トピックス2018.07

「モリカケ問題」のどこが深刻なのか
幕引きにできない「公文書改ざん・隠ぺい問題」
放っておけば民主主義が成り立たない

2018/07/13
「森友・加計」問題、自衛隊の日報問題。公文書の改ざん・隠ぺい問題は、この国の行く末にどう影響するのか。責任の所在をうやむやにすれば、この国の根幹は蝕まれていく。問題がこのまま「幕引き」されてはならない。
中野 晃一 上智大学教授

説明責任の大切さ

社会には多様な意見があります。自由民主主義社会は、社会にある多様な意見や食い違いを前提としながら、それらを反映しつつ、民主的に意思決定を行おうとするシステムです。安倍政権下で起きている公文書改ざんや廃棄、虚偽答弁という問題は、この仕組みの根幹を揺るがす非常に深刻な問題です。その理由を見ていきましょう。

日本の政治システムは、議院内閣制を採用しています。この制度の下では、行政府の代表である総理大臣は、有権者に選ばれた国会議員によって選出されます。このため内閣は、国会を通じて有権者に対する説明責任を負うことになります。そのため国会は、法律を制定するだけではなく、行政府の説明責任を担保する場としても非常に重要な役割を担っています。国会の最も重要な役割は、行政府の説明責任を追及することにあるとさえ言われます。背景には、行政府が立法府より実質的に有利になっているという問題があります。現在の安倍政権のように、内閣がつくった法案がまともな審議を経ずに原案通り成立することが常態化すると、立法府の役割は形式だけのものになってしまいます。だからこそ、国会において議員が行政府を追及すること、それに対して行政府が政策や法案についてきちんと説明することが求められます。

行政府には国民に対する説明責任があります。説明責任という言葉は英語ではアカウンタビリティ(accountability)と訳されます。この言葉に含まれるアカウンタブル(accountable)には、説明するという意味のほかに、勘定するという意味もあります。予算や税金といった財政にかかわることについて勘定する、その内容を説明する責任を負っているという意味が込められています。

また、説明責任はレスポンシビリティ(responsibility)とも訳されます。この言葉にあるレスポンス(response)には、応答するという意味もあります。つまり、説明責任には、勘定する、応答するという意味が込められている、ということです。

このような前提を踏まえると、安倍政権の問題の大きさに気付きます。内閣は選挙を通じて有権者に選ばれた代表に過ぎません。その内閣・行政府が、有権者に対する説明責任を果たさず、虚偽答弁を重ねた上に、公文書を改ざん・破棄していました。信託した代理人が暴走しているようなものです。民主主義の根幹を揺るがす非常に深刻な問題です。

政治とマーケットの違い

この間、データ偽装問題などで企業トップが辞任する事例が相次ぎました。企業トップが辞任するのは信頼喪失などの責任を取るためです。一方、安倍首相も「私に責任がある」「責任を感じている」という言葉をよく口にします。ところが実際には口ばかりで、責任を取ることはありません。なぜそのような開き直りがまかり通るのでしょうか。

企業と消費者の関係で考えた場合、消費者は不祥事を起こした企業の商品を選ばないことができます。しかし、政府と有権者の関係で考えると、不祥事があったからといって自分だけ違う政府を選ぶわけにはいきません。有権者は、不祥事を起こした政府を嫌だと思っても、多くの場合、次の選挙があるまでは、その政府のもとで生活するしありません。

また、選挙があったとしても、自分の投票した政党が与党になるとも限りません。とりわけ小選挙区制は、得票率よりも多い議席が勝った側に与えられる仕組みです。例えば、A社の商品を購入する人が3割、B社の商品を購入する人が2割、どちらでもいい人が5割いたとします。企業と消費者の関係では、それぞれ商品を選べますが、これを小選挙区制に置き換えてみましょう。選挙をするとA社が勝利します。その結果、すべての人はA社の商品をあてがわれることになります。政治のシステムはマーケットに比べて押しつけ力が格段に強いのです。だからこそ、政府には丁寧な説明が求められます。

公文書はなぜ大切か

公文書は、政策決定の過程を記録する客観性・事実性の高い文書です。政府が説明責任を果たすために欠かせないだけではなく、後世の人たちが歴史を検証するためにも不可欠な国民の共有財産です。その文書が組織的に改ざんや廃棄されていたことの衝撃は大きいです。

6月に、ニューヨークタイムズ紙に論説記事を寄稿しました。担当したエディターは、これだけの出来事にもかかわらず、麻生大臣が大臣給与1年分を返納しただけで辞任しないことに対し、信じがたいという反応を示していました。

アメリカでは、ヒラリー・クリントン氏が国務長官時代に私的なメールサーバーを使っているだけで大きな問題になりました。また、トランプ大統領は、読んだメモをよく破り捨てるそうですが、行政官はそれを貼り合わせて保存しているそうです。どちらも公文書をきちんと保存することが目的です。それほど公文書管理に対する考え方が日本と異なります。

そもそも、自由民主主義社会は、多様な意見の存在を前提とするため、意思決定の結果、失敗や誤りがあることをシステムの中に織り込んでいます。権力者は国民の信託をたまたま預かっているに過ぎないからこそ、その判断が正しかったのかあとで検証できるように記録を残しておかなければいけません。ただ単に選挙に勝った側が好き放題していいというシステムではないのです。記録を廃棄してしまえば、過ちを検証できません。同じ過ちを繰り返すリスクも高まるでしょう。

正確な情報が提供されなければ、有権者は正しい判断を下すことができません。事実が事実として認定されないと判断を間違う可能性が高まります。権力者が知識や情報を占有することは、国民の共有財産を独占しているということです。世界でも「フェイクニュース」が問題になっているように、事実を捻じ曲げて、うそを本当のことのように思わせる問題が起きています。民主主義にとって非常に深刻な問題だと言えます。

市民がすべきこと

これだけの不祥事を重ねながらも安倍政権は続いています。私は今の安倍政権が権威主義体制にかなり近づいていると見ています。

民主主義の体制は、自由民主主義体制と権威主義体制に分かれます。自由民主主義体制が強いと、政府が問題を起こした場合、人々は政権を交代させて、体制の維持を図ることができます。しかし、権威主義体制が強いと政府の危機が体制の危機と一体化してしまいます。「安倍一強」の状態は、安倍政権が単に政府であることを超えて、政府が交代することを想像できない人を相当数生み出しています。これは権威主義体制に近づいている状態だと言えます。

とはいえ、権威主義体制は崩れ始めると壊れるのも早いです。なぜなら、口には出せなくても、「おかしい」と感じている人は水面下にはたくさんいるからです。不満が溜まり続けると、「こんなことはおかしい」という声があるとき堰を切ったように広がっていくはずです。その「前夜」がいつなのかはわかりません。ですから、市民一人ひとりとしては、今は苦しい状態だとしても、「おかしいものはおかしい」ということを辛抱強く言い続けることが大切だと思います。

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