特集2018.07

IT業界の実態をもっと知ろう情報労連ヒアリング調査から見えてきた
情報サービス産業の根深い構造的課題とは?

2018/07/13
情報労連は今年2月、ソフトウエア開発に携わるITエンジニア7人に聞き取り調査を実施した。そこから見えてきた情報サービス産業の課題について報告する。
齋藤 久子 情報労連中央執行委員(政策局)

情報サービス産業の構造的課題

情報サービス産業は、企業活動や生活基盤を支える重要な産業であり、今後は、IoT/ビッグデータ・AIといった第4次産業革命を推進する産業として、社会的にも期待されている。

しかし、その担い手であるITエンジニアを取り巻く労働環境には、長時間労働やそれに起因する脳・心臓疾患、メンタルヘルスの問題など、さまざまな課題が存在し、その背景には、多重下請け構造や人月工数による価格設定など、情報サービス産業の構造的課題が指摘されている。

情報労連は、それらがどのように現場で立ち現れるのかを確認すべく、ソフトウエア開発に携わるITエンジニア7人に聞き取り調査を実施した(2018年2月実施)。インタビュー項目は多岐にわたるが、ポイントに絞って報告する。

「目に見えないもの」の開発

インタビューにおいては、長時間労働が発生する事由の一つとして、顧客との間で「認識のずれ」が生じやすく、それを埋めるのに想定外の労働時間が発生してしまう、ということが挙げられた。「認識のずれ」を回避するために、システム開発の初期工程である要件定義において、顧客とのコミュニケーションを密に行うなど、現場でもさまざまな対応が強化されているものと認識する。それでもなお、顧客との「認識のずれ」が発生する背景として挙げられたのは、ソフトウエア開発の要件定義には、目に見えないものに対し要件を決定していく、という困難さが常につきまとう、ということだった。

ソフトウエア開発は、顧客から要件を聞き出し、設計し、施工して引き渡すという形態であることや、ゼネコンを頂点とする多重下請け構造を持っていること、労働集約型産業であること─等が類似していることから、その開発工程が建設業に例えられる。しかし、ソフトウエア開発が建設業と大きく異なる点は、インタビューでも挙げられた「目に見えない」という点だろう。このソフトウエア開発の「目に見えない」という特性によって、顧客とITベンダー間で仕様を詰めきることや、開発にどれだけの時間と人手が必要なのかの共通理解を持つことは、非常に難しくなってしまう。要件変更においても、建築現場ですでに施工された柱をすぐさま移動してほしい、と要求する顧客はいないだろうが、ソフトウエア開発では、コードを書き換えるだけなのに、なぜそんなに時間と人手を要するのか、と考える顧客もいる。

「無理」が標準化してしまう仕組み

インタビューでは、顧客から価格・納期に対する無理難題を持ち掛けられた場合、顧客が納得するよう詳しく説明をし、丁重に断る、あるいは、双方にとって妥協できそうな代替案を提案する、との声もあったが、そのような交渉が円滑に進むのは、顧客自身がシステムに対する一定程度の知識や価格・工期の相場感覚を持っている場合に限られる。

そうでない場合には、同規模の別のシステムを参考に、価格や工期の相場感を伝えたり、できるだけ詳細な見積もりを提示したり、といったことを通じて、顧客が相場感を共有できるよう努力を積み重ねるしかない。それでも理解が得られない場合、つまり、相場感を受け入れてもらえない場合には、ITベンダー側が無理を飲み込む場合もある。そのように飲み込んでしまった「無理」は、はじめは特別対応だったにもかかわらず、次第に顧客にとっての「標準」にすり替わっていってしまう。そしてそれは、現場のITエンジニアの長時間労働に直結していく。

顧客にとっても、ITベンダーにとっても、無理が無理と正しく認識されないまま開発が進んでいくことは、大きなリスクとなる。今回のインタビューを通じて、価格や納期に対して、顧客・ITベンダー双方が納得し得る共通理解を産業全体で醸成していくことの重要性が改めて認識された。

人月工数という価格設定モデルの影響

情報サービス産業では、価格設定方式として人月工数が用いられてきた。人月工数とは、開発規模や価格の見積もりに利用される単位の一つで、プロジェクトに投入する人員と、月で表した一人当たりのプロジェクト従事期間の積で表現される。

人月工数については、受注側が努力して生産性を高めれば高めるほど、ソフトウエア開発に必要な人月は少なくなり、受注額が少なくなるというパラドックスが指摘されており、インタビューでも、労働者にとって作業時間を短縮しようというインセンティブが働きにくい、あるいは、人によって生産性が異なるにもかかわらず、一律的に単価が決められることから、適正な価格反映がしづらい、との意見があった。このように課題が認識されている一方で、ヒアリングした7人全員が人月工数に基づく価格設定方式を用いている、と答えており、現場においては人月工数が依然として主流の価格設定方式として採用されていることも明らかとなった。

このように課題がありつつも、人月工数が用いられ続けている理由を聞いてみたところ、(1)仕様が確定していないフェーズ等においては、SES契約(完成物の納品ではなく、ITエンジニアの業務処理自体を契約の対象とするシステムエンジニアリングサービス契約)の形態を採ることが多く、労働に対する対価を計るに当たり、人月工数による価格設定がマッチしている(2)代替となる適切な価格設定モデルがない(3)目に見えないソフトウエアに対し、便宜上、顧客との間で人月工数を採用した方がわかりやすい(4)ITベンダーにとって、労働力の提供に対する対価が一定担保されている─等が挙げられた。

人月工数から、いかにして脱却していくのか─長らく情報サービス産業に投げ掛けられてきた問いであるが、人月工数による価格設定は、生産性の向上を阻害する要因となる一方で、取引慣行として定着していることや、ITベンダーにとってのリスク回避として機能する側面も持っており、急激な転換が困難であることも導き出された。

ヒアリングを踏まえた現時点の認識

長時間労働の是正は、働く人の命と健康を守り、ワーク・ライフ・バランスを実現する労働組合の重要な取り組みであり、情報労連としても、「時短目標」を掲げ、運動を推進してきたところであるが、さらに運動を進めていくためには、今回の調査で示唆された情報サービス産業構造の課題に対する積極的な政策的アプローチが必要である。

特に健全な産業の発展のためには、受発注企業間において、信頼関係や相互理解をベースに適正な価格や納期を調整していくことが重要であり、そのためには、価格・納期・品質等に関する相場感覚や共通認識を産業全体でいかに醸成していくかがカギとなるものと認識する。

情報労連は、情報サービス産業が魅力を高め、持続的に発展し続けるために、聞き取り切れなかった多重下請け構造の課題の深掘りに向けたさらなるヒアリングの実施や対策案の検討等を行い、今後の政策づくりへとつなげていきたい。

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