が減ってしまいます。これまで12時間働いて「100」の価値を創出していたものを、8時間で「100」のものをつくる発想が求められます。この際、働き方改革の大号令の下で、残業時間にキャップをはめるだけでは現場が疲弊してしまいます。これまでの業務の内容や進め方を見直し、非効率な働き方を改め、短時間でより付加価値の高いものを創出していくにはどうすればよいかを、労使が知恵を絞って考えていくことが必要です。

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