特集2018.07

IT業界の実態をもっと知ろうITエンジニアの健康問題
睡眠不足の解消と「技術の健康」がカギ

2018/07/13
ITエンジニアが健康に働き続けるためのポイントは何か。情報通信の研究者でもあり、医師として現在はIT企業の産業医も務める中川晋一氏に聞いた。
中川 晋一 一般社団法人 情報通信医学研究所
代表理事・所長
博士(医学)(京都大学)、博士(学術)(東京工業大学)。医師、 産業医。情報処理学会シニア会員、 放送大学非常勤講師、 元(独)情報通信研究機構上席研究員。
『IT技術者の長寿と健康のために』一般社団法人情報通信医学研究所編

睡眠不足が最大の原因

従業員のメンタルヘルスの悪化をもたらす要因の一つは「睡眠の悪化」です。メンタル疾患の原因として、残業(過重労働)、心理的ストレス(心配事)などさまざまな要因がありますが、通常は睡眠によって回復しています。これが残業の増加により睡眠時間が削られ、回復が不十分なまま出社し、勤務、また残業、短い睡眠時間による不十分な回復という悪循環により疲労が蓄積していきます。1日分の睡眠で回復しきれない疲労のことを「睡眠負債」と言います。睡眠負債が蓄積してくると、週末家族と出掛けるなどができなくなり土日に睡眠を取ってこの負債を回復しようとします。

それでも回復しきれなくなると、睡眠状態の悪化(睡眠負債の蓄積)が認められます。入眠困難、中途覚醒、早朝覚醒、夢を見る、熟睡感がないなどです。「睡眠負債」の蓄積は睡眠障害をはじめうつ病など、さまざまな病気のリスクを高めます。そのため産業医面談では、まず従業員が眠れているかどうかをチェックします。リスクが高い場合、例えば「時間外勤務は月20時間以下、休日出勤禁止、交替・深夜・徹夜勤務禁止」などのように就業を制限し、上司がそれ以上の負荷をかけないように促します。体調が悪化してしまった場合、少なくとも、定時勤務を休まずできるようにしていきます。

睡眠時間を確保するためには、通勤時間などにも配慮する必要があります。在社時間が変わらなければ、通勤時間が長いほど、睡眠時間が短くなるからです。交替勤務や深夜勤務のように睡眠のリズムを狂わせることを避ける必要もあります。睡眠時間の確保には、このような細かな配慮の積み重ねが大切です。

質の良い睡眠を取ることが大切だ

睡眠不足と長時間労働

睡眠不足の背景には、長時間の残業があります。残業は本来、要件定義が明確で、適正なリソースの割り当てと納期の設定が行われていれば、想定以上に生じないはずです。しかし、実際の現場では、開発途中での仕様変更などを原因として残業がまん延しています。仕様変更の繰り返しでゴールの見えない作業をするのは、精神的にこたえます。このような事情で生じる健康障害は明らかな「人災」だと銘記しておくべきです。

疲れがたまっている状態を自分で判断して、定時退社できるような仕事のコントロール性があれば、睡眠負債を返済しやすくなります。しかし、客先常駐ではそれが難しいです。そのような場合、ためらわずに産業医に相談し、就業上の健康リスクを軽減すべきと思います。

長時間労働や睡眠不足は生産性を低下させます。従業員が高い生産性を発揮できる状態に保つことは、労使双方にとっての大きなメリットだと認識すべきです。

過去1年間にメンタルヘルス不調で1か月以上休職、退職した正社員がいる割合
出所:JILPT「職場におけるメンタルヘルス対策に関する調査」(2012)

「技術の健康」確保が大切

心身の健康とともに、「技術の健康」を保つことも重要な課題です。技術の健康を損なわせている最大の要因は多重下請けです。多重下請けでは、システム設計やプログラミングといった情報処理技術者の最も基本的な動作が外注され、こうしたスキルやノウハウが蓄積されません。中には仕様書を外注する事例まであります。「書くのではなく、管理が仕事」と言う技術者もおられますが、現場の技術者と面談していると基本的なリテラシーや技能が習得されていないことがあります。必要なスキルアップや社員教育を企業側が怠った結果、社内の技術レベルが低下することで作業効率が低下するにもかかわらず(本来、技術導入やスキルアップの機会を与え育てる責任は会社にあると思います)、社員の能力不足による業務査定を行うなどの矛盾を感じることも少なくありません。

十分な技術スキルを与えられず外注先に作業を委託せざるを得ないという本末転倒な実態は、多層下請け構造を持つわが国のIT企業では一般的です。「外注先からの返事がなければ帰れない」ために残業時間が積み上がり健康リスクも高く、ジョブロスも増加する悪循環をどのようにして断ち切るのかが本当に取り組むべき問題だと思います。

技術者の底上げを

社員がスキルを身に付ける機会を奪い、時間拘束で利益を出しながら、睡眠不足で社員の健康を悪化させるようなやり方は改めなければなりません。求められるのは、これらとは反対の対応です。

なにより、社員が高い技術力を維持できるようにすることが重要です。最新技術を用いれば、情報処理分野でのシステム開発力は著しく増大します。高いスキルを持った技術者はより良い条件の会社に転職しやすくなります。条件の悪い企業には人が集まらないようになります。

労働組合には、技術者の底上げを通じて、緊張感ある労使関係をつくることをめざしてほしいと思います。例えば、個人の競争力を高める教育や情報提供のほか、業務歴や資格・能力指標の提供、個人の属性に応じた適正業務内容のマッチングなどの施策を展開するのもいいと思います。何よりも、人が大切です。

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