ブラックな環境も「これが普通」
若者に労働問題を伝える方法
「これ、全部、当たり前のことじゃないっすか」
電通過労自死事件が明るみに出た直後のことだ。学生たちに同社の「電通鬼十則」を紹介し、意見を求めた。「仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない」「大きな仕事と取り組め、小さな仕事は己れを小さくする」など気が引き締まるような、身震いする言葉が並んでいる。
今どきの学生は「ひく」のではないかと思ったが、好意的に捉えた者が8割で、否定的な意見は2割だった。批判的に捉えた学生も、事件が発覚した際に遺族などから問題視された「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは…。」という項目など、一部の言葉に違和感を覚えたとはいうものの、基本的には好意的だった。
学生たちによると「普段のバイト先でも、同じようなことを言われているし、実践している。だから共感できるし、当たり前のことだと思う」とのことだ。中には学費や生活のために週に4、5日アルバイトをする学生もいる。彼らは学生であるのと同時に、すでに「労働者」である。中には「バイトリーダー」として責任のある仕事を任されている(やらされてしまっている)者もいる。過酷な労働をしている者には「電通鬼十則」は心に響く。当の電通はこの言葉を社員手帳に掲載するのをやめたのだけれども。
ブラックバイトにハマっている学生に聞き取り調査をしたこともある。なぜ、彼ら彼女たちがブラックバイトを続けるのか。それは「楽しいからだ」という身もふたもない、しかし真っ当な意見が返ってきた。アルバイト先では、社会人との接点があり、学びの機会に満ちている。店長が激励するなど、モチベーションが上がる仕組みも用意されている。お金だって手に入る。役に立つかどうかわからない、やらされ感のある勉強よりも学びの機会になっている。これのどこが悪いのかと言わんばかりの様子だった。
若者の労働問題を考える上で気を付けたいのは、一部の若者たちは明らかに問題のある環境について「これが普通」だと思っているということだ。まるでブラック企業で働いている者の論理と似ていないか。企業にとって便利な存在になっているとも言える。
さらには、仮に本人たちが問題だと気付いていても、食べていくために、その過酷な労働環境を受け入れてしまっている場合もある。伝え方に気を付けないと「豊かな時代を生きた人たちの論理の押し付け」に聞こえてしまう。
では、どうするか。まずは、彼ら彼女たちが「得する」情報を伝えることではないか。ワークルール教育などはまさにそうだ。私は毎年、1年生に土屋トカチ監督による『ブラックバイトに負けない!クイズで学ぶしごとのルール』の上映会を開いている。学生のみんなから感謝される。残業代は1分単位で請求できる、制服に着替える時間も労働時間である、などの情報は有益だ。これをキッカケにアルバイト先を替える者もいる。
当の本人たちが、普通だと思っていることがいかに異常であるか。さらにどうすればより快適に働くことができるか。大人たちは有益な情報を伝えなくてはならない。